今川から取り戻した妻子と共に過ごす日々がスタートした元康。




しかし、その上でまず取りかからなければならなかったのが名前の改名。
『元康』の『元』は今川義元から一字頂いたとだけあって演技が悪いということで信長から改名を指示されていました。




検討に検討を重ねた結果、元康が新たな名前として決めたのが『家康』でした。

三河をひとつの家として捉え、三河の民をも全て家族として考え、平定したいという願いからでした。




そんな中、突如として信長の使者として、あの木下藤吉郎が訪ねてきます。
信長から鷹狩りの誘いということで、三河領内である西尾に呼び出されます。





早速鷹狩りの装備で信長のもとを訪れた元康改め家康でしたが、そこにいた信長は鷹狩りとは無縁な何やら殺伐とした表情でした…。



そして家康の背後に放り出された数名の捕虜…。
その者たちは吉良義昭、大草松平といったかつて家康が敵対した者たちの手先で、家康や信長に対して謀反を企てていたいうのです。




『わしの家だの…ひとつの家だの…よくそんなことが言えたもんだな…。
こいつらが手を組んで立ち上がったらどうなる…?
あぁ(#゚Д゚)?!




俺はこれから美濃の平定にはいる…。
おぬしにはこれから三河を抑えてもらわねばならぬのだ!』

家康は直ぐ様岡崎に戻り、戦支度を始めました…。




それから三河平定のための戦は3年がかりで続きました。

次第に銭も兵糧も尽きかけており、新たな銭や兵糧を調達するために苦慮する家康たち…。



そんな時、瀬名から聞き出した一向宗という宗教団体の拠点である本證寺の話から家康は大胆なことを思い付きます。





今川義元が三河を治めていた時代に、本證寺は武家からの免税を認めさせ、生活にも干渉しない『不入の権』を認めさせていましたが、
家康はそれはおかしいとして、いったい本證寺内の者共はどのような生活をしているのかと自ら偵察することにし、御供として本多忠勝と榊原小平太、そして本證寺の様子に詳しい土谷重治を同伴することに。



一方で普段から好奇心が強い瀬名も変装して本證寺に潜り込もうとしていました…。



こうして土谷重治によって案内されて訪れた本證寺ですが、そこはとても寺とは思えない規模の、いわば大きな街とも言えました…。




さすがに外部からの干渉を断っているだけあり、毎日賑わい続けるという『街』…。



そしてこちらが本證寺の住職・空誓…。





この日も寺に集う民を集めて説法を行い、それを聞いた民は一喜一憂する…現代の宗教団体でもよく見られる光景ですね…。




そして空誓は、民が今日食べるものにも困るのは、戦ばかりやってる阿呆どものせいだと説きます。




それを端から聞いていた家康は、寺の巫女・千代を通じて空誓と面会…。



『何故、城に年貢をお納めにならぬのですか…?』
いきなり家康はストレートな質問をぶつけます。



『寺にその務めはねーからじゃ。』

『他の宗派は納めてます。
なのに、一向宗だけは…その務めを果たさず、自分達だけ…。』

『さっきも言ったじゃろう…政をしてる連中が阿呆だからじゃ…。
阿呆に銭を貢いでも…阿呆は戦にしか使わん!
死に金じゃ…。』

『戦をしたくてしてしているわけではない!
…のだとと存じます…。

国を守るために…民を守るために…少しでも国を豊かにするために…皆命がけで…。』

『戦をしてはならないのであれば、戦を止めるにはどうすればいいのですか…?』




『知らん!
生きとる世界が違う…。
苦しみを与える側と…救う側じゃ…。』


神仏など一切信じない信長のようにまだこのような僧侶たちを論破する信念や理想がない家康は、何も言い返せませんでした。

もしこれが信長ならどのように空誓を論破していたでしょうか?




それでも、この寺での無法ぶりに納得できなかった家康は、寺内から米を強奪するなど、これまで免税をしていた一向宗の寺という寺からも税を取り立て始めました。



しかし!
直ぐ様一向宗の門徒たちも反撃を開始!

家康に奪われた米を直ぐ様強奪し返しました。




武家の暴挙に怒り狂った空誓は、門徒たちを奮い立たせて家康を『仏敵』であると説いて立ち上がるように促します。


いまここに『三河一向一揆』の幕が上がります!




次回ついに始まる三河最大級の戦!

タイトル通り、仏門に仕える者達を相手に家康はどう立ち向かうのでしょうか?!