アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も
日中戦争中、中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と呼ばれた里見甫(はじめ)(1896~1965)が、アヘンの取扱高などを自ら記した資料や、旧日本軍がアヘン販売の原案を作っていたことを示す資料が日本と中国で相次いで見つかった。取扱高は現在の物価で年560億円にのぼり、旧日本軍がアヘン流通で巨利を得ていたことがうかがえる。
日本側の資料は「華中宏済善堂内容概記」で、国立国会図書館にある元大蔵官僚・毛里英於菟(もうり・ひでおと)の旧所蔵文書に含まれていた。
この文書には、里見の中国名「李鳴」が記され、付属する文書に里見の署名がある。毛里は戦時総動員体制を推進した「革新官僚」の一員で、里見の友人だった。内容から42年後半の作成とみられる。
文書によると、日本軍の上海占領とともに三井物産が中東からアヘンの輸入を開始。アヘン流通のため、日本が対中国政策のために置いた「興亜院」の主導で、「中華民国維新政府」内に部局が置かれ、民間の営業機関として宏済善堂が上海に設立された。
維新政府は38年3月に成立した日本の傀儡(かいらい)政権だった。
文書では、里見が宏済善堂の理事長になっている。取引の主流は中東からの輸入品と、日本軍が内モンゴルに設立させた蒙疆(もうきょう)政権の支配地域からのアヘンで、41年度の取扱高は3億元(当時の日本で約1億5500万円、現在の物価で約560億円に相当)だったという。
また、在庫として、満州国産モルヒネ999キロ、台湾専売局製コカイン277キロが記録されている。計630万元に該当し、「市中相場に換算せば約倍額に販売可能」としている。
里見は戦後、極東国際軍事裁判法廷に提出した宣誓口述書で、自分は宏済善堂の副董事(副理事)で、董事長は「空席」と供述。幹部の顔ぶれや経理の詳細には触れず、アヘン以外のヘロインやモルヒネは扱わなかったと主張していた。
中国側の資料は、愛知県立大学の倉橋正直教授(中国近現代史)が南京の中国第二歴史トウ案(トウは木へんに當)館で発見した。
極秘印がある「中支阿片麻薬制度ニ関スル参考資料」と題する文書などで、この文書は38年10月1日付で軍特務部が作成していた。
文書によると、蒋介石政権はアヘンの取り扱いを厳禁していたが、旧日本軍の特務部は中毒患者の救済を名目に許可制とする布告文案を作り、維新政府に示していた。
文書は、浙江、江蘇、安徽の3省の占領地域で人口を2495万7千人とし、うち3%がアヘン中毒と推定。台湾や旧満州国の実績から、維新政府の税収を3173万元(当時の日本で2322万円、現在の物価で約111億円に相当)と見込んだ。 当時、駆逐艦の建造予算が1隻676万円だった。
付属する文書には、軍特務部から任務を引き継いだ日本政府の組織と維新政府が交わした覚書の内容も記され、アヘン収入の扱いについて、維新政府側と軍特務部の間で協議することなどが明記されている。
倉橋教授は、資料について「表向きは中毒患者の救済を掲げながら、軍部が傀儡政権に膨大な利潤が上がるアヘンの流通制度を導入させた実態がうかがわれる」と話している。(永井靖二)
〈里見甫〉 中国の日本語新聞の記者などを経て、32年12月、旧満州国の首都新京(現・長春市)で「満州国通信社(国通)」を設立。日中戦争が始まると陸軍特務部の依頼でアヘン流通を支配したとされ、「アヘン王」の異名をとった。敗戦後は戦犯訴追を免れ、政治・経済の表舞台に現れることなく死去した。
〈里見甫の伝記「阿片王 満州の夜と霧」を書いたノンフィクション作家佐野眞一さんの話〉 里見は極端な秘密主義者だった。「右手がしていることは左手に教えるな」という言葉を生涯の行動規範とし、直属の部下にすら仕事の全容を教えなかった。その里見が、アヘン取引について自ら記した文書が見つかったのは初めてではないか。日本軍の主導でアヘン専売制が敷かれた経緯や、「宏済善堂」の業務などが詳細に述べられ、極めて貴重な内容だ。
[asahi.com 2008.8.18]
日中戦争とは20世紀の阿片戦争、関東軍と蒋介石が阿片を奪い合ったゲーム
【阿片王 満州の夜と霧 By 佐野真一】<昭和史の闇で輝きを増す男:里見甫>
主役が満州(現中国東北部)で阿片密売を牛耳った里見甫(さとみはじめ)。作者はノンフィクション界きっての才知豪腕の持ち主。この大取り合わせによって、昭和史の暗部で蠢く人々の実態をまるで喜劇を見るように楽しむことができる。
「前の戦争の発火点である満州国がいつ終わったのかを誰も特定できない。甘粕正彦(満州国要人)が自殺した瞬間か。ソ連軍の侵攻が始まった時か。そうじゃない。世代的な問題かもしれないけど、けじめをつけたかった」 宮本常一(民俗学者)の生涯を追っていた10年前。里見の遺児の奨学基金募集名簿を入手した。その発起人には、岸伸介、佐藤栄作、児玉誉士夫、笹川良一、甘粕四郎(正彦の実弟)、松本重治、伊藤武雄(中国研究家)・・・と、首相からジャーナリスト、政界のフィクサーに至る幅広い顔ぶれが名を連ねていた。
