
「はだしのゲン」はどんな本か
2013.8.21 21:03 [教育]
米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。
この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態になっている。例えばこんな論調である。
「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)
「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)
「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)
どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。
だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。
40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。
3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。
朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。
憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。(2013.8.21 21:03【阿比留瑠比の極言御免】産経政治部編集委員)
日本には敵人がいくつかいる。
中国人、朝鮮人、ロシア人。それに厳密に言えば、アメリカ人もだ。
しかし、一番手強く一番手に負えないのが、日本人そのものだ。
そういう例をここに挙げたい。
『中国新聞』様のサイトから引用させて頂きました。ありがとうございます。
リンク:http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201203210110.html
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「はだしのゲン」平和教材に
広島市教委は、独自の平和教育で使う小学3年用のテキストに、被爆後の広島でたくましく生きる少年の姿を描いた漫画「はだしのゲン」の採用を決めた。被爆体験の継承が課題となる中、同世代のゲンを通して被爆者の思いを感じてもらう狙い。2012年度、モデル校の市立小4校でテキストを使った授業をし、13年度の全校実施を目指す。
はだしのゲンは中沢啓治さん(73)=中区=の自伝的作品。テキストには、貧しいながら家族で支え合って生きる被爆前の姿や、家族が原爆で倒壊した家の下敷きになる場面などを抜粋。ゲンの心情を読み取り、書き込む欄を設ける。
市教委は13年度、平和について体系的に学ぶ「平和教育プログラム」を市立小中高校の全校で始める方針でいる。12年度は小中高計10校で試行する。
テキストは小学生から高校生まで4段階に分けて作る。高校では中沢さんの半生や作品に込めた思いを取り上げる。このほか、戦後復興の中で市民が広島カープ創生期の資金難を救った「たる募金」(小学5年)▽世界の核兵器の現状と廃絶への動き(中学3年)―などを題材にする。
市教委の10年の調査では、広島に原爆が投下された年月日と時刻を「1945年8月6日午前8時15分」と解答できた小学4~6年は33・0%、中学1~3年は55・7%。正答率はいずれも過去最低だった。
中沢さんは「広島の子どもたちには原爆についてしっかり考えてほしい。そのために、はだしのゲンを教材に使ってもらえるのは作者冥利(みょうり)に尽きる」と喜んでいる。
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昭和50年代でも、早くから「はだしのゲン」と言えば、「平和の象徴」「悪しき軍国主義の日本を決別するために顧みるための戦後教育素材」として、私的公的問わず、使われてきたことは確かだ。
当時の日教組の社会科教師などは、授業の合間に、この「はだしのゲン」のエピソードを取り入れて、如何に軍国主義の日本はアジア各国(!)に酷いことをしてきたか、アメリカに無謀な戦争を挑んだか、ということを小中学生に広めてきたという事実もある。
◆広島が如何に極左一色に塗固められているかがわかるエピソード:その一
8/6 広島原爆忌 外道左翼の実態
◆広島極左伝:その二
校長を自殺に追い込んだ高校は広島世羅高校だった
http://ameblo.jp/campanera/entry-10113791424.html
