渋谷で5時!!?? | 東京リーシングと土地活用戦記

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昨日は、渋谷で打ち合わせ。

ビルオーナーから、渋谷改革プランなど、見せてもらいました。

どんどん変わる町。

元の仕事場、子供の頃からの町、やっぱり、渋谷がいいね。



渋谷(Wikipedia)


渋谷(しぶや)とは、渋谷区に属する渋谷駅、及び渋谷駅を中心とする街。 狭義では、住居表示における渋谷のことで、渋谷一丁目から四丁目まである。 渋谷駅前のスクランブル交差点(渋谷駅前交差点)付近 新宿、池袋と並ぶ三大副都心で日本を代表する繁華街の一つでもある。「西武百貨店」・「東急百貨店」・「パルコ」・「109」などのデパートや専門店・飲食店などが立ち並ぶ。渋谷駅前には忠犬ハチ公の銅像がある。若者の街として知られる。 また、同じ渋谷区にある、原宿、代官山と並ぶ流行の発信地でもある。 1973年に渋谷PARCOの開店を境に1975年以降は新宿に代わる流行の最先端となり、日本における若者文化の歴史が大きく変動してゆく、その結果として今や日本一の若者の街となった。 歴史 [編集] ハチ公銅像 (渋谷駅・ハチ公口) 吾妻鏡などの歴史書に、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて、この付近を本拠としていた武将渋谷氏の活動の記録が残されており、その一族に河内源氏の源義朝の近従だった渋谷金王丸がいる。 江戸時代には大山街道(現在の国道246号にほぼ一致)沿いの集落として栄えた。 明治時代になると1885年(明治18年)に山手線が開通し、1911年(明治44年)にはその都心方面寄りに東京市電が、1907年(明治40年)には西側に玉川電鉄(現:東急田園都市線)が接続したことから、交通の結節点として発展してゆくこととなった。以後も1927年(昭和2年)に東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄東横線)、1933年(昭和8年)に帝都電鉄(現:京王電鉄井の頭線)、1938年(昭和13年)に東京高速鉄道(現:東京地下鉄銀座線)と次々に新線が開通し、ほんの少しずつではあるものの存在を広めてゆく事となる。 その中でも注目すべき事は、五島慶太の率いる東京横浜電鉄が小林一三率いる大阪の阪神急行電鉄(現阪急電鉄)の梅田駅の手法に倣って、1934年(昭和9年)にターミナルとなる渋谷駅に東横百貨店(現:東急百貨店東横店東館)を設けたことで、関東では池上電気鉄道(現:東急池上線)の五反田駅の白木屋(1928年(昭和3年))、東武鉄道・浅草雷門駅(現:浅草駅)の松屋(1931年(昭和6年))に続いて3番目、全国でも4番目となるターミナルデパートであった。それまで鉄道で渋谷に来た後に銀座・上野方面へ市電やバスで向かっていた東急沿線在住の客が渋谷で買い物をするようになり成功を収めた。 戦後になると渋谷は1954年(昭和29年)に東急会館(旧:玉電ビル、現:東急百貨店東横店西館)、1957年(昭和32年)に東急文化会館、1965年(昭和40年)に渋谷東急ビル(現:渋谷東急プラザ)、1967年(昭和42年)には東急百貨店本店が設けられ、「東急の街」として発展していく事となった。 だが、郊外の一ターミナル駅に過ぎなかった渋谷が現在の地位を手中に収めることになるのは昭和50年以降であり、セゾン系列の西武百貨店が1968年(昭和43年)に渋谷へ進出した事を皮切りに、続く1973年のパルコ開店に因って今日の渋谷への布石となった。以後、東急と西武による開発競争が始まる。 セゾン系 パルコ - part1(1973年(昭和48年))、part2(1975年(昭和50年))、part3(1981年(昭和56年)) 西武劇場(現:PARCO劇場) - 1973年(昭和48年) THE PRIME - 1985年(昭和60年) 西武SEED館(現:モヴィータ館) - 1986年(昭和61年) ロフト館(現:渋谷ロフト) - 1987年(昭和62年) クアトロ・バイ・パルコ(現:パルコ・クアトロ) - 1988年(昭和63年) 東急系 東急ハンズ - 1978年(昭和53年) ファッションコミュニティー109(現:SHIBUYA 109) - 1979年(昭和54年) 109-2 - 1987年(昭和62年) ONE-OH-NINE - 1986年(昭和61年) ONE-OH-NINE 30's Bunkamura - 1989年(昭和64年) 東急百貨店東横店・別館123 - 1990年 東急百貨店本店・別館クロワゼしぶや - 1996年(平成8年) QFRONT - 1999年(平成11年) などが次々に完成。 西武は通りの名称を「スペイン坂」、そして区役所通りを「渋谷公園通り」などに変え、東急は通りの名前を「栄通り」から本店開業後「東急本店通り」に変更、後年に文化村通り」へと変え、再開発も同時に進めることで現在の街並みが形作られていった。