本間宗久「本間宗久相場三昧伝」 酒田五法とは | 東京リーシングと土地活用戦記

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 酒田五法とは、江戸時代、酒田藩の豪農の家に生まれ、米の先物相場で天才的な手腕を発揮した本間宗久が書き残した「本間宗久相場三昧伝」をもとに作られた罫線(ローソク足)の分析法です。

この酒田五法、宗久自身が著した「本間宗久相場三昧伝」が元になって作られました。この「相場三昧伝」は、本間宗久が米相場の中から探り出した相場の分析、投資心理、さらには人生訓までを箇条書きに著したもので、その著を参考にしながら後世の人が罫線の具体的な形にして名称をつけたものが酒田五法です。

 この酒田五法は、本間宗久が没して200年以上経った今でもチャートを見る上で重要なテクニカル分析手法のひとつとなっています。酒田五法で使っているローソク足やその組合わせの名称も、チャートを扱う書籍の中では、まったく違和感なく頻繁に使われています。酒田五法は、まさに日本が生んだ、チャート分析の古典ということができるでしょう。

 江戸時代の米相場から導き出された酒田五法であるが、ここでは少しその大元となった「相場三昧伝」で語られている内容を少し見てみましょう。

米の商いで大切なことは仕掛けである。仕掛けが悪ければ何回やっても失敗してしまうものである。またここが買い時と思ってもあせらず、三日待つべきである。天井値・底値が出ない場合には、何ヶ月でも待つこと。

急騰急落で天井を形成した後、保ち合いが続き、人々が上放れすると動くと騒ぎ立て始めた時は、絶好の売場である。人の逆を行くのが成功の秘訣である。ただし、底値での保ち合いの後の上放れは買い乗せしていくべきである。

 これは相場の上では、第一の心得である。上がれば下がる、下がれば上がる。これを忘れると、どこまでも上がると思い天井で買いを入れたり、逆に底でも売ってしまったりするものである。強欲は張らずに思惑を断つことが大切である。

 このように本間宗久という人は、相場の具体的な見方だけだなく、相場の心理や相場に対する心構えにいたるまで、考察していたことがわかると思います。当たり前と思う方も多いと思いますが、それを思うように実行できないのが、今も昔も相場の怖いところです。

 酒田五法は、ローソク足の分析手法ですが、ローソク足には相場を張る人々の心理が凝縮されて表れたものです。

 ただし、本間宗久も言っていますが、相場は生き物、くれぐれも酒田五法だけに捕らわれることには注意してください。様々な角度から相場の行方を確認する冷静さを保つことが、酒田五法の教えでもあります。

 江戸時代、本間宗久によって編み出された酒田五法のうちでも上に書かれた三つの心得は、「三位伝」と呼ばれ、酒田五法の中でも秘伝中の秘伝として、伝えられています。その意味を読み解いてみましょう


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 「仁」とはチャンスが来るまで努力して待つということ。そして、絶好のチャンスが来たら果敢に乗るのが「勇」であり、柔軟な対応ですぐに考えや気持ちを切り替えることが「智」となります。投資には、以上の3つが不可欠であると本間宗久は説いています。

 宗久が残した書物の内容は投資の技術だけでなく、相場の心得や哲学、人生訓に至るまで幅広く網羅しており、現代にも通用する名文が随所に登場しています。ここでは、本間宗久が説く相場の心得の中から、特に投資心理についてふれている部分をいくつか紹介しましょう。


相場が思い通りに運び、利が乗ったときには、適当なところで手仕舞いをして、相場を冷静に見つめるために一両日は相場を休むことが大切。休むことを忘れて利を得ようとあせると、結局最後は損を出すことになる。

自分が強気のときは、他人も強気になるし、自分が弱気になるときは、他人も弱気なるもの。こんなときは、三日間待って、人とは逆の行動を取るのが、相場(米相場)の極意。人と同じことをやっていたのでは、成功を手にすることはできない。

自分の軽々しい判断で売買を行ってはならない。三位の伝に照らし合わせ、相場の状況(立羽)を考え抜き、方向が決まったら、買いか売りかどちらか一方を徹底的に行う(立て抜く)こと。

米相場で百戦連勝、巨万の富を築いた宗久

 本間宗久は今をさかのぼること280年ほど前、江戸時代後期の1724年(1717年の説もあり)に出羽国庄内(現在の山形県酒田市)にて生まれました。
 生家は「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれた酒田の豪商で大地主、本間家です。宗久はこの本間家の初代当主・原光の五男として生を受けました。
 宗久が初めて相場を張ったのは、本間家二代目当主である兄の光寿から本間家の営業を託されていた時代(1750年頃)。本間家があった酒田は出羽米(今の庄内米)の一大生産地であり、宗久は当然のように米の売買と投機に手を出すようになります。宗久は米相場の研究を始めて実践に移しましたが、買えば当たり、売れば当たりでわずかの間に数万金の利を得たと伝えられています。
 その後、兄の光寿が世を去り、甥にあたる光丘が三代目当主となります。宗久は光丘とはからって大量の庄内米を売りに出す一方で、京都と大阪の米会所(米相場)を舞台に米相場に挑みます。当時の実家の本間家は二十五万石ともいわれた豪農でもあり、米の現物を背景にした上、作柄情報が刻々と入るという恵まれた環境に加え、宗久は天才的な相場師でもありました。記録に裏付けられた合理的な作柄の豊凶予測とともに、大胆不敵で進退自在な攻防によって、仕手戦に花を咲かせ、連勝記録を打ち立てていきます。常勝腐敗の記録を打ち立てた宗久は巨万の富を築き、"出羽の天狗"と讃えられるまでになっていきます。
 関西市場を席巻して、相場の神様と騒がれた宗久は、いよいよ江戸へと乗り込みます。そして、ここでもスケールの大きな売買を展開し、天才的相場師の面目を発揮して空前の巨利を得ます。宗久は生涯で現在のお金にすると1兆円以上になるともいわれています。かくて、天才の名声と巨万の富を得た宗久は、江戸根岸に豪邸を構えて悠々自適の生活を送りましたが、晩年は幕府の財政指南役として相談にもあずかっていたといいます。

兜町ネット


江戸時代中期、「出羽の天狗」と呼ばれた男がいた。★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記

山形の酒田からやって来て当時の二大米相場である大阪堂島・江戸蔵前を席巻した男。
彼こそが、本間宗久。
上げても下げても百戦百勝!「今日も酒田のあいつが一人勝ち、大阪も江戸も商売あがったりだ」。

そんな歌にまでなった強さの秘密は、なんとチャート分析にあった。
統計に基づいた彼の手法は、今なお研究され、実践でも用いられている。
宗久の極意『本間宗久翁秘録』全157章に現代語訳をつけ、マンガで読み解く本書!酒田罫線法(ローソク足罫線法のひとつ)は彼の手法が源流とも言われている。
まさに「相場の神様」と呼ぶにふさわしい伝説の数々、ぜひ味わってほしい。
そして、宗久の教えをあなたの投資法に役立てていただきたい。
特別寄稿は『定本 酒田罫線法』の著者、林輝太郎氏。
酒田罫線法の概要はもちろん、その手法についても実践者の立場でまとめられている。

前段(相場の神様・本間宗久;米商は附出し大切の事;下相場月頭強く月末弱き事 ほか)
中段(本間宗久の生涯)
後段(買八分の利、売二分の利と申事;天井を買はず底売らずと申事;豊年に米売り申すべからざる事 ほか)
特別寄稿(酒田罫線法の事(林輝太郎))





本間様には及びもないが・・・

本間様のマンガでも読んで、勉強しようかねーー!!