空手家・道場の地下で、ソース作り。「ヨシダソース」!! | 東京リーシングと土地活用戦記

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ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記



空手道場の地下で、ソース作り。
無知な人間の行動力って、すごいよ。


娘が生まれて、空手だけじゃ食べていけない。だから、義父のブーマーが勤めていたユナイテッド航空のキッチンでアルバイトをはじめたんだけど、ひどい人種差別を受けてね。日本でも、在日コリアンとして差別を受けたけど、アメリカでの人種差別ってそんなもんじゃない。本当にえぐいのよ。犬のような扱いまで受けて、こっちも手ぇ出そうになるところを必死にこらえてさ。とても続けられなかった。

その頃、オレゴンで空手道場を開いていた仲間が亡くなって、弟子たちに請われて、その空手道場を引き継ぐことになったのね。地元の大学や警察学校にも教えに行くことになって、指導範囲も広がった。

しばらくはそれで安定してたんだけど、1980年代初頭に不況があって、道場の生徒数がピーク時の3分の1に落ち込んだの。それで、忘れもしない、1981年のクリスマスよ。生徒からたくさんプレゼントをもらったんだけど、お返しするだけの余裕がなくてさ。悩んだ末に思いついたのが、手作りバーベキューソースだったの。

着物、プレスリー、バレリーナ。
アメリカ人に大受けよ。

最初は地元のグローサリー(食料品店)を回って、「デモ(実演販売)をやらせてください」って売り込んだ。なかなか受け入れてもらえなかったけど、そのうち「商品を並べるのはだめだけど、デモだけなら」って店が出てきた。

目立ってナンボやろと思ったから、着物きて、下駄履いて、カウボーイハット被って、ソースと相性のいいチキンを試食用に焼いて。「はいはい、みなさん! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! なんで僕がこんな格好でソースを売ってるかっちゅうと、家では子ともが腹をすかして待っとるんです。子どもの数はなんと12人!」て、やった。もちろんクチから出まかせだけど、これが大受けでな。

僕のソース、うまいから、試食した7割のお客さんが買ってくれたのよ。僕の売る執念も相当なもんだった。ある時、5回くらい試食をしにきたのに、買わずに帰ろうとしたおばちゃんがいたのよ。僕、下駄履きでガタガタ走って追いかけて、駐車場でつかまえて2本買ってもらったよ。どんどんエスカレートして、エルヴィス・プレスリーの格好したり、ピンクのチュチュ着てバレリーナの格好したり。バレリーナになった僕は、我ながらひどかったなあ。★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記


そういう、僕の売ろうっちゅう情熱、死にモノぐるいで売ろうとする姿をみて、アメリカ人は認めてくれたんだよな。地元の日系人社会の日本人からは「はしたない」って言われたけどな。はしたないって本当に嫌いな日本語だよ、目立つ者や出る杭を打とうとする言葉やもん。英語には訳しようもない言葉だよ。

自分であちこちのスーパーを回って、バイヤーを口説きまくって、当時全米ナンバーワンの大手チェーン・セーフウェイにソースを並べるところまで漕ぎつけたんだけど、アメリカ製バーベキューソースの棚に並べる約束のはずが、日本や韓国、中国の食材が並ぶオリエンタルセクションに置かれちゃった。すぐに、「約束が違う!」って、納入をストップした。

もちろん相手はカンカンだよ。「出入り業者にここまで舐められたのははじめてだ」って。っでも、言い返した。「なんぼ弱小でも、人を騙していいわけがない。約束を守らんなら品物は入れない」って。次の日に見にいったら、バーベキューソースの棚に置いてくれていた。そのバイヤーとは、その後ものすごく親しくなったよ。商売も人間関係も、信用だよな、やっぱり。

アメリカンドリーム、まだあるで。
あんたもいっぺん、日本脱出、してみ。


今、ヨシダグループは18社、約200億円の企業グループに成長した。物流、不動産、いろんな分野に進出してるよ。僕は会長職についてる。アメリカン・ドリームを体現した日本人! なんてゆうて、日本のテレビも呼んでくれるようになったんで、ちょくちょく出演してるで。

