第2子が誕生した秀吉。





ドラマ内ではカットされていましたが、これに伴い、先週登場した関白の座を引き継がせた甥の秀次が彼にとっては目障りとなります。
そこで秀吉は、秀次が謀反の疑いあると聞くや否や直ぐ様切腹させて葬り去っています。
この秀次謀反の疑いをリークしたのは石田三成だという噂もあります(-_-#)。



そして明国との和睦案が進められるなか、秀吉が明国に差し出した条件は、明国の姫を帝の妃に、ならびに朝鮮の南半分の割譲でした…。

側近の石田三成でさえも成立は難しいと見ていましたが、彼としては何とかしてこの和平案をまとめなければなりません…。



そしてこの機会に家康は、三成が以前話していた新しい政の形がどういうものかと問いただすと…、




『力ではなく…知恵!
合議によって政を為す…。
志を同じくする者が…共に話し合い皆が納得して事を進めていく…!
そうなれば…天下人の座を力で奪い合うこともなくなりましょう…!

そのような政をしてみたい…。
それが…私の夢にございます!』




『殿下に申しあげてみては…?』



『そのようなおそれおおいこと…。』



『夢を語っているだけでは…夢で終わりますぞ…。』




石田三成がこの時代で既に現代のような合議制を考えていたことは、さすがに『天下一のキレ者』と呼ばれる所以ではありますが、この当時はそれに理解を示せるのは家康くらいだったかもしれませんね…。





そんなある日、家康は三男である秀忠と井伊直政を伴って、既に隠居生活を送る酒井忠次のもとを訪問。
秀忠が祝言をあげることの挨拶でした。

秀忠のもとに嫁いできたのは、お市様の浅井三姉妹の三女の江。
あの茶々の妹です。
秀忠にとっては7歳年上の姉さん女房となります。




そして秀忠はなんとここで忠次にあの『海老掬い』をリクエスト(^_^;)。
本家本元を見てみたいということでしたが、父親とは違う感性を持つのでしょうか…?



最終的には直政と家康も加わってのいわばスペシャルコラボレーションが披露されるのでした(笑)。




『唐入りは…これで収まるとお思いですか?』

『かつて…信長様が言っておった…。
安寧な世を治めるは…乱世を沈めるより…はるかに難しいと…。』




すると忠次はいきなり家康に抱きつき、

『ここまで…よう堪え忍ばれましたな…。
辛いこと…苦しいこと…よくぞ乗り越えて参られた…。



『何を申すか…。
おぬしがおらねば…とっくに滅んでおるわ…。』



『それは違いますぞ…。
殿が…数多の困難を…辛抱強く堪えたから…、
われら…徳川は生き延びてこれたのです…。

殿…ひとつだけ…願いを言い残してもようございますか…?』

『なんじゃ…?』

『天下を…お取りなされ。
秀吉を見限って…殿が…おやりなされ…。』



『天下人は…嫌われるばかりじゃ…。
信長にも…秀吉にも出来なかったことが…わしに出来るのか…?』



『殿だから…出来るのでござる!
戦が嫌いな…殿だからこそ!
嫌われなされ…!
天下を…取りなされ!』




長きにわたり家康を支え続けてきた忠次にとってこの上ない頼もしいひと言に思わず涙する家康…(´;ω;`)。

忠次は立派な遺言で家康の背中を押してくれました…。




その3ヶ月後…。
忠次は静かにこの世を去りました…。
享年70歳…。

家康がひ弱な白兎だった頃の若かりし頃から共に様々な苦難を経験し、時期的には家康が天下を取る寸前でのご逝去でしたが、やるべきことはやり遂げたという満足感に満ちた安らかな死に顔でした…。




演じた大森南朋さん…。
昨年4月の朝ドラ『ちむどんどん』ではヒロインの父親・賢三さんはわずか1週間で亡くなってしまいましたが、
今回の酒井忠次役はおよそ10ヶ月も登場したということで見事に賢三さんの無念を晴らしてくれたことと思います…(´;ω;`)。




改めまして大森南朋さん、お疲れ様でした。
『海老掬い』も素敵でした(*≧∇≦)ノ!!




そして、文禄5年(1596年)、明国の使者立ち会いのもと、例の和睦案が成立しようとしていましたが、



後にこの和睦案が小西行長らがでっち上げた偽の和睦案だったことが発覚し、秀吉は激怒!

