田中秀征の一言啓上
民主党が公務員制度改革を主導せよ
2009年4月23日(Nikkei BP)
春の訪れとともに、しばらく鳴りを潜めていた政界の改革派が動き出した。雪に埋もれてきた伏流水がほとばしり出てきたようである。
中川氏の研究会が始動
4月18日付の日経によると、自民党の改革派の中心人物である中川秀直元幹事長は、17日、自民党議員約40人の出席を得て「士気の高い霞ヶ関の再構築を実現するための研究会」を立ち上げた。
これから国家公務員制度改革の議員立法に向けて動くという。公務員制度改革は議員立法が本筋だ。
その焦点は、「内閣人事局」の局長に、事務(官僚)の官房副長官を充てるという麻生太郎首相の意向を覆すことができるかである。
2008年6月、福田康夫内閣は、国家公務員制度改革基本法を成立させ、幹部官僚の人事の素案を官房長官が作り、首相や閣僚と協議して決めることになった。
内閣人事局は、その官房長官の作業を補佐する任に当る。その設置法案が3月末に閣議決定され国会に提出された。
最重要の問題は局長職の人事だが、法案は、現在国会議員2人、官僚1人が務める3人の官房副長官から首相が指名して兼務させることになっている。
麻生首相は既に、官僚の副長官を充てることを示唆しているので、法案が国会議員の2人の副長官を含めているのは、単に党内外の反発をかわすためのかくれミノにしか見えない。
自民と民主の双方に対する失望は深い
官僚の副長官が内閣人事局長を兼ねることになれば、この副長官が霞が関全体の実質的な人事権を握ることになる。既に官僚の副長官は事務次官会議を主宰し、政策調整に突出した影響力を持っている。今後政策と人事の双方に最大の権限を握れば、日本の首相は今まで以上に飾り物にならざるを得ない。
私はこんな重大な案件に際しても、“官意”に従う政治家がいることに強い憤りを感じる。
そもそも、日本の政治家が官意で動くなら、民意を問う国政選挙そのものが無用のものとなるではないか。
さて、このところの麻生内閣の支持率上昇は、二つの想定外の神風によるものだろう。一つは、西松献金問題による小沢民主党の失点。もう一つは、北朝鮮のミサイル発射問題への対応による麻生自民党の得点だ。
だが、麻生自民党と小沢民主党の横綱対決が何度も水入り、取り直しが繰り返されている間に、桟敷の観客の多くが席を立ってしまっている。両者に対する失望感は想像以上に深いのである。
霞が関は、内閣人事局長問題をどさくさに紛れて処理しようとしているのだろう。内閣支持率の上昇、小沢民主党の失速、最大規模の経済対策、そして北朝鮮問題。今がチャンスということだろう。
しかし、事態はそんな甘いものではない。実は、伏流水は、見えない間にも水量を増している。行政改革、官僚改革が総選挙の最大の争点になる流れはいささかも変わっていない。
民主党はこの問題に大きな声を上げろ
中川氏と同じく伏流水となってきた「二人ぼっち」の渡辺喜美氏と江田憲司氏にもようやく春が訪れつつある。いくつかの伏流水が内閣人事局問題で、連携し合流する可能性も出てきた。筋のある政治家の行動を世論は決して見捨てないのである。
今のところ、内閣人事局の設置法案は審議入りのメドが立っていない。いずれにしろ、来年度補正予算と関連法案を成立させた後になるだろう。今国会で成立させることは日程的に難しい。だからといって霞が関官僚が焦れば焦るほど世論の目も厳しくなるはずだ。
仮に、強行して成立を急げば、衆議院での再議決の際に造反者が出ることは避けられない。少なくとも中川秀直氏と塩崎恭久元官房長官の二人の確信犯はこの採決に反対するだろう。
この問題で民主党はなぜ大きな声を上げないのか。明確な対案を打ち出して主導的な役割を果たすことこそ民主党に求められているのだ。
田中秀征(たなか・しゅうせい)

1940年長野県生まれ。東京大学文学部西洋史学科、北海道大学法学部政治学科を卒業。83年衆議院議員に初当選。93年6月に自民党を離党して新党さきがけを結成、代表代行。自民党時代は宏池会(宮沢派)に所属。細川政権の発足に伴い首相特別補佐。第1次橋本内閣で経済企画庁長官。現在、福山大学教授。「民権塾」主宰。最近刊の「判断力と決断力」(ダイヤモンド社)をはじめ、「日本リベラルと石橋湛山」(講談社)、「梅の花咲く 決断の人 高杉晋作」(講談社)、「舵を切れ 質実国家への展望」(朝日新聞社)などの著書がある。
『民主党 野望と野合のメカニズム』伊藤惇夫

とりあえず、次に総選挙が行われれば、久々に自民党の主流派は野に下り、民主党が中心となった政権が作られそうなので、自民党から新進党、太陽党、民政党、民主党の事務局を渡り歩いて「新党請負人」の異名を持つ伊藤惇夫さんの本は読む価値はあるかも。にしても、太陽党なんてのもスッカリ忘れていましたが、細川政権の母胎となった日本新党以来、どれだけの「段ボールハウス」的な新党がつくられ、消えていったのかというのを思い出すだけでも、感慨深いものがあります。
なんでも、この間に誕生した新党は30余。なぜこうなかったといいますと、小選挙区制度によって、総選挙のたびに選挙互助会のようなものをつくらないと非自民の政治家は生き残っていけなかったからだ、ということになります。そして「鳩菅」といういささか頼りない二枚看板でスタートした民主党が唯一生き残ったわけですが、改めてこの本を読んでみると、強い者が生き残ったというより、生き残ったものが強いといいますか、適者生存といいますか、運も味方にしてたまたま塊が大きくなっていった、という過程が感じられて、なんつうかいじらしいものがあります。
だいたい、最初の民主党の結成が、自社さ連立政権下で橋本首相によって行われた総選挙に対して「このままでは自民、新進の二大政党の中で埋もれてしまう」という鳩山兄弟と当時は新進党に所属していた船田元によって主導されていたなんて忘れていましたよ。結局、この時に出来上がった旧「民主党」は排除の論理で武村蔵相の参加を認めない一方、社民党系の自治労や全逓などの支援を受ける左派にウイングを広げる形でスタートしたんですが(それが原因で船田元も参加を見送る)、この"原始民主党のかたち"に今の新「民主党」も規定されているな、と改めて感じます。
旧「民主党」は鳩山兄が資金面でのオーナーとなり、薬害エイズ問題で人気を博した菅直人との二枚看板で選挙に臨みますが、結果は改選前の52議席と変わらず。《中途半端な成績に終わった》(p.45)のですが、最も痛手を被ったのは新進党で、改選前の議席を確保できなかった小沢党首への批判が強まり、97年12月には解党。小沢一郎の放浪が始まります。(PATAさん)
政治が・・・・良くなってほしいねーー!!
