踊り子に成り済まして家康に襲いかかった刺客…。
捕えてみるとそれは年端もいかない少年でした。

本多忠勝、榊原小平太、鳥居忠吉らによるリンチで口を割らせようとしますが、なかなかそうはならないその少年…。





しかし、家康が現れると突然雄弁となり上等な口を利き始めます。

『なぜわしを襲った…?
わしを恨んでおるのか…?』




『おまえのせいで俺の家はメチャクチャになった!

今川様を裏切り、遠江を掠め取った!
遠江の民はみんなお前を恨んでおるわ!
徳川家康は裏切り者の疫病神だとみんな申しておるわ!
遠江から出ていけ!』





(※夏目広次)
『今川にはもう力はない!
誰かがこの地を治めねばならんだろう!』





『武田様がいる…。
武田様は我らの味方!
我らの暮らしを助けてくる!
武田様こそ新たな国主様に相応しい!

お前など武田信玄に滅ぼされるに決まっとる!

ざまぁみろぉ!!』





ブチ切れた鳥居忠吉たちはその場でその少年を始末しようとしましたが、




家康は『この者の姿は遠江の民の姿そのもの』であるとし、次に彼に会う時に敵となるか味方となるかは我らの今後の行い次第だということで今回は放免とすることにしました…。





そしてこの少年・井伊虎松こそ、この後、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政(小平太)と並び、『徳川四天王』の最後の1人となる後の井伊直政です。




『おんな城主 直虎』では菅田将暉くんが熱演したことが記憶に新しいこの井伊虎松ですが、今回は登場のタイミングはもちろん、家康に仕官するタイミングも全く違うため、この反抗的な少年が如何にして家康に仕えるようになるかが非常に興味があります。



そして今回その虎松を演じるのは板垣李光人くん。
『青天を衝け』では、主人公・渋沢栄一と共にパリへ赴いた徳川慶喜の弟・昭武を演じました。
あの時もあどけなさが残る少年っぽい感じでしたが、美男子と噂された井伊直政にどのようになっていくのかが楽しみです(^-^)。




どうやら武田信玄は千代を使って遠江中にあの金・甲州金をばらまき、民たちを自分のもとへ引き込んでいるようで、家康が遠江を治めるのは至難の技となっていました…。

しかしそもそもは以前交わした密約は、武田は駿河を、遠江を武田と徳川が互いに切り取り次第という曖昧なもの…。
遠江の民を従わせるためには武田に取り入ってしまっている民を何とかして引き込むしかありません…。




1番手っ取り早いのは武田と戦をして力付くで遠江を奪い取ることですが、
冷静に考えれば文字通り、ひ弱な白兎が獰猛な虎に喧嘩を吹っ掛けるようなもの…。
家康の家臣たちでさえ十のうち九つどころか、九分九厘は負けると考えるのも当然です…。


結論は地道にコツコツやるしかないということに…。

何より信長さえも恐れるこの『甲斐の虎』を絶対に怒らせてはいけないのです…。



そしてこの頃、家康の母・於大の方とその後夫の久松長家の次男で、家康にとっては義兄にあたる松平源三郎勝俊という少年が三河から甲斐へ人質として送られていました。






ある日、『息災にございます』というような書状が於大の方のもとに送られてきましたが、源三郎の字ではないという疑惑が浮上し、
実状を探らせるために、於大の方は服部半蔵を甲斐へ潜り込ませることにしました…。




こうして大鼠と共に甲斐へと潜り込んだ服部半蔵…。
最終的に発見したのは変わり果てた源三郎の姿でした…。




どうやら幽閉されていたようで、普段から酷い仕打ちを受け、衰弱していたとの内容を半蔵は家康に報告…。





甲斐の侍は普段から相撲部屋のぶつかり稽古のような厳しい訓練をしており、弱き者は弾き飛ばされるそれは云わば弱肉強食の世界…。

かつて家康も幼き頃の尾張での人質時代に信長からそのような仕打ちを普段から受けていましたが、それ以上かもしれません…。



そんな厳しい環境に耐えられなかった源三郎は逃亡を図ろうとするも失敗し、今は幽閉されてしまっていたのでした…。




ところがそんな惨状の報告を受けながら、家康は半蔵に対して、
『源三郎は書状の通り息災であったと…母上にはそう伝えよ。』
という冷たい決断…。

信玄を鎮めるために事を荒立てたくはないのは分かりますが、相変わらずな根性なしの殿であります…。





一方の武田信玄は…遠江に続いてさらにはそのすぐ西の三河にまで手を伸ばし、作手、田峯、長篠といった領地の民とも自分の味方に引き込んでいました…。

今川氏真の時と同じように、今度は家康さえも追い詰め始めました…。





四面楚歌状態の家康は、信玄のかつての最大の宿敵だった越後の上杉謙信に書状を送り、援助を頼もうと画策。




しかし、その書状を持った使者は、その道中である信濃で千代たちに襲われてしまい、肝心の書状も奪われてしまいます…。

※今や信玄の領土と化した信濃を通ること自体が無謀であるやろ…。




信玄にその内通計画は見事にばれてしまい、これで盟約を破棄されたこととなり、
信玄は家康潰しの一貫として彼をなじる書状を方々におくって調略をさらに強め始めました…。



