経済の死角
すき家 小川賢太郎社長が語った「外食日本一への道」
ビジネス最前線東大中退後、吉野家時代を経て33歳で創業
2010年06月20日(日) FRIDAY
長身で筋肉質な体格に、豪放磊落な性格という小川社長。スポーツマンでベンチプレスでは135キロを上げる〔PHOTO〕船元康子
「外食日本一? まだまだ4合目だよ」
本誌の直撃に対し、そう言って豪快に笑うのは、牛丼店『すき家』チェーンを展開するゼンショーの小川賢太郎社長(61)だ。ゼンショーと言えば、昨年12月に牛丼並盛を280円という破格の安さで提供して、"牛丼御三家"の松屋、吉野家とともに"牛丼大戦争"を繰り広げた話題の企業。
今年4月には、さらに30円値下げした期間限定の「250円牛丼」を投入。専門家の間では意味のない"消耗戦"と揶揄する声もあった。しかし、ゼンショーは、約89億円の大赤字となった吉野家とは対照的に、好業績を叩き出したのだ。
5月に発表された'10年3月期の決算では、連結売上高が7.7%増の3342億円と過去最高を記録。来期予想はさらに、10.3%増の3685億円。これが実現すれば、外食最大手である日本マクドナルドホールディングスの連結売上高予想3130億円を超え"外食日本一"になるのだ。
「他社との比較は意味がない。当社は今、富士山にたとえるなら、樹海を抜けて、ようやく5合目の踊り場が見え始めたところ。樹海の中で迷わず、遭難もせずに進むのは大変なこと。それをなんとか切り抜けたにすぎない」
33歳でゼンショーを創業し、約30年で傘下企業37社の一大グループを作り上げた小川社長。ユニークな経歴と行動力で、業界の異端児として知られる同氏の"素顔"に迫った。
500万円で始めた弁当屋
東大を3年で中退した小川社長は、それから10年ほどたった'80年頃、4人の仲間とともに起業を決意する。起業の理由は、ずいぶんとブッ飛んだものだった。
「人類が直立歩行してから400万年経つが、皆がまともに食えたことはない。現代でも十数億人が飢えている。では、地上から飢餓と貧困をなくすには、どうすればいいか。食に関わる企業を作り、世界一になればいいと考えた。カネはなかったが、志だけは高かった」
'82年に資本金500万円でゼンショーを設立。家賃6万円で6坪の店舗を借り、そこで持ち帰りの弁当屋を始めた。弁当屋にしたのは、座席のある店舗を構える必要がなく、小さな店だけで事業を始められるから。
ゼンショーの名前には、善い商いを行う「善商」、日本のスピリットを商いで海外に伝える「禅商」、相撲で言う15戦0敗「全勝」優勝という、三つの意味を込めた。
だが、カネがないので、絶対に失敗できない。そこで、場所の選定のために綿密な調査を実施。住民の年齢や性別、駅からの距離、工場や商業施設の有無などを調べつくし、労働者が多く、昼夜問わず弁当が売れそうな神奈川県の生麦を1号店の場所に決めた。とにかく朝から晩まで働いた。
隣が蕎麦屋だったが、その女将には「いつ寝ているんだ。セブン-イレブンか」とからかわれたという。
弁当屋は当初から月商500万円を達成するなど順調で、7店舗まで増えた。だが、小川社長は、重要なことに気付いた。
「売上高を計算していくと、世界一になるまで時間がかかりすぎることが分かった。少なくとも生きている間にはムリだった。そもそも弁当は、おかずの内容を考えたり、煮物を毎日変えたりと、作業が複雑。世界一になるにはチェーン展開して作業を単純化、標準化していく必要があるが、それも難しかった。そこで、牛丼屋チェーンに方針転換した」
なぜ牛丼だったのか。実は、小川社長、ゼンショーを創業する以前の'78年から2年半、吉野家でサラリーマン生活を送っていたのだ。店長、経理、人事を経験し、退職する直前は、経営企画室だった。
吉野家は当時、創業社長・松田瑞穂の拡大路線でつまずき、経営難に陥っていた。小川社長は、再建計画を練る5人のメンバーの一人として、先行きを危ぶむ銀行との折衝役をまかされた。
「銀行側は、牛丼チェーンはもうダメだと言った。一方、私は、むしろこれからなんだと強く主張した。自動車、電機、チェーンストアといったように、戦後日本はアメリカの後を追った。そして、マクドナルド、ケンタッキーフライドチキンなどは、アメリカでもまだ伸びていた。だから、牛丼のようなファストフードは、これから成長するんだと説得した」
〔PHOTO〕香川貴宏(以下同)
だが、"強面"の小川氏がスゴんでも、銀行が折れることはなかった。吉野家は'80年に会社更生法の適用を申請し、約100億円の負債を抱えて"倒産"。小川社長は、その後、吉野家を辞めた。
「牛丼への思いは当時から変わらない。日本人が2000年前から食べてきた米と、大豆を発酵させて作った世界最高の調味料である醤油、人類が開発した最高の肉である牛肉。