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広島県立世羅高校校長の自殺の真相(12/04/15)
昨年2月末、広島県立世羅高校の校長が自殺に追い込まれた。彼の死をきっかけに、「国旗国歌法案」が成立するに至る。
彼が世羅高校に赴任するのは二度目だった。最初は若い頃普通の教員として、広島県立世羅高校で教鞭を執った。当時の彼を知る人は、温厚で責任感のある立派な先生だったという。そして、二度目の赴任。今回は校長という立場での赴任であった。
彼は、世羅高校に赴任した最初の日、職員室で職員全員に対し挨拶をした。
「私はこの高校に赴任するのは二度目です。最初は教員として赴任しました。今回は立場が違いますが、みなさんと協力して頑張って参りたいと思います。」
彼が世羅高校に来て最初に書いた文章は、「反省文」だった。
当時、世羅高校に勤務してた43歳のA教諭が、校長の挨拶に対して噛みついたのだ。
「立場が違ういうのはどうゆうことなら。(広島弁)」(立場が違うというのはどういうことですか)と・・・
このA教諭は県高教組の分会長を勤めていた。殆ど授業を受け持たず、勤務中であろうと、高教組の仕事と称して職員室で新聞を広げている典型的なアカ教師であった。そこにきまじめで温厚な校長が赴任してきたのである。このA教諭にとっては、さぞイジメがいのある管理職であったに違いない。
校長はこのA教諭につるし上げられ、職員会議で口頭で謝罪し、反省文まで書かされて捺印させられた。「立場が違う」という発言は撤回された。さぞ屈辱的だっただろう。しかし、このA教諭のイジメはこれだけにとどまらなかった。
世羅高校では、校長の権限で職員会議が開かれることはまず無かった。校長が職員会議の要請をしても、A教諭の同意がないと開くことが出来ない。逆に、A教諭の個人的判断で、日常的に校長を除外した職員会議が開かれていた。掃除に関しても、校長室の掃除を担当するクラスには、掃除の手を抜くように指示。学校行事に関しても、校長が口を挟むことは殆ど出来ず、このA教諭が一人で仕切っていたのである。
そして学年末。教育委員会から、卒業式での国旗掲揚を強く要請されていた校長は、その案件を議論するために職員会議を開こうとした。しかし、A教諭はそれを無視し続けた。校長は根気よくA教諭やその他の教諭を説得したが、職員会議が開かれたのは校長が打診してから一ヶ月もたってのことだった。
校長が国旗掲揚についての要請を始める。その話が始まるやいなや、A教諭のヤジが飛ぶ。しかし、校長は根気よく話し続けた。校長が話している最中からA教諭の怒鳴るような反対意見が飛び出す。とてもではないが、会議と呼べる物ではなかった。
職員会議はA教諭の
「ああ、終わった終わった。みんな帰るぞ!!」という言葉で終わった。しかし、何も終わっていない。校長はまだ話の途中であった。
そして校長は自殺した。
http://www.assahi.com/shakai/shakai0415a.html
--引用おわり------------------------------------
◆広島極左武勇伝:その三
生徒全員で韓国人に土下座して謝罪 広島・世羅高校
広島は、原爆の犠牲者もドームも、誤った平和思想を蔓延させるための道具にしている。
誤った平和思想とは、【丸裸で、私は平和主義者ですら、だからどうか殺さないで】と言っているようなものである。丸腰でライオンの檻の中に入るようなものである。自らは檻にはいる気はなくとも、入らされてしまうシチュエーションも、同等である。
このような『空虚で形骸化した平和思想が是』だと考えるような広島市、或いは広島市民ばかりでは、原爆で亡くなられた何十万の先人の方々がお気の毒でならない。。。。彼らは何も、日本の軍国主義の是非を問うためにでも、自虐史観を広めるために亡くなられたのでも無い。
冷静に考えて欲しい。
「はだしのゲン」は昭和47年に刊行していますから、私の記憶の、昭和50年代から急速に日本が敗戦恐怖症から来る自虐史観と、日本人としてのえげつないほどの自虐観が刷り込まれるのに大いに役割を果たしたということと合致しますね。
いずれにせよ、原爆と「はだしのゲン」が同意語に捉えられるのも使われるのも、生粋の日本人としては、虫酸が走るほど嫌悪感を感じます。この言葉自体、原爆のことをイメージするよりもまず、「日本人として生まれて申し訳ない」という誤った価値観を増長させる、大変に嫌な言葉として私の脳裏には刻まれています。こんなくそ漫画見たくもない。
憂国の魔窟/まつしたまさよの護国道まっしぐらさんより、引用
「はだしのゲン」はどんな本か???
極左のバイブルなんだって・・??
テレビ・・・
マスコミは、こぞって・・応援??
広島は、教材になっている・・??