こうなると真っ先に心配しなければ行けないのは、甲斐に人質となっている源三郎の身の安全。

家康は再び半蔵を甲斐に向かわせ、源三郎を救出しようとしますが…、





どういうわけか今回もその動きは千代に突き止められてしまいます。




信玄自身は、それをわざわざ自ら源三郎に知らせる余裕ぶり…。






半蔵たちは源三郎を救出し、最後は敵に囲まれながらも、大鼠がひとり残り、追手を食い止めたことで、半蔵と源三郎の2人だけは脱出に成功…。



後に命からがら逃げ延びるも意識が朦朧としていました…。
果たして彼女の安否は…?




こうして源三郎は三河に無事に帰還…。




源三郎の口から明らかになった甲斐でのスパルタ指導の実態…。
それはまさに昭和の相撲部屋、またはかつてのPL学園のような全国レベルの野球部のような厳しい武士としての修行でした…。




それでも心優しい源三郎はそんな厳しい指導を施した武田家を恨むことはせず、自分がそれに耐えられなかっただけと説明します(´;ω;`)。



中でも恐ろしかったというのが、信玄の四男にあたる嫡男の武田四郎勝頼…。
誰よりも鍛え上げられた強者だったと言います…。

『彼らはバケモノでございます…。
甲斐の侍と…戦って勝てる者などおりませぬ…。』




そして意識が孟浪となりながらも源三郎は声を振り絞って、信玄から授かった恐ろしい伝言を家康伝えます…。






『弱き主君は害悪なり。
滅ぶが民のためなり。

生き延びたければ…わが家臣となれ…。
手を差しのべるのは…一度だけぞ…。』



改めて武田信玄の恐ろしさを思い知らされた家康は、すっかり自信を失くしてしまい、集まった家臣たちに対し、このまま徳川に残るか、武田に寝返るかは各々で決めてよい…と呼び掛けます…。

そこにいた家臣たちのほとんどは、

『信玄の家臣になった方が生き延びれましょう』
『これで信長とも手は切れましょう』
『遠江も三河も信玄にくれてやりましょう』

といった武田への寝返りに向かう意見ばかりが目立ちました。




あまりの惨めな状況に家康は目に涙を浮かべながら、

『戦っても…十に九つは負けるんじゃぞ…。』





すると真っ先にそれを反する発言をしたのが本多忠勝…。

『戦っても十に一つは勝てる…。
殿!
信長はそれを桶狭間でやりましたぞ…!』


『わしは…信玄になにひとつ及ばぬ…。』




すると今度は夏目広次!

『恐れながら殿…。
殿にはこの家臣一同がおりまする…。
この家臣一同…知恵を振り絞れば…、
きっと!信玄に及ぶモノと存じます!』



目に浮かべた涙が頬をつたった後、家康はついに決断しました…。





そして甲斐の信玄は…。

実はこの時病魔が信玄の体を蝕んでおり、信玄自身も死期を悟り始めており、嫡男の勝頼に後の事を任すと言ったような事実上の遺言を送っていました…。




そしてついに信玄自身も自分に残された時間の全てを賭けるべく上洛に向けて動き出します。


『天下を沈め、世に安寧をもたらす!
それは容易いことではない!

織田信長…!
その器にあらず!

彼の者…敵を増やし、戦乱を広げるばかり!
民はいつまで苦しめばよいのか…。
この期に及んで見て見ぬふりをするわ…わが罪と心得たり!
時は今!
この信玄!
天下を沈め、人の心を沈めるため、都へ向かう!

敵は…織田信長!

まずはその路上に転がる…小石を退かさねばな…。
これより浜松を目指し、徳川家康を討つ!』


『いざ風の如く進め!』






そして家康たちも臨戦態勢の準備を整えていました。

『この地を守り抜き、
武田信玄に勝つ!

今こそ我らが桶狭間を為す時ぞ!』






そして次回!
ついに最強の敵・武田信玄に挑む家康!




相変わらず余裕をぶちかます信玄に振り回される徳川軍!

今回の三方ヶ原合戦はどのように繰り広げられるのでしょうか?!