皆さんは、自分が「何者」で
何が「強み」で
何が「弱み」で
何を目指して生きていますか?
それ、即答できますか?
もし即答できないなら、
「自分らしく生きる」なんて、
実は土台無理な話かもしれません。
私は少し思考がややこしいタイプなせいもありますが、
ずっと「『らしく』って何だよ?」と思ってきました。
「自分らしく」じゃなくて、 大事なのは「自分」そのものでしょ、と。
でも最近、本質分析を深める中で、
その視点は間違っていなかったと確信しています。
「自分」を封印する代償
本質を分析していると、ある残酷な「法則」が見えてきます。
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「自分」を封印する
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「自分」を歪ませる
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「自分」を偽る
これを繰り返すうちに、
人は「自分」が分からなくなり、
人生という迷路で遭難している。
これは単なる精神論ではなく、データ的にも明らかなんです。
この現象の厄介なところは、「無自覚」であること。
感覚が鋭い人は「違和感」として察知できますが、
感覚が鈍くなってしまった人は、気づかないまま負のループにハマっていく。
ズレた自分が掲げた「偽りの夢や目標」を追いかけ、
ようやく手に入れたはずなのに、
なぜか心が満たされない。
そんな悲惨な未来が、当たり前のように待っているのです。
子どものSOSは、大人の「迷子」のサイン
先日相談に来られたママさんは、
「自分らしくない」ときに
現実が苦しくなっていると気づけていました。
それは、自分に関心を向けている素晴らしい証拠です。
だから私は「『自分』を生きるんだよ!」と言い換えてあげることができました。
でも今、
「自分が分からない」という大人が多すぎて、
私は危機感を抱いています。
自分が分からないのに、
他人のことなんて分かるわけがない。
ましてや、
わが子のことなんて、もっと分かるわけがない。
教育・保育の現場に25年いたからこそ、声を大にして言いたい。
子どもたちは、ちゃんと「自分」を生きています。
それを歪ませてしまうのは、
一番身近にいる「自分を見失った大人」なんです。
子どもたちのSOSは、
大人たちへの「自分を取り戻して!」というメッセージなのかもしれません。
自分を生きる、という決意
「自分」を生きなければ、生まれてきた意味を全うすることなんてできません。
私は、この「本質」を伝える活動を
さらに広めていく決意を固めています。
一人でも多くの大人が「自分」を取り戻し、
その背中を子どもたちに見せられる世界にしたいから。
皆さんは今日、「自分」を生きていますか?
