徳の積み方 | 自分の思いを表現するブログ

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車の窓から、ふと外を見ると

 

坂道を自転車を押しながら登っている50~60歳代くらいの女性がいて

 

その方が道に落ちているゴミを拾いながら進んでいたんです

 

 

ゴミ拾いがメインではなさそうで


 

たまたま目に入った道端のゴミをためらいなく普通のこととして拾っていて


 

 

徳を積んでいるなぁと思いました


 

 

 

徳を積むと言えば

 

 

ドラマ「ブラッシュアップライフ」を楽しんで観ています






 

 

徳を積まないと来世で思う通りの生になれないため


 

何度も人生をやり直すストーリー

 

 

 

これが現実ならやり直してみたいな~キョロキョロ


 

 

今の記憶を持ったままやり直せたらいいのに


 

なんて思ったことありませんか?

 

 

 

徳を積む行為って色々ありますけど

 

 

以前、知り合いに聞いたのは

 

 

 

例えば、電車とかで席を譲る行為


 

 

これ、徳が積めますニコニコ

 


 

でも「席、どうぞ」と言って譲るよりも

 

 

その方に気づかれないように

 

あたかも自分はこの駅で降ります風に席を立って

 

結果、その方が躊躇なく席に座る

 

 

 

この方がより徳が積めるそうです

 


 

「徳を積む」を調べると


人に知られず、良い行いを積み重ねること


さらに


人に知られないなら「意味がない」と思われる方もいるかもしれません。とはいえ、誰かの「良い行い」がその周囲や他人に、良い影響を与えるのは間違いありません。損得勘定のない日々を過ごすことで、発見できることがあるかもしれません


 

とありました




おそらく


 

人に感謝されるとか、認めてもらうために行うのではなく

 

 

 

自分がそうしたいから

 

 

誰かにどう思われるとか関係なく

 

 

自分はこう在りたいから、という

 

 

 

日頃の在り方が重要

 

 

なんじゃないかなと私は思うんです

 

 

 

 

ついついやりがちですよね

 

これやってあげたら相手は喜ぶんじゃないかなって

 

 

 

それももちろん与える行為なので徳は積めるけど

 

 

 

このやってあげたらがくせもので

 

 

 

誰かに~をしてあげる、やってあげる

 



これって、上からなんですよね



 

 

強いものが弱いものにみたいなマウント入ってます

 

 

 

 

それよりも


 

 

これやりたい!


 

あの人にプレゼントしたい!



 

それをしている自分がワクワクして楽しい嬉しい

 

 

 

これが在り方だと私は思います

 

 

 


 

相手がどうこうではなく

自分がやりたいからやる

 

 

 

自分がやりたいことをやっているから

 

 

たとえ相手がどう捉えようと

 


それは単なる結果

 

 

 

 

もちろんそれで喜んでもらえたら嬉しいし

 

それもまた自分にとっての喜びにつながるけど

 

 


それはそれ、これはこれ

 

 

 

 

席をどうぞと譲って

 

喜ぶ人もいれば迷惑がる人もいる


 


それはそれ

 


 

 

自分のやったことが自分のやりたいことであれば

 

迷惑がる人もいるんだなと思うだけ

 

 


 

本当はやりたくないけど、やってあげる



本当は疲れてるから座っていたいけど


あの人が可哀想だから譲ってあげよう



 

やってあげるの立ち位置は相手の反応次第で変わる

 

 


 

相手に委ねず



 

自分を生きる

在り方を決める

 

 

 

これって結構難しい

 

 

だから徳を積むって意識しないとできないのかもしれないな

 

 

 良い行いを意識するところから始めてみる



続けていくうちに身について



それが自分のベースになっていけば



徳を積み放題〜みたいな♪歩く