天正 17年(1589年) 5月…。

茶々は秀吉の子・鶴松を出産。
秀吉にとっては 待望の跡取り 誕生の瞬間でした。




意気揚々の秀吉は 関東の北条攻めに取り掛かりました。







現当主である 北条氏直は、 家康の娘である妻のおふう とともに 父氏政の説得にあたりますが、 氏政 は全く聞く耳を持たない様子…。





一方で京都では家康による 秀吉 への説得が続いていました…。
秀吉が家康に与えた時間は3ヶ月…。
それまで 北条 を説得し戦を食い止めなければなりません。




そして 先週於愛の方様が亡くなったばかりですが、 今週になって初登場したのが 同じく家康の側室である松本若菜さん演じる 阿茶局様。

武田家 出身。
武芸にも長けた豪傑 でもあります。
於愛の方様亡き後は、後の江戸幕府第2代将軍となる 秀忠を立派に養育したこととしても知られています。




その阿茶様と 本田正信 を交えての 軍議。
秀吉は北条を滅ぼせば 旧北条領を家康に与えると話していましたが、正信はそんなうまい話があるわけないと疑います。




阿茶様も正信も、 北条領と引き換えに 徳川の所領全てを奪い取るつもりだと 推測…。

自分たちの国が無くなる…。
そんなことが知られたら 家臣たちは大パニックになります…。

国替えを防ぐには 北条 を説得するしかないのです…。



天正18年2月10日 駿府より徳川軍出陣。





続く3月1日都より関白 秀吉 勢出陣。
総勢 20万とも言われる大軍勢が北条の本拠地である小田原を襲撃。




しかし、これだけの大軍勢に囲まれながらも北条は籠城を続けて粘り、そのまま3ヶ月が経過…。
3ヶ月…それは秀吉が与えた猶予期間でもありました…。




抗い続ける北条ではありましたが、そういった中彼らの間の前に現れたのは、かの有名な石垣山の『一夜城』。

抵抗し続ける北条勢でしたが、これにはもはや絶望するのでした…。



もはや戦の決着はついたような中、家康はなおも秀吉に北条との和睦を願い続けますが、秀吉は全く聞き入れません。




そして…家康たちの推測通り、秀吉は旧北条領を徳川が治め、旧徳川領は別の者に与えるという『国替え』を命じたのです!

そして 秀吉が家康に統治を命じたのは 小田原ではなく 江戸…。




現在の世界的大都市 東京ですが、当時は山や 沼地 ばかりの未開の地…。
ゼロからの町作りをしなければなりません…。




『おぬしは…江戸。』

秀吉の本音としては自分に意見する 目障りな 家康を 関東のど田舎に追いやる 魂胆でした…。

さらに秀吉は、家康の重臣たちもひとり立ちさせよと勝手に彼らの治める土地まで決めようとします。

家康を関東に追いやるだけではく、側近の家臣たちをも引き剥がして徳川の力をさらに削ごうとも企んでいる様子…。



『我が家中のことに関しては…口出し無用にしていただきたい!』

しかし秀吉は相変わらず全く聞く耳を持たず…。





その9日後、北条家当主・氏直が降伏…。
おふうも無事に救いだされました…。





そして、家康は小田原城に入城して氏政と対面…。
彼は家康の話にはほとんど耳を貸さずに『腹を切る』とだけ話して立ち去ろうとします…。




そんな氏政に家康が『なぜもっと早くご決心なさらなかった?』と問うと、氏政から最後意外な言葉が語られました…。





なんと彼は今川氏真とその妻・糸から、瀬名が夢見た『太平の国作り』の夢を聞かされており、彼自身は外部から誰にも侵されることなく関東の民と穏やかに暮らしていたかったのだと話します…。




『なぜそれが許されんのかのう?!』




『世は…変わったのでございます…。』



『その変わりゆく世に…力尽きるまで抗いたかった!
徳川殿…この関東の地…そなたが治めてくれるのであろう…?
わが民を…よろしく頼みまするぞ!』




この後、江戸に幕府を開いて天下泰平をもたらす家康…かつてこの関東を治めていた北条家の思いも受け継いでいくこととなるんでしょうね…。





そして、辛い戦を終えて気が沈みがちな家康の目の前に現れたのは、あの石田三成でした…。



『小田原を制したお祝い…、
そして…関東へのお国替え…おめでとうござりまする!』


『その事は…殿下ともう一度話すつもりじゃ…!』




しかし三成によれば、織田信雄もまた国替えを命じられたものの、それに異を唱えたために秀吉に改易…すなわちクビにされたというのです。

これにより織田家は事実上日本の表舞台から姿を消すことになります…。

例え恩ある織田家であっても平気で録り潰す非情な秀吉…。

『徳川様は…どうかご辛抱を…。』



『わしは 戦なき世を目指すため殿下に従った…!
今の殿下のやり方は…ついていけん…!』




『殿下は…賢明なるお方!
これまで一度として間違ったことはございません!

