『皇帝』を異名として君臨した旧西ドイツ代表レジェンドのフランツ・ベッケンバウアー氏がお亡くなりになりました。

78歳でした。



現役時代は最終ラインの最後尾の中央の『リベロ』というポジションの先駆者でもあり、時折攻め上がって攻撃参加するという、
守備に専念しがちというイメージがあったディフェンダーの概念を根底から覆した人でもあります。




MF、DFとしてW杯に3大会連続で出場。
中でも記憶に刻まれたシーンは2回目の出場となった1970年のメキシコW杯準決勝のイタリア戦、試合中に右肩を脱臼しながらも、ギブスで固定して延長戦まで出場し続けた執念が世界中のサッカーファンの脳裏に今も焼き付いているはずです。




この試合ではイタリアに敗れて大会3位に終わったものの、次の1974年W杯は地元西ドイツでの開催。

この大会の話題を終始独占していたのはヨハン・クライフ率いる『トータルフットボール』のオランダ。
GK以外のフィールドプレイヤーがポジションに固執することなくどこからでも攻撃を仕掛ける革命的なサッカーは新時代の到来を予感させていました。

そして地元の西ドイツは、決勝まで勝ち上がり、相手はそのオランダ。

試合前の下馬評は圧倒的にオランダ有利の声が大半を占めていました。




しかし、ベッケンバウアーを中心とした集中した守備で立ち向かった西ドイツは、その予想を覆して2-1で勝利。

この時キャプテンを務めたベッケンバウアーは誇らしげにジュール・リメ杯を掲げました。


この時ベッケンバウアーが残した名言が、

強いチームが勝つのでない。
勝ったチームが強いんだ。




しかし、かつてこの当時を振り替える時に語ったクライフも負けてはいません。

我々は自分たちのパフォーマンスを重視していた。
ドイツのように勝つだけのチームと入れ替わりたくない。
当時のドイツについては『優勝したんだ』と言って終わりかもしれないけど、
我々については、今日まで世界中のみんなが『あの時のオランダは史上最高のイレブンだった』と言い続けてくれている。
こっちの方がよっぽど嬉しいよ。


僕の意見としてはどちらの意見も正論だと思います。

現代におけるメッシとロナウドの最強論争並みに、当時はベッケンバウアーとクライフどちらが最高かという論争が起きていたかもしれませんが、僕はどちら側でもないです(笑)。

既に先立っていたクライフとはもう向こうで再会してるかもしれませんが、また最強論争に花を咲かせていることでしょうね。



西ドイツ代表では103試合14得点。

所属クラブのバイエルン・ミュンヘンでは73~74年シーズンから欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)を3連覇し、72、76年にはバロンドールを受賞。



西ドイツ代表監督としては、86年W杯メキシコ大会ではディエゴ・マラドーナのアルゼンチンに敗れて準優勝に終わるも、
90年イタリア大会では再戦となったアルゼンチンを決勝で破ってリベンジを果たして西ドイツに3度目のW杯をもたらしました。

W杯で選手と監督の両方で世界一となる偉業を達成したのは、ブラジルのマリオ・ザガロ氏に次いで2人目で、
この後と合わせても現フランス代表監督のディディエ・デシャン氏と合わせても3人しかしない快挙です。




その後はバイエルンの監督や会長、2006年W杯ドイツ大会の組織委員会会長、国際連盟(FIFA)理事などを歴任しました。


正直僕らの年代はリアルタイムの世代ではありませんが、フランツ・ベッケンバウアーが西ドイツ史上最高の選手であることは聞かされていましたし、
昔の映像とかで確認してもそれは紛れもない事実でした。

2020年にはマラドーナが亡くなり、2022年にはペレが亡くなり、昨年2023年にはボビー・チャールトンが亡くなるなど、レジェンドの訃報が相次いでいるサッカー界ですが、
残された我々に出来ることは、そういったレジェンドたちの伝説を語り継ぐことだと思います。

当人はご逝去しても、彼らが残した数々の感動的なシーンは永遠に色褪せることはありません。
もちろんベッケンバウアーもそうです。

自分の自宅にも数々の映像媒体がありますので、久々にベッケンバウアーの名シーンを見ていきたいと思います。




Danke schön!!
ベッケンバウアー!!

安らかにお眠りください…。