武田信玄との決戦を控え、それぞれの家族との時間を過ごす家康とその家臣たち…。


今生の別れになる可能性もありましたからね…。




武田の遠江での進撃は凄まじく、3日にひとつのペースで城を次々と追い落とす凄まじい早さで家康の浜松城に迫っていました。



そしてさらに駿河から高天神城に向かう大群もあり、
その軍は難攻不落と呼ばれたその高天神城を易々と落としたと言うのです…。





次に武田が向かう先は見附城…。
本多勢が偵察に向かいましたが、武田の主力である山県昌景の赤備え隊に見つかってしまい、戦闘となります…。



何とか戻ってきた本多勢でしたが、本多忠真と忠勝は傷だらけ…。
忠勝は顔についたその血を掠り傷だの、返り血だのと強がりましたが、
その姿を見た一行は誰もそれを信じることが出来ず、武田の強さを改めて思い知ることになります…。



武田の進撃に為す術がなく、手をこまねいていた家康の元に、叔父の水野信元がやってきます。




しかし、彼が持ち込んだ信長からの伝言は、
『この浜松にて武田を食い止めよ。』
という端的な内容でした。

肝心の援軍については、
『浅井・朝倉との戦の真っ只中なので出せない』
と返され、水野と家臣たちの間で激しい言い争いに…。




すると家康は水野に対して、

『共に2日だけ城を抜け出し、いつもの場所で鷹狩りをしよう』

という伝言を信長に伝えるように指示しました…。





こうして『いつもの場所』で顔を合わせた信長と家康…。

『あれほど信玄を怒らせるなと言ったろうが…。』

『信玄の狙いは…あなたです…。』


『どうやる?策を申せ。』

『策は…桶狭間…!』

『エサは…?』

※ちなみに信長が今川義元を討ち果たした時のエサは、家康が決行した大高城の兵糧送りでした。

『『家康』…それしか手はないと存じます。』

『俺も同じ考えじゃ…。』




その後家康は、信長の戦の戦況を確認した上で兵を5000ほど貸してほしいと頼みますが、信長は3000だと譲りません…。

『徳川と織田は、一蓮托生であることをどうかお忘れなく!』





すると信長は、家康の頬をつねり、

『死にそうな顔した大将には誰もついてこんぞ…。

楽しめ!
一世一代の大勝負を!』




『俺とお前は一心同体…。
ずっとそう思っておる…。

信玄を止めろ…。
俺は必ず行く…。』





ここ最近は喧嘩ばかりしていましたが、やはりなんだかんだ言っても信長は家康にとっては頼れる兄貴分ですね…。





その後家康は岡崎の築山を訪れ、瀬名との束の間の一時…。

息子・信康がたくましく成長したことを喜ぶ家康に対して、彼がやがて武将になることを憂う瀬名は、




『どうしてでしょう…?
誰だって人殺しなどしたくはないのに…。
どうして戦はなくならんのでしょう…?』






『この乱世…弱さは害悪じゃ…。
これはわしの弱さじゃ…。
ここに置いていく…。

瀬名…そなたは…何があっても強く生きよ…。』

下手をすれば遺言になっていたかもしれないこの言葉…。



『ここは夢のような場所じゃ…。
ここには指1本触れさせぬ…!』





その一方で命に代えてもこの三河の地だけは守り抜くという強い意思の表れでした…。




そして、信長がよこした援軍として水野信元と佐久間信盛の軍3000が浜松城に到着。




家康たちが武田軍を迎え撃つべく考えた策は『籠城』でした。
信長が浅井・朝倉との戦を終える予定の1ヶ月間を耐え、戦を終えた信長軍が浜松城を囲む武田軍を背後から攻めて
城内の徳川軍と挟み撃ちをする計画でした。
時を同じくして岡崎の信康軍も駆けつけ、武田の退路をことごとく断つ…、

この策のために家康が仕掛けたエサは浜松城と家康自身そのものでした。

戦国最強の武田といえどもこの策にかかればひとたまりもないはず…でした。





そして浜松の城下では、武田が攻めてくることに怯え、民たちがこぞって荷などを背負って逃げ惑うなか、ひとり余裕ぶっこいて団子を食らっていたのが、あの井伊虎松…。
憎き家康が武田に叩きのめされる瞬間を高みの見物をしようという憎たらしさ…。






そして、浜松の城下に姿を表した武田信玄の本軍…。




家康たちも臨戦態勢を構え、

『さぁ来い!武田信玄!』




しかし!
武器を構えた家康たちは唖然!

