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尻啖え孫市:司馬遼太郎
元亀元年二月、信長の居城岐阜城城下にふらりと姿を現わした男、真赤な袖無し羽織、二尺の大鉄扇、従者には日本一と書いた旗を持たせる。その名は雑賀孫市、鉄砲三千挺の巨大な威力で知られる紀州雑賀党の若き領主である。天下統一の野望に燃える信長は策士木下藤吉郎を通じ友諠を求めるが・・・。戦国の快男児を描く痛快小説。
鈴木孫一
Wikipedia
鈴木 孫一(すずき まごいち、天文3年(1534年)? - 天正17年(1589年)5月2日?)は、雑賀衆の有力者の一人。雑賀孫一という名でも知られ、また孫市とする史料もある。
石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。
正体について不明な部分も多く、鈴木重意(佐大夫)を指すとする説や、重意の息子、鈴木重兼(平井孫一という別名あり)や鈴木重秀、鈴木重朝(関ヶ原の合戦・水戸藩への仕官などの経歴はこの人物と重なる)を指すとする説などがある。
しかし、「孫一」が活躍した年月に開きがあり、鈴木氏の当主は代々「孫一」を名乗っていたという資料もあることから、複数の人間の伝記が混在した可能性が高い。
また、石山本願寺の定紋が「ヤタガラス」であるため、孫一は自身の火縄銃にヤタガラスと命名している。
和歌山県和歌山市平井の蓮乗寺内に孫一の墓と伝わるものがあり、戒名は「釈法誓」(墓碑には「天正17年(1589年)5月2日没」とある。)。三重県熊野市には孫一終焉の地として供養塔がある。こちらの戒名は「釈広徳」。

雑賀党鈴木氏
鈴木孫六:孫一の弟
雑賀城:城主となっていた
熊野市
和歌山市
尻啖え孫市(司馬遼太郎、1969年映画化・大映・中村錦之介主演)

雑賀崎
和歌浦から西へ断崖の続く海沿いを進むと新和歌浦から奥和歌浦の雑賀崎へと続く。
雑賀崎の西端の地名が「番所(ばんどこ)の鼻」。鼻とは突き出た先のことで、ここはまさに海に突き出た鼻と言った地形。番所の鼻には番所庭園があり、小ぶりな松と芝生が海の青に映える水彩画のような庭園で、紀淡海峡に浮かぶ女島、男島、双子島を眼下に、360度近い展望が開け海と島の絶景が眺められる景勝の地。江戸時代末期には外国から来る黒船を警戒する見張り番所が置かれていた。
(写真は 番所の鼻)
雑賀崎にあった雑賀城は雑賀孫市が率いた雑賀党の拠点で、石山本願寺の軍事、兵糧の重要基地の役割を果たした。織田信長10万の軍勢と戦い、これをわずが3千の兵で撃退した雑賀衆は、雑賀崎の矢の宮神社で念仏を唱えるとともに踊り狂ったと言われ、これが現在の「和歌祭り」で踊られる雑賀踊りの始まりと言われている。だが、天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めの大軍の前に雑賀の諸城はことごとく落城した。
今は雑賀港の背後の階段状の斜面に家が建ち並ぶ素朴な漁村の風情が、奥和歌浦と呼ばれる雑賀崎の魅力のひとつとで、キラキラ輝く紀淡海峡の海や西の海へ沈む夕日の美しさを求めて訪れる人が多い。
よみがえれ 中世共和国
和歌山大学生 矢宮で雑賀孫一の寸劇
和歌山大学の学生が雑賀孫一の寸劇を演じる「和大劇団ヤタガラス公演 雑賀川の戦い・孫一勝利の舞い」が7月12日(土)午前11時、午後7時半の2回、和歌山市関戸の矢宮神社で開かれる。和大博物館HUBが和歌浦・雑賀地区に雑賀踊を復活させる地域再生のプロジェクトで、同大教育学部の海津一朗教授は「和歌山にはもったいないと思えるほどの文化的資源がある。中世の和歌山が持っていたものを復活させたい」と話している。

プロジェクトは、町づくりにつながる生きた文化遺産として、雑賀荘鎮守矢宮神社に雑賀踊を復活させ、地域での継承につなげる試み。中世社会の研究者である海津教授が今年(2008年)3月に、雑賀孫一を主役とした演劇集団和歌山の「黒い鳥」をみて感動し、「2000人もの人が鑑賞し孫一に注目した気運を何かにつなげたい」と舞台を発案した。自ら史実に即した脚本を作り、ゼミ生らが演じることになった。
舞台は1577年、孫一が織田信長の勢力を追い払った雑賀川の戦い後の一幕。また、戦勝を祝って矢宮神社に奉納したと伝わる踊り「雑賀踊」もゼミでの研究をもとに再現する計画で、全体で約20分の寸劇になる。孫一を演じる森川千尋さんは「孫一の頭の切れる感じを出したい」。矢宮神社の巫女を演じる中本さなえさんは「神が生活の中にあった中世の感じを表現できれば」と話す。孫一太鼓の披露もある。
海津教授は「当時、雑賀は惣国(そうこく)として、いくつかのグループがあり、代表を決め互いに協力するなど、織田、豊臣時代のように人間関係をタテにしばるのとは違っていた。中世共和国としての和歌山の持っていた文化を復活させ、地域で継承していく形を模索したい」と話している。
無料。雨天時は7月13日に順延。問い合わせは和大博物館(073・457・7891)。
400百年前に、日本には、こんな人たちもいたんです・・
雑賀衆の何万人もいる信長軍との
大坂・石山本願寺(今の大阪城)での攻防戦はとても有名です。
口先だけで・・・
国民のことなんか、ちっとも考えていない政治家なんかたちには・・
尻啖えって言いたいね!!!
ちなみに、神奈川のデパートさいかやさんは、
雑賀衆の末裔としても知られています・・・



