わかる
から
かわる
いくら理解したと思っていることでも、
現状が変わらないならば
それはきっと分かっていない。
そんな時は
わかっていないんだと
現状と思考は一致させたほうがいい。
わたしにもそいういうことって、
たくさんある。
たとえば、怒りというのは
本当の悲しみを隠しているものでもあって、
そんな一面を知り
感情そのものへのジャッジは不要なもので、
怒りにはいろいろな側面があって
自分が「どこを見るか」なんだと
認識が変わった。
そして、
それはどんなことでもそうだという
深い理解にも繋がった。
ジャッジなんてなんの意味もなく
創造性のないことなんだ、とも。
そういえば、
否定というのは頭を使わないので、
簡単だというようなものを、
読んだことがある。
人はジャッジをすれば、
ジャッジされることを想像し
自分が嘘をいえば
嘘をつかれることを想像する。
想像は創造。
自分が思ったことは、
すべて体験することになる。
つまり、
自分が嘘をつけば
嘘をついたり
嘘をつかれたりする
嘘のある世界を体験することになる。
それをちゃんと分かると、
わざわざ
そういう世界を創りたくないから、
嘘は言わないようにするし
(言わないとは言いきらない笑)
ジャッジもしない。
(したら謝る笑)
それが自分の現実を変えていくこと。
分かると変えたくなる。
だって、変えれるのだから。
”世界ってこういう風にできている”
ということがちゃんと分かると
自然と現実って変わっていくものだなと
セッションを通しても
実生活からもそう思います。
セッション⇒☆
●●●編集後記(てきなもの)●●●
今日の記事は、2年前の5月に書いたものが
アメブロさんからお知らせできたので
少し加筆したものです。