自己紹介 | ちょうちょとおはな

ちょうちょとおはな

お空に旅立った小さい赤ちゃんを抱っこするための
ゆりかごを編み、病院へ無償でお渡ししています。
ちょうちょうとおはなの代表はなママのブログです。

ちょうちょうとおはなの活動をはじめて2年も経つのに・・・

 

今更自己紹介はないだろうと自分でも思いますが・・・

 

はじめましての方も来てくださると思うので自己紹介をします!

 

フラッシュバックしたり、辛くなったりすると思うので・・・読み進むのが無理だと感じたらすぐにやめてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はじめまして、ちょうちょとおはな の代表をしている はなママ こと 春日まさみです。

 

私は2005年に第2子の娘を死産しました。

 

予定日の検診で心臓が止まっていることが分かり、次の日に出産しました。

 

17週の時に羊水検査の結果が出て18トリソミーだと分かりましたが

 

夫婦で相談して妊娠を継続した先の死産でした。

 

死産した直後は「これが娘の人生だったのだ」と生ききってくれた満足感で清々しい気持ちがするほどでしたし、覚悟していたから大丈夫と自分を信じていました。

 

だがしかし…退院後…悲しみは段々と無くなっていくと思っていた私の考えとは違い、どんどん悲しみは積み重なっていきました。

 

妊娠中に通った道を見るだけで涙がこぼれる。

 

洗濯物をたたんでいると小さくなったお腹を確認してしまい涙がこぼれる。

 

死産するまでは涙というものは、出るぞ出るぞという準備の時間があってから出るものだったが

死産後は「あ!」と思うともうこぼれている涙に変わりました。

 

あれ?思っていたのと違うぞ!

 

覚悟していた覚悟って何にも役に立ってない!

 

こんなはずではなかったのに・・・

 

 

夜寝れないと徹夜で刺繡をしたり、縫物をしたりしました。

逆に1日中眠っているような時もありました。

 

朝目が覚めると同時に「今日も苦しくて悲しい1日がはじまる」と思い涙があふれ出たこともありました。

 

どうやって生きて行けば良いのか分からなくなりました。

 

死産から3か月後に天使ママの会に参加しました。

 

そこには経験者のスタッフの方がいらして

その方の優しい涙を見て

私も生きていけるんだと安心しました。(勝手に命の恩人だと思っています)

 

辛い中でもお話会で力をもらい

妊娠中に決めた大学入学の勉強も始まり

 

大きな波にもみくちゃにされる日から

だんだんと小さな波の日も出てきました。

 

死産から3年後に流産をし

その直後に命の恩人と再会し

その方が代表を務める天使ママの自助グループでスタッフさせていただくことになりました。(8年くらい続けていました)

 

大学も5年かかってしまいましたが無事に卒業し

臨床心理士になりたいかも?と思いましたが、大学院はなぜか医療福祉ジャーナリズムに進みました。

 

4人の天使ママさんにインタビューをさせていただき

修論という名の作品を書き上げ、出版に向けて動いてみましたが願いは叶いませんでした。

(私の体験の部分だけでも電子書籍で出版する予定です)

 

天使ママの自助グループでスタッフをしながら

私に出来る事を探していました。

 

今では友達付き合いをしている

ペリネイタル ロスを10年以上研究している助産師さんに

アメリカでの活動を教えてもらい

ゆりかごを編み始めました。

 

そして、令和と共に「ちょうちょとおはな」と名乗り活動をはじめました。

 

代表としてはかなり至らない人間ですが

試行錯誤しながら頑張って活動を続けていく所存です。

 

宜しくお願い致します。

 

 

令和3年7月15日 ちょうちょとおはな代表 はなママこと春日まさみ