わかる
から
かわる
理解したと思っていることでも、
現状が変わらなかったり
心が苦しいままならば、
それはコアなところでは、
きっと届いていない。
わたしにもそういうことって、
たくさんあります。
たとえば、怒りというのは
”悲しみから守ってくれている”
そんな一面を知ってから、
”どこを見るか”が大切なんだと、
怒りに対しての認識が変わった。
「怒りは悪いもの」だと思っていたので、
ただ悪いとジャッジして
怒りから受け取れるものを、
見逃してきてしまった。
(自分から出る怒りに対して)
そして、
”それはどんなことでもそうだ”という
深い理解へと繋がっていった。
だから、感情へのジャッジって
分かるとは反対の行為で、
自分と向き合うことへの怠慢にでも。
良い・悪いしかない世界なんて
わかりやすいかもしれないけど、
そりゃあ生きづらい。
そんな現実を創りだしている自分へ
怒りが湧くのも分かるし
自分を好きになりきれないのも分かった。
分からないことがあってもいいし、
全てが完璧でなくてもいい。
何かを目指して、
自分が見えなくなっていないか?
自分と向き合うという行為だけは、
感情だって思考だって、
ショートカットしてはいけない。
自分と向きあうということのひとつで、
自分への問いを増やすということは
とても有効です。
それは、
答えは自分の中に
あるからです。
・怒りをどうして悪いと思っているの?
・完璧はどういう状態なの?
・今、自分はどんな状態だと思っているの?
と、こんな風に
自分の思考に興味や疑問をもつことが、
”分かろう”とすることであり
理解へのベースともなるのです。
ちゃんと咀嚼するから、
自分の中へはいっていき
腹落ちする。
現実ってこういう風にできている
ということがちゃんと分かると、
あら、不思議
自然と変化しているものです。
それも想像以上の現実へと。
まずは自分から。
だから自分から。
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