「満州は何によって支えられていたか、その下部構造を書かなければいけない。換金作物は阿片だけ。日中戦争とは20世紀の阿片戦争。関東軍と蒋介石が阿片を奪い合ったゲームだったのです」
この構造の全体を知りうる人物は里見だけだという。
「とにかく魅力的なやつ。怪物と呼ばれた人物は歴史上たくさんいるが、里見は掘れば掘るほど暗闇の中で輝きを増していく印象でした」
主役の立ち位置に加えて、巧みな演出が読みどころだ。
「あそこでコーヒーを飲んでいるのは東条じゃないか。笹川なんか、チンピラ扱い。(そうそうたる人物も)そんなふうにした。ぜいたくな作りになっているんです」
物語にいざなうピエロ役として晩年の里見に仕えた秘書的人物を探り当てた。名簿に記された唯一の女性が「男装の麗人」で、里見の片腕だったことも突き止めた。
<戦後の高度経済成長は失われた満州を日本に取り戻す壮大な実験でなかったか>。
このモチーフに沿って、めまぐるしく人が動き、通り過ぎる。が、里見は戦後、なぜか歴史の表舞台から退場した。 「そんな生き方を強いたのは戦後の薄っぺらな残酷さでしょうか」
文:桐山正寿(佐野真一『阿片王 満州の夜と霧』は新潮社・1,890円、2005/07刊行)
里見甫(さとみ はじめ)
極東国際軍事裁判の法廷にアヘン問題の証人として出廷した里見甫(中央)=46年9月4日小倉市生まれ。戦前の経済人。東亜同文書院を出て、そのまま中国にいて新聞記者になるが、当時の関東軍参謀副長の板垣征四郎少将にから、財源確保の為にアヘン売買の仕事を頼まれる。彼は満州国の建国思想の五族協和に共鳴し、その仕事を引き受け、以後深みにはまっていくことになる。そして、和平を唱える汪兆銘をたて蒋介石に対抗する南京政府の資金として、今の金で五千億円というアヘン売買の取引をしている。戦後、戦犯として逮捕されるが釈放。戦後総理大臣を務める岸信介のスポンサーでもあった。
日本が大陸侵略を始めた戦前のこと。”満州帝国”(1932年建国宣言)という一つの国家を現地住民の総意無く建国するわけで、収入面で全く無謀の計画であった。現地住民達は日本という国名さえ知らない状態で、当然税収入の道が確立しているわけではない。そこで日本の関東軍が目を付けたのが”阿片”と言う少量で高価な物質。其の売買で得る巨額な金銭で外国の地に国家を建設した。但し表向き日本という国家が”阿片”を取引できないので、その取引は民間組織を使った。その役を担ったのが”里見甫”(さとみはじめ)である。当時の中国で表向きは麻薬は禁止であったが、日本軍の旗があるところには販売されていたので、現地の人達は日本の国旗を「麻薬密売所」の印と考えていたようだ。麻薬吸飲者は清朝高官から一般庶民の低所得者にも広く浸透していたようで、その販売は中国人の裏組織が取り仕切っていた。里見は販売面ではその組織に任せ、阿片購入は三井物産や三菱商事を使い、管理は軍倉庫を使った。
そもそも阿片が中国大陸を侵すようになったのは、英国が東南アジアを侵略した18世紀頃からで、英国は中国に阿片を持ち込み、その利益で印度から香料を持ち帰った。清国と英国との阿片戦争(1840年)の頃には約1000万人が阿片に浸かった生活をしていたいう。
里見甫は大陸に渡ったときは新聞記者としてスタート。日本が中国大陸を支配するに従い、関東軍が対外向けに報道機関を一つにしたとき設立した「満州報道通信社」の代表となる。やがて満州帝国高官の岸信介に頼まれて天津で阿片管理を始める。その頃は日本軍は北京にも傀儡政権を作り、その財政を支える必要もあった。さらに日本軍が大陸中央を支配するようになって南京にも傀儡政権を作った。(昭和13年)そこでその財政支援も里見の仕事となった。その規模は巨大で、上海に拠点を置きペルシャから阿片を購入している頃の取引利益は現在の日本円にして約30兆円を超える、と有ります。阿片販売の利益及び阿片そのものは、日本軍と敵の蒋介石政府と里見の企業が3等分したと言うことです。企業運営費の中には中国黒組織も含まれます。里見の私有財産は当然莫大になり、岸信介が昭和16年の国会選挙に出る費用など、多方面に提供しています。 戦後、戦犯として逮捕されるが、釈放されてからは一切の要職につかず、市井の片隅で平凡な生活をしている。公私ともに世話をした岸信介が首相になったとき、会いたがっているという仲介をとる者もいたが、会おうとしなかったと言われる。同じ政商で昔なじみの児玉誉士夫が政界の黒幕になったのに較べ対照的である。 彼は昭和四十一年、突然倒れ、不帰の客となった
昨日、NHKで、日中戦争と阿片という、ドキュメンタリー番組を、やっていました。

北京オリンピック開催中ですが、
アメリカ公文書館などのいろいろな資料、
東京裁判の証言ビデオ、
関東軍が、満州の広大な土地で、
現地農家に、けしの花を栽培させ、大量に阿片を製造していたこと、
関東軍、厚生省など関係局との議事録、
占領地に、多くの何千という、阿片窟をつくり、管理していたこと、
阿片売買代金の利益で、関東軍の兵器を購入していたこと、
ソ連参戦時に、関東軍本部の地下に大量の阿片を、みつからないように埋めたこと。
中国各地の旧現地農家、北京の旧阿片窟での取材などが公開され、
阿片の製造と販売で、どのくらいの方達が、犠牲になったのでしょうか・・・
ちっとも知りませんでした。そして、とても衝撃的でした・・・・