僕のアメリカン・ドリームは、たくさんの人に支えられて実現した。今日話しただけでも、日本を出る時に応援してくれたおふくろ、強制送還の危機から救ってくれたマリアンヌ、リンダにブーマー、空手の仲間、取引先の担当者たち、赤ん坊のクリスティーナを救ってくれた医者たち。悔しい思いをするたびに「God damn it, watch me!(今に見とれ)」って思って、誰かに助けられるたびに、「こいつらにお返しする」って思って、そういう思いがあったから、ここまでビジネスを大きくできた。

どこまでも金儲けっていうのもな、あんまり。こんくらいでもう十分やろって気ぃしてるの。会社ももう、若い連中に任せてるしな。周りの金持ちには、でかいダイヤモンドをパカパカつけて歩いたり、札束をポケットの中にどっさり突っ込んでるやつとかいるけど、へどが出るんだよな。そういう金持ち見ると。ビル・ゲイツみたいな金持ちの大先輩が何をしてるかっていうと、もう日本では考えられないような額の寄付をしてるわけ。アメリカって本来、そういう国なんだからさ。★東京・リーシングと土地活用のビジネス戦記


日本て、出る杭を打つ国だよ。日本にいたら、僕、潰されてたと思う。こないだラジオに出た時に、「吉田さんの考えは日本に合わないですよ。みんながみんな出る杭になったら、この国はつぶれます」って言う若いのがいたの。そういうあんたは何やってるの? って聞いたら「大学院に行ってます。公務員になって、家庭持って、結婚して。それが夢です」って言うんだよ。内心、このアホ何思っとんねんって、びっくりした。アメリカでそんなこと言ったら馬鹿扱いされるよ、まったく。

せやからな、あんたもいっぺん、日本脱出してみ。アメリカンドリーム、あんた次第やで。


日本を離れる前に、おふくろが焼肉屋をやってて、その時に使ってた醤油、みりん、砂糖を8時間煮込んだソースの味を僕は覚えてたのよ。ソースを作ってビンに詰めて、リンダがリボンを付けてみんなに配ったら、これがものすごく好評でね。三々五々、生徒たちが「先生、あれおいしかった。嫁さんも喜んでる。もっとほしい」「お金払ってでもほしい」って、言いにくる。じゃあ、と追加で作って売ると、4回、5回とリピートする生徒も出てきた。で、ヘンな気起こしたのよ。「こら、商売になるで」って。

アホやで。空手しかできなくて、人どつきまわして商売してる人間が、よくもまあ、モノ作って売って商売しようなんて考えたもんやなあ。商売のことが分かってる今だったら、そんな怖いことはできへんな。むちゃくちゃやで、ホンマ。でも、無知の世界に向かって突っ走るってのがないと、人間、成長しないし、今の僕もないわけ。日本には「石橋を叩いて渡る」とかいう諺があるけど、そんなことしてる間に、向こう岸に誰か、先に着いてまうで。

道場の地下に樽おいて、本格的にソース作りをはじめた。中古で買った50ガロン(約190リットル)の釜で8時間煮込んで、冷めたら一本ずつ小ビンに移していく。上が道場だから、弟子たちがドスンドスンやるたびに、雪のようになにかが降ってくる。そんな場所で、今考えるととんでもない話だけど。

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PROFILE 吉田潤喜
1949年、京都府生まれ。1969年渡米。不法移民として苦労を重ねながら、空手指導などで生計を立てる。1982年、ヨシダ食品工業を設立し、醤油ベースのソースの製造販売を開始。今やそのシェアは全米に及ぶ。ソースだけではなく物流、不動産など事業の多角化を進め、18企業を抱えるヨシダグループの会長としてアメリカのビジネス界で活躍。2003年アメリカ合衆国政府より優秀中小企業家賞を受賞。AOLやインテル、ヒューレット・パッカード、FedExといった名だたる企業と並んで「殿堂入り」を果たした。現在は、オレゴン州知事経済顧問、小児病院や子供ガン協会の理事なども務めている。

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いいはなしやでー!!! ひらめき、信用、根性、勇気、家族ですかね!!

空手道場の地下が、ヨシダソースのスタートとは!!! びっくり!!

コストコで、買って食べたけど、安いしボリュームあってけっこううまいです。

アメリカンドリーム!!! とっても、勉強になりました!!!