ほんと・・日教組のやっている、
公立学校なんて、いいかげんに
してほしいね・・
第52回「『風立ちぬ』典型的なサヨク反応」
韓国にも宮崎駿ファンは多いらしいが、 『風立ちぬ』には「やっぱりな」という馬鹿馬鹿しい反応が続出している。
曰く、「ゼロ戦を美化している」「右翼映画」「宮崎駿監督がついにボケた」という「戦前の日本は悪」と決め込んだ批判だ。
日本の作家・表現者は全員「戦前の日本は悪」として描かなければ許さないというのが、韓国人の反日カルト教なのだから仕方がない。
だが驚いたことに日本人にも、この韓国人と全く同じ感性の者がいるのだ。しかも評論家の中に。
『風立ちぬ』の評論を宇野常寛が「ダ・ヴィンチ」9月号に書いているというから読んでみたが、「なんだこりゃ?」と脱力するしかないシロモノだった。
宇野は主人公・堀越二郎や、二郎に自身を重ねているであろう宮崎駿について、以下のように書き連ねて行く。
「二郎の『美しい飛行機をつくる』夢は、常に戦争の影に脅かされている」
「大人になった二郎は軍事技術者以外の何者でもなく、その『美しい飛行機』=ゼロ戦は日本の軍国主義の象徴になってしまう」
「彼の考える『美しい飛行機』は戦争のもつ破壊と殺戮の快楽と不可分だったはずだ」
「宮崎駿が考える『美しい飛行機』とは大仰で猥雑なカプローニの大輸送機ではなく、スリムでストイックなゼロ戦であり、平和な時代の旅客機ではなく暗黒の時代の殺戮兵器だったのだ」
韓国人の批判と、全く同じじゃないか!
韓国人が言うならともかく、今どきの日本で、ゼロ戦を「暗黒の時代の殺戮兵器」としか思えない若者なんているのか!?
といっても宇野は今年35歳の「ポスト団塊Jr世代」で、もはや中年かもしれないが。
ゼロ戦を「暗黒の時代の殺戮兵器」とまで決めつける人間がいるとは本当に驚いた。
まさに戦後民主主義サヨク!わしが『戦争論』(幻冬舎)で分類したサヨク以外の何ものでもない!
わしの子供の頃には少年漫画誌に『ゼロ戦レッド』『0戦はやと』『紫電改のタカ』などが連載されていたし、グラビアには小松崎茂の迫力ある戦争画や、戦闘機・戦艦の図解等が毎号載っていて、わしは夢中になって読んでいた。
プラモデルまで作るほどゼロ戦が好きだったし、戦時中の誇るべき日本の技術だとずっと思ってきた。
『0戦はやと』はテレビアニメにもなり、脚本と主題歌作詞は駆け出し時代の倉本聰が手掛けている。ただ、このテレビアニメ放送については実は一悶着あったという。
当時(1963年)はテレビアニメの創世期で、手塚治虫が個人プロダクションの「虫プロ」による自主製作で国産初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を成功させたのに続けと、漫画家・吉田竜夫が「竜の子プロダクション」、うしおそうじが「ピー・プロダクション」を立ち上げ、まるで漫画の持ち込みのように自主的にアニメ番組を企画してテレビ局に売り込んでいた。
『0戦はやと』はピー・プロがTBSに売り込み、放送が決まりかけていた。ところが「戦争マンガ放送とはケシカラン、憲法9条違反だ!」という声が挙がり、話が流れてしまった。
この話はテレビ業界に広まり、NET(後のテレビ朝日)も日本テレビも断り、やっとのことでフジテレビでの放送が決まったというのだ。
今となっては「戦争マンガは憲法9条違反」なんて笑い話と思っていたのだが、どうも宇野の思考パターンはこれと大差なさそうだ。
昭和30年代の男の子は、みんな素直にゼロ戦をカッコイイと思っていた。「美しい飛行機」として捉えていた。
「暗黒の時代の殺戮兵器」なんて思っていた子供なんて、誰ひとりいなかったのだ。
国運を賭けた戦争を遂行している最中は、ありとあらゆる分野においてその国の最高レベルの技術が投入される。戦時中に高性能の飛行機を作れば、戦闘機になるのは当たり前のことだ。
平和な時代なら堀越二郎も旅客機を作っただろう。人は生まれてくる時代を選ぶことはできない。自分が生きている時代の中で、与えられた条件の中で、最善を尽くす以外にないのだ。
日本が世界に誇る新幹線の開発には、軍用機開発で培ってきた技術が余すところなく投入された。