もし万が一 殿下が間違ったことをなさった時は
この三成が!
お止めいたします!』


アンチ秀吉プラス、アンチ三成でもある僕からすれば、この後の事を考えて、

『おぬしもこの後 散々間違ったことしとるやろ(#゚Д゚)!!』

と突っ込みたくなりますが、今回の中村七之助さんの穏やかな雰囲気の三成はまだ嫌いにはなれないので、なかなか今のタイミングではそうは言えません(ノ∀`)。




『 戦なき世を目指す…!
私はかねてより 徳川様と 同じ星を見ているものと心得ております!
ともに力を合わせて参りとうございます!』

この時はその穏やかな三成の説得により、少しモヤモヤが吹き飛んだようになった家康…。





そして、ついに重臣たちに国替えを知らせる時がきました…。



『関白殿下の命により…国替えとあいなった…。
北条領を賜る代わりに…我らの領国を…関白殿下に差し出す…。
三河も…手放す…。

国を発つ前に伝えなかったのは…混乱を避けるためである…。
異論は認めぬ…!』





大混乱に陥るかと思いきや、重臣たちは…!

『殿!
関東も良きところに相違ござらん!』




『我らはとっくに…覚悟が出来ておりもす!』



『新たな領国を治めることも…大いにやりがいのあること!
腕が鳴りまする!』



『故郷には…ちゃんと別れを告げて参りました…。』




なぜ彼らはこれほどまで素直で潔かったのか…?

それは三河から小田原に出発する前に、大久保忠世が前もって国替えの可能性を家臣たちに伝えて説得していてくれていたからでした。




他の家臣たちに袋叩きにされ、針の筵にされながらも、彼は家臣たちへの説得を見事に成し遂げてくれていたのでした。






『皆…本当は悔しかろう…?
このようなことになり…すまなかった!』



『おやめください!
なぜ謝るのです!』


『その通り!
この乱世を我らはこうして生き延びたのですから!
それで…十分!』


『そうじゃ!
今川、武田も滅び、織田も失った乱世を!我らは生き延びたんじゃぞ!』


『貧しくてちっぽけだったわしらがな…信じられんわ!』


『しかもあの弱虫な殿のもとでじゃ!
これ以上何を望みましょうか?!』


『殿!
殿のおかげでござる!
ありがとう…ござりまする?』




『こちらこそじゃ…!
こんなわしに…よう付いてきてくれた…!
よう支えてくれた!
皆のおかげじゃ…!』





鉄よりも固い絆で結ばれていた徳川家臣団…。
それを改めて示したこのシーンに全国の視聴者が涙を流したはずです(´;ω;`)。

家臣たちも各々が城持ち大名となったことで三河の徳川家臣団はひとまず解散となりましたが、そう遠くない将来に再結成して戦国最後の戦を戦うことになります…。



そして北条が滅んで間もなく、豊臣秀吉が日の本の天下統一を達成。
この国が初めて統一された瞬間でもありました。



病身で伏せっていた秀長は安堵した様子でしたが、

『兄様…これ以上の欲は張りなさんなよ…。』

彼にはまだ兄に対しての心配ごとがあったのです…。



そして天正19年(1591年)8月5日…。

全てが順風満帆だったはずの秀吉に突然の悲劇が襲いかかります…。

やっと授かった愛息の鶴松がわずか2才で早世してしまったのです…。



絶望に打ちひしがれる秀吉は涙ひとつ流せず、この悲しみが逆に新たなる野望に火をつけてしまったかのように…、

『次は…何を手に入れようかのう…?』




そして、家康が江戸で着々と町作りを進めていた天正20年(1592年)、突如として秀吉から文が届きます…。

それは戦への参陣の命…。
朝鮮を従えて明国を獲るという途方もなく無謀な戦がついに始まろうとしていました。



そして次回はついに始まる秀吉の朝鮮出兵!




劣勢に立たされる窮地の中、家康がついに信長の時同様、秀吉に対しても爆発!



さらには何故か家康に接近する茶々!
一体どういうことなんでしょうか?!