この時代は、ロシアの艦船が日本の近海に出没しており、これを危惧した江戸幕府は蝦夷地把握を課題としていた。忠能はこれを知って蝦夷地地図作成を計画、自費で蝦夷に渡り数ヶ月にもわたって測量した。若い頃の土木知識と経験も手伝って詳細な地図を幕府に献上した。
幕府はこの地図の出来に満足し、忠能に全国の測量を命じてこれに従事する。忠能は72歳で世を去るが、後この測量結果を元に弟子達が「大日本沿海実測全図」「大日本沿海実測録」を完成させる。
ロシアの代表的な地理学者・クルーゼンシュテルンは、忠能の日本地図を見て「日本人、我を征服せり」と驚嘆したと言う。

(伊能忠敬肖像、千葉県佐原市伊能忠敬記念館ホームページより)
公式サイト「日本地図を作った伊能忠敬」