開発グループの中心人物だった技術者・三木忠直は、戦時中は戦闘機の設計開発に携わっており、特攻兵器の一人乗りロケット「桜花」の設計も手掛けている。
三木は新幹線開発の際、常々部下に「格好のいい車体を作りなさい。格好の悪いのは駄目だ」と言っていた。そのとき、三木の脳裏には自分が作った爆撃機「銀河」の流線形の機体が常にあったといい、実際に初代の新幹線「0系」は「銀河」を彷彿させるフォルムをしている。
また、超高速で走る車体の揺れを防ぐ技術を開発したのは、ゼロ戦の機体の揺れを制御する技術を確立した松平精(ただし)だった。
堀越二郎の設計だけではゼロ戦は実用化できなかった。空気抵抗による機体の揺れを抑える技術が確立されなければ空中分解のような重大な事故が発生する。これを解決したのが松平精であり、松平は新幹線開発においてもその経験を生かし、画期的な油圧式バネを開発し、安全で乗り心地の良い車体を完成させたのである。
新幹線は、宇野が汚らわしいもののように言う「軍事技術者以外の何者でも」ない人々が「暗黒の時代の殺戮兵器」のように美しい車体を目指し、「暗黒の時代の殺戮兵器」の技術を転用して作ったのだ。
当然、宇野は決して新幹線には乗らないのだろう。
宇野はさらに、映画の堀越二郎が「物語の結末で、ゼロ戦が軍国主義の象徴になった事実に直面しても」「反省もしなければ新しい行動を始めるわけでもない」と非難している。
このような物言いを見ると、わしは藤田嗣治の戦争画を全否定した戦後の左翼文化人の感性を思い出す。
藤田嗣治は「乳白色の肌」と呼ばれた裸婦像で有名だが、戦時中は陸軍などの要請を受け、100号、200号に及ぶ戦争画の大作を次々と手掛けた。
藤田が「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた」と述べた精密な戦争画は、今なおどんな映画にも表現できないと思えるほどの迫力にあふれた、鬼気迫る傑作である。
ところが敗戦後、空気が一変し、日本美術会書記長・内田巌(戦後日本共産党に入党し、プロレタリア画壇を牽引した画家)らが藤田を「戦争協力者」として糾弾。
藤田は「日本画壇は早く国際水準に到達してください」との言葉を残してフランスに渡り、フランス国籍を取得して二度と日本へ戻らなかった。
藤田は「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」と常々言っていた。
その一方、「私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」と語り、フランスに帰化しても生涯日本人であることを意識し、日本に対する愛情を持ち続けていた。
小林よしのりライジング
オットー・カロン(ドイツ、大学教授) 「過去の世界の歴史上戦いに一度でも負けたらトップは必ずそのまま残ることはできない 殺されるか外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本天皇も外国に亡命すると思っていた しかし日本の記録映画を見て驚いた 天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である しかも二年もの長い間北の端から南の端まで焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる 陸軍も海軍もすでに解体されているのに一兵の守りもないのに無防備のままで巡っておられる 平穏無事なときでも一国の主権者が自分の国を廻られるその時には厳重な守りがなされている それでも暗殺される王様や大統領がある それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで焼き払われた廃墟を巡る 国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか いつどこで殺されるかこう思って見ていた しかし驚いたことに国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ心と心の結びこれはどこの国にも見られないことである 我々は日本を尊敬し日本に見習わなければならない」

