ガリア戦記
『ガリア戦記』(ガリアせんき, Commentarii de Bello Gallico)は、ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が自らの手で書き記したガリア戦争の遠征記録。カエサルが刊行した当時の題名は、中世の写本などから『ガイウス・ユリウス・カエサルの業績に関する覚書』(C.Iulii Caesaris Commentarii Rerum Gestarum )であったと考えられているが、ルネサンス以降の刊行における題名は『カエサルのガリア戦争に関する覚書』(Caesaris Commentarii de Bello Gallico )であり、さらに省略されて現在流布している題名になった。
指揮官カエサル自らが書いた本書は、簡潔、明晰かつ洗練された文体で書かれたラテン散文の傑作であり、文筆家カエサルの名を不朽のものとした。 もともとはカエサルの元老院への戦況報告の体裁を取っていたと考えられ、文中において自己に言及するときはカエサルもしくは三人称で書かれていることが特徴である。また文中の所々にガリア人・ゲルマン人の風俗についての記述があり、研究上の重要な史料と位置付けられている。更に、東洋とは違い欧米の政治家・軍人には回顧録等を書く者が多いが、その最初がカエサルによるこの書である。紀元前58年から同51年にかけて8年間にわたるガリア遠征について記述した本書は全8巻から成る(Wikipedia)
「ゲルマン人との戦争」
ゲルマン人が法外な体格を持ち、信じられないほどの勇気があり、戦争に鍛えられていると伝えたガリー人や商人、たびたび、ゲルマン人と出会ったがその顔つきや眼の光に耐えられなかったという・・・
不意に大きな恐怖が全軍をとらえ、すべてもの士気、精神を全くかき乱した・・・
わたし(カエサル)は、これを知って会議を開き、各級の百夫長を会議に集めて痛烈につまった。
ゲルマン人が、たとえ怒り狂って挑戦してきても恐れることはあるまい、なぜ見方の武勇と努力を見限ってしまうのか? 確信が、大きな利益をもたらす・・・
自分の潔白なことは生涯を通じても明かであり、また、幸運であることはヘルティ族との戦争で証明された。みんなが、恥を知って責任を果たすか、それとも、恐怖が勝つか、まずそれを知りたい。
自分は、この軍団に特別な期待をかけ、その武勇を最も信頼している。
皆の気持ちは驚くほど変わって、戦争をしようとする意気と希望が大きく湧き上がり、まず、第十軍団は千夫長を通して自分らに対する最高の評価を感謝し、戦争準備の完了を断言した。
カエサルは野心家で自己顕示欲が強く、共和政体を骨抜きにして 自ら王になろうとしたといわれる人物だが、その後の安定した帝政の礎を 築いたこと、クレオパトラとの恋愛が繰り返し語られたこと、著述家としての 力量に秀で後世まで「ガリア戦記」が読み続けられたこと、アウグストゥス により神格化され崇拝の対象になったこと、人間らしさに共感すべき 点が多いこと、数々の名言を残し、その名言が日常生活に溶け込んで しまったことなどから、現代においても東西の歴史上最も高い人気を 誇る人物。
カエサルはエトルリア系の貴族ユリウス 一門の家に生まれ、独裁者マリウスの親戚として元老院議員になり、 莫大な借金をしながら「パンとサーカス」を市民に提供するという 人気取り政策があたって市民から慕われた。ただし、若い頃は大した役職にも つけなかったので典型的な晩成型だったようだ。歴史の表舞台に 登場したのは40歳になってからで、マリウスの後権勢を 振るった独裁者スッラが死んでローマの権力に空白が生じたとき、 市民の人気を背景に軍人ポンペイウス、大富豪クラッススと密約し 三頭政治の一角を担った。翌年執政官(コンスル)に就任したカエサルは 元老院の議事録を壁新聞にして公開するなどの改革を矢継ぎ早に断行する。 執政官の一年の任期を終えると前執政官(プロコンスル)の肩書きで ガリア属州総督となる。当時のガリア属州はガリア南部の一部で、残りの大部分は ローマに服従していなかったが、カエサルは積極的に兵を進め、 地元の有力者を取り込みながらガリア全域