
“当たり前”を疑え
起こったとき、
あなたはどうなりますか?
どんな顔をして、どんな言葉遣いで、
どんな態度でしょうか?
ちなみに私は
“いつも”と違う状況が苦手です!
今回のキーワードは
“当たり前”を疑えです!!
いってみよー!!
■それは塾の帰り道
■夜17:30
■駅近くの道はとんでもない渋滞
■車内は私と娘の2人きり
どちらが親で
どちらが子どもか
分からなくなるような出来事。
いつもなら、車でささっと10分くらいで帰れる道のりが
その夜は全く進まない日でした。
信号が青になっても進まず、
「いつもならもうとっくに帰れているのに」
と嘆く私。
後部座席の娘は無言でスマホをいじっています。
遠くにパトカーの赤い光が
ピカピカしているのが見えました。
「こんなところで事故かなー。
やめておくれよー。
迷惑だよー。」
片側の道が通行できないその状況に
運転しながら私はそんな言葉を発します。
すると、
後部座席でスマホをいじっていた小6娘が
こんなことを言いました…![]()
そのときと同じじゃん。
そのときはそんなこと思わなかったし、言えなかったでしょー。
いだいっ!
イダイー!
その通り過ぎてなんも言えねぇ。
「なんも言えねぇ。」とはこのことです。
娘には日頃から、
相手の立場になって
考えること
この大切さを伝えてきたつもりです。
しかし、
出来ていないのは私のほうだった![]()
ちーーーん。。。
しかも文句たれたれしていても
渋滞は変わらないんですよね
もはや
どちらが親で
どちらが子どもか
分からなくなるような状況。
NASAKENAI
な・さ・け・な・い
そもそも
・親の方が偉いとか
・長く生きている方が偉いとか
・役職があるから偉いとか
・占星術を知っているから偉いとか
・心理を学んでいるから偉いとか
・スタイルが良いから偉いとか
・勉強が出来るから偉いとか
・お金持ちだから偉いとか
無いんですよね。
私たちは、
今の自分のポジションから
見える世界、感じる世界を軸にして
「自分の考えが正しい」と
優先的に捉えやすいです
昨日まで正しいと思っていたことも、
次の日にポジションが変わると
「えっ、そんなこと言った?」
みたいに無意識で簡単にすり替わる
恐ろしいことです
でも、それが人の無意識です
相手の立場になって
考えること
いつも意識するのは
非常に難しいことですね
(今回の私みたいに
)
だからこそ
自分の視点や感覚だけを
優位にせず
別の視点は無いかな?
今の私に見えていないことはないかな?
と、あえて見直す時間をつくることが大切です。
いくつになっても自分の情けなさを感じるとともに
いくつになっても人は成長できるし、
いくつになっても伸びしろあるぜよ!
たくましい娘のように私もがんばるぜよ!
と感じた帰り道でした
あなたはどうですか?
心に何か感じたとき、
そのときがチャンスです