なんと武田軍は浜松城へは向かわず、その脇道を進軍!
まさかの浜松城を素通り!




信玄にとっては家康など眼中になしであくまで家康ではなく、信長だということでしょうか…?
家康にとってはこの上ない屈辱!




一方の武田軍は、そんな家康の狼狽ぶりが丸見えであるかのように山県昌景や穴山信君らは馬上で嘲笑い、




嫡男の四郎勝頼はまだ父の考えが分からぬようで、

『この後どうするでしょう?』




『まずは家臣一同…揉めるであろうな…。』


まるで徳川軍の様子を全てお見通しと言わんばかりの戦神・武田信玄…。





『さぁ…よぉく考えることじゃ…。
遠江の民が…見ておるぞ。』





このまま何もしなければ、徳川家康は敵に対して何もせずに通した腰抜けの汚名を着せられ、遠江の民からの信用も失墜します。
それを見越してか、あの武田軍の忍の千代もそういった噂を城下でばらまいていました。



信玄の読み通り、浜松では家康の家臣たち、そして織田方から馳せ参じた水野信元や佐久間信盛らにより議論が紛糾!

このまま武田を行かせたら、遠江の民たちの信用も失くすということで、城を出て追撃すべきと言う家康の家臣たちに対し、




織田方の水野と佐久間は、あくまで信長の指示通り織田本軍が到着するまで籠城すべしと意見が真っ二つに割れます。



信玄をこのまま行かせれば、信長のいる岐阜に向かうことになりますが、その途中には三河があります。
そこには家康が何を置いても守り通さなければいけない瀬名や信康ら家族がいます。

石川数正の言葉でようやくその現実を思い知った家康…!





熟慮した家康の決断は…!

『追撃』でした!



地の利に勝る徳川軍は、現在武田軍が突き進む経路を逆算…。
浜松城の先の坂道を抜けた先は三方ヶ原…さらにこの先は細い崖道…。
その狭い道を通る頃合いに背後から攻めればいかに最強の武田軍といえども勝算はあります。





『皆の者…。
わが屋敷の棟を踏み破って通られて…そのままにしておくことがあろうか?!

戦の勝ち負けは、多勢無勢で決まるものではない!

天が決めるんじゃ!

直ちに武田を追い、後ろから追い落とす!

出陣じゃ!』






浜松城から勢いよく飛び出し、進軍する武田軍を追跡する徳川軍!




しかし、崖道の直前の三方ヶ原にたどり着いた家康たちが見たものは!!









こちらに向けて既に陣を構えていた武田軍の姿でした…。

彼等は家康の心理を手に取るように読みきり、家康がこの三方ヶ原に到着する頃合いを見計らってここに陣を構える算段だったのです…。

一度までならず二度までも徳川軍の策を見抜いた信玄…。



エサを仕掛けたつもりが、逆にエサにかかってしまった家康!





「勝者はまず勝ちて、しかるのちに戦いを求む…。
敗者はまず戦いて、しかるのちに勝ちを求む…。
わっぱよ…、戦は勝ってから始めるものじゃ…。」


もはや絶体絶命、万事休すの家康!!





『かかれえぇぇぇ!!』




こうして開戦した三方ヶ原の合戦。
結果は火を見るまでもない徳川方の大惨敗…。









そして様子を見に来た虎松が目にしたのは、武田軍が討ち取ったという『金陀美具足』を纏った武将の遺体…。
彼等はその者の首まで持っていました…。

おそらくは家康の身代わりとなった影武者だと思われますが、その正体は…?!





そして次回!
家康討ち死という情報が広まる中、

浜松城に向けて進軍する武田軍!





信長は武田を迎撃する体制に!





そして肝心の家康の安否はいかに?!