再び朝鮮に出兵して戦を仕掛けようとしていました…。



秀吉を説得したのはここでも家康…。
なんとか秀吉に戦の再開を思い留まらせようとしますが…、

『内府(家康)…、
これは…賭けやわ…。
このままでは…先の戦で…何も得られんかったことになる…。
何かを得るためには…この戦…今一度突っ込む他…ねぇ…。』

『我が軍勢は出しませんぞ…。』

『勝手にせぇ…。』




さらに秀吉は、家康に近づき…、

『家康よ…長久手での戦を覚えていよう…。
わしは…あの合戦で…そなたに負けた…。
が…戦っちゅうものはな…勝てなくても…利を得る術はいくらでもある…。
ここ(頭)には…無限に策が詰まっておるでのぉ…。
わしに…任しときゃええがや…。』





翌年の慶長2年(1597年)6月…再び秀吉の名による朝鮮出兵が決行されてしまいました…。




しかしそういった中、秀吉が突如倒れます!



死期が迫った秀吉は、まずは三成を呼びつけて、自分亡き後の政について意見を求めます。
しかし秀吉の『次の天下人は誰じゃ?』という問いに三成は、




『天下人は…無用と存じまする…。
豊臣家への忠義と…知恵ある者たちが話し合いを持って…政を進めるのが…最も良きことかと…。』

秀吉に対して初めて自分がかねてより理想としていた『合議制』を提案するのでした…。




秀吉も、
『わしも同じ考えよ…。』
と三成の意見に賛同の意思を示してはいましたが…。





日に日に容態が悪化していく秀吉は、今度は家康を呼び出して事実上の最後の会話を交わします…。

まず、秀忠の娘である千姫を秀頼に嫁がせることを指示。
家康は、それを受け入れた後、朝鮮攻めの後始末について問いただします。




『世の安寧…民の幸せを願うならば…最後まで天下人としての役割を全うされよ!』



『そんなもん…嘘じゃ…。
世の安寧など…知ったことか…。
秀頼が幸せなら…それでええ…。
天下はどうせ…おめえに取られるんだろう…。』



『そんなことはせん…。
わしは…治部殿の政を支える…。』



『白兎が…狸になったな…。
知恵出し合って話し合いする…?
そんなもん…うまくいくはずがねぇ…。
豊臣の天下は…わし一代で終わりだわ…。』



『だから放り出すのか…?
唐、朝鮮の怒りを買い、秀次様を死に追いやり、諸国大名の心は離れ、民も怒っておる!
こんなめちゃくちゃにして放り出すのか!?』



『そうじゃ…なんもかんも放り投げて…わしはくたばる…。
あとは…おめぇがどうにかせぇ…。』




『秀吉!
大嫌いじゃ!』



『わしは…おめぇさんが好きだったで…。
信長様が…ご自身の後を引き継ぐんは…おめえさんだったと…そう思ってたと…思われる…。
悔しいがな…。』



『天下を引き継いだのは…そなたである…。
誠に…見事であった…。』




『すまんのう…。
うまくやりなされや…。』



『二度と…戦乱の世には戻さぬ…。
あとは…任せよ…。』





これにより因縁のふたりの会話は幕を閉じました…。




これで思い残すことはなく死ねると思っていた秀吉でしたが、
死の間際、愛妾の茶々から恐ろしい言葉を囁かれます…!




『秀頼は…あなたの子だとお思い…?
(※首を横に振った後、)
秀頼は…この私の子…。
天下は渡さぬ…!
あとは私に任せよ…。
サル…!!』




恐ろしいメッセージを聞かされて断末魔に突入した秀吉は、恐るべき死に顔のままこの世を去るのでした…。




なんかはぐらかされたシーンでしたが、
秀頼は秀吉の子にあらず…?
これについては様々な疑惑があります。
実の父親は石田三成説、小西行長説、大谷吉継説などあげだしたらキリがないほどの様々な説があります。



もしも先週家康に近づいてきた茶々が他の武将たちにも同じように近づいていたとすればこの疑惑は深まるばかりです。

僕が若い時に今は亡き父に聞いた話では、父は『石田三成説』を取っていたようで、今の我が家でもこの説が主流となっています。

果たしてこの『秀頼出生の疑惑』は今後このドラマでも展開されるのでしょうか…?






家康は葛藤していました…。





石田三成の提唱する、天下人を置かずに知恵ある者が集って政を行う合議制に従うか…、
今は亡きかつての側近の酒井忠次の遺言を受け入れて自らが天下人になるか…、

これまでで最大級ともいえる『どうする』を迫られていました…。



そして次回は、ついに次なる天下人に向けて動き出す徳川家康!




そこに立ちはだかるは前田利家や毛利輝元といった大大名たち!



そしてついに決裂して一転して宿敵と化す石田三成!

天下分け目の大戦が目前に迫ってきました!