それらを組み合わせた牛丼は、シンプルで飽きがこない食べ物で、世界に誇るべきものだ。それが正しかったことは今胸を張って言える」
小川社長にとって、弁当屋から牛丼屋への転換は、ごく自然な流れだったのだ。
強さのヒミツ
その後のゼンショーの成長の軌跡は、大きく、'82年から'00年までの第1ステージ、'01年から'09年までの第2ステージに分けられる。
第1ステージは、すき家の直営店舗を地道に増やし、'99年に東証二部に上場を果たすまで。一方、第2ステージでは、'00年のココス買収を皮切りに、ビッグボーイ、なか卯、サンデーサン、華屋与兵衛といったチェーン店にM&Aを仕掛けていく。
下の図にあるように、ゼンショーが売上高をグングン伸ばしていくのは、第2ステージに入ってから。現在の売上高は、すき家となか卯の牛丼事業より、ココスやビッグボーイなどのレストラン事業のほうが多い状況だ。一見すると、買収した企業の売上高を積み重ねただけに見える。だが、小川社長はこう否定する。
「単にM&Aによって規模拡大を図るだけではダメだ。直営店の出店を地道に進めながら、直営店のノウハウを新たなグループ企業に浸透させる。直営店の出店とM&Aという両輪を回すことで、グループとしてのつながりを強めていくことが大切だ」
実際、ゼンショーは、この5年で1600店の直営店を出店している。年間で300の直営店をコンスタントに出店してきた上場企業は例がないという。
また、買収した企業の多くが収益を改善し、売り上げを拡大させている。
ゼンショーは、穀物や牛といった原材料をグループで一括して調達・加工し、物流、店舗で調理する仕組みをつくり上げ、商品を提供するコストを大幅に下げた。
つまり、規模が大きくなるほど効率が良くなる仕組みで、M&Aの効果を最大限に引き出しているのだ。これは、牛丼並盛280円という安さのヒミツでもある。
もっとも、買収した企業がガタガタになり、本業が傾いてしまうケースは少なくない。なぜゼンショーはうまくいったか。そのキモは「郊外型のファミリー向け店舗」という経営戦略の明確化だ。
「牛丼屋というと、都市型で昼時にサラリーマンがガッガッガと食べるイメージがあった。だが、それでは女性や子供、お年寄りは店に入りにくい。一方、牛丼は国民食になりえるとの確信があった。
だからこそ、ファミリー層向けにメニューを増やし、休日にみんなで食べられるような郊外型の店舗をつくった」
事実、ゼンショーの豊富なメニュー構成には、目を見張る。例えば、すき家は、牛丼のサイズだけでも6種類(ミニ、並、肉1.5盛、大盛、特盛、メガ)。牛丼やカレー、サイドメニューも多種多様だ。
さらに、「業界でミニを始めたのはすき家が最初」「ミニより小さいプチと、メガの2倍のキングがある」など、ファンこそ知る隠しメニューも多い。
メニュー開発への熱意も並ではない。店舗が増え、客層が多様化すれば、当然メニューも増える。小川社長のある一日は、例えば、朝からすき家の新メニューを試食し、昼にココスのハンバーグを試食し、午後からなか卯のうどんを試食するといった具合だ。
'03 年からのBSE(狂牛病)問題で、米国産牛肉の輸入が制限された時は、肉を米国産から豪州産などに替える必要があったため、配合比率を変えた醤油ダレをいくつも用意して、試食を繰り返し、豪州産牛肉のうまみを引き出すタレを開発。以降、改良が続けられている。
日本一から世界一へ
小川社長が"異色"なのは、学生運動や労働運動を実践してきた経験も持つことだ。在学中は全共闘運動に参加し、中退後は、港湾労働者の労働運動を組織した。では、そうした運動の経験はゼンショーの経営にどう生かされているのか。
「社会主義は結局、クギ一本の値段まで統制委員会が決めているようなひどい官僚主義になった。資本主義にも問題は多いが、どういうビジョンを持って、どういう商品、サービスを提供していくかを決めるのは自由だ。それが一番いいところであり、面白いところだ」
小川社長は、社会主義が陥った官僚主義を目の当たりにした。その経験から、ゼンショー社内では、組織が大きくなり、官僚主義に陥ることを「共同体化」と呼び、社員を強くいさめている。
「例えば、『社長どうしましょう?』と聞きに来るのではなく、『社長こうすべきですよ』と提案するようにと言っている。こうした態度は、新しいメニューを考えたり、牛丼の味をよりよいものに常に改良していくことにも通じる。強い気持ちをもって、頭で考えて、行動する。それができなくなったら、企業は終わりなんだ」
ゼンショーが掲げる目標は、フード業で世界一になり、飢餓と貧困をなくすこと。それに向けて、'06 年には米国カタリーナレストラングループをM&A、さらに中国に9店舗、ブラジルに1店舗の海外店舗を設立し、本格的な海外展開を見据える。"実践派"小川社長の"日本一"への戦いは、やはりこれからなのだ。
絶好調のゼンショウさん・
やるね!!



