元ネジ屋の娘の思い出話 | ちょうちょとおはな

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お空に旅立った小さい赤ちゃんを抱っこするための
ゆりかごを編み、病院へ無償でお渡ししています。
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はじめまして、ちょうちょうとおはなです。2019.5.3

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1月に書いて下書きに入れっぱなしにしていたものを公開します!

早くしないと次の朝ドラになっちゃう!!

 

 

 

昨年からNHKの朝ドラでやっている「舞いあがれ」

 

 
元ネジ屋の娘の私の思い出話を書いてみようと思います。
まいちゃんより私はだいぶ年上です…。
 
私の実家が直面した危機は『バブル崩壊』ですが似たような状況になったので、ドラマをみているとやっぱり重なりますね…。(まいちゃんちは『リーマンショック』で危機に陥った)
私も兄妹でしたし…。
私だけではなく義母も私と私の実家と重ねてみてしまうそうです。
 
違う所は父は高校中退後(教師を殴り退学になるというファンキーな経歴)、集団就職で東北から東京にやって来ました。
農家の三男なので代々続く工場を引き継いだ訳ではありません。
父は「見て覚えろ」という時代だったので、修行時代は大変だったそうです。(殴られたり蹴りを入れられたり)
 
私が生まれる前に一度独立したようなのですが、根っからの職人気質だったため経営的に行き詰まり工場の責任者として雇われることに
 
私が中学生の時に父が独立をし、自宅の一部が工場になりました。
まっその前に(小学生の頃には)副業で倉庫に機械を入れてネジを夜な夜な作っていました。
夜食というかお茶とお菓子を夜持って行き父と話したり、加工している機械を見るのが好きでした。
 
高校生の時には広めの土地を購入し工場を移転し、社員さんを雇い
母も兄も仕事を辞めて父の工場を手伝う事にまりました。
 
私もアルバイト感覚でネジの数を数えたりしていました。
長続きはしませんでしたけどね。
 
でも、まいちゃんのように父親の仕事をリスペクトはしていませんでした。
正直、父の職業を言うのも恥ずかしかったですし…。
 
ところが!バブル景気で状況が変わりました。
日本中が金持ちになったのかな?という雰囲気で浮かれてましたよね~うちだけではなく。
面白い時代でした。
 
その後にご存知のように弾けちゃう訳ですが…
 
工場を広げたため、かなりの借金があったと思います。
ある夜母に「この家からお前を嫁に出したかった」と大泣きされました。
その時にはもう彼(夫)の所に転がり込んでいた私はもう家を出た気になっていたので、そんなこと気にしなくていいのになぁと思っていました。
 
母は大きな工場まで建てて鼻高々だったんですよね。(親戚に向けて)
好きなネジを作れればそれで良いという父の代わりに工場を大きくしたのは母ですしね。
貧乏もしていたから、見返したい気持ちがとても強い人でした。
その母からしたら工場と家を手放さなければならない状況になったらそりゃ泣くよねと、今なら思えるんですけど当時の私は「なんとかなるんじゃない?」と思っていました。
 
その後、家と工場を売るのか?実家の人たちはどうするのか?と思っていたところ
ニコニコと母が「親会社が倒産した時にはどうなるかと思ったけど、親会社を通して来ていた仕事が企業から直接頼まれるようになってさぁ」と言った。
 
母が言うに「うちのお父さんしか作れないネジとかあって、1つ数万になるものがある。直接頼まれるから以前より単価があがったの」だそうだ。
 
バブル崩壊で大変な人もいる中、うちの工場は奇跡の復活を遂げました。
 
手に職がある人って凄いなぁと
ここでやっと父のことや工場に対して尊敬できるようになった訳です。
 
父は本当にネジが好きで
機械でネジを作りながら死にたいと母に言っていたそう。
 
そんな父も10年前、すい臓がんが末期でみつかり
みつかった時点で余命1ヶ月
大好きな工場の2階の自宅で、兄が動かす機械の音を聞きながらお昼寝中に亡くなりました。
 
「舞い上がれ」と重なる部分はあるけど
うちの話はうちの話
 
父にしか作れないネジはもう作れないかもしれないけど
父のような人が日本には他にいて
機械の向上につながっていると思うととっても誇らしい。
 
職業でマウントとる人もいるけど
そういう仕事をしてくれる人のお陰できちんと生活できているんだぞ~と今では思う。
 
 
朝ドラで取り上げくれて良かったなぁと思う。
梅ちゃん先生でも蒲田の工場を取り上げてくれたけど、梅ちゃん先生の付属な感じだったし。
 
「舞い上がれ」はたくさんの元ネジ屋の娘が自分と重ねてみているんじゃないかと思うと
元ネジ屋の娘たちでお話ししたくなる。(できれば同世代)
 
どう〆たらよく分からなくなってしまいました…。
 
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
ちょうちょとおはなの活動とまったく関係のないお話し、失礼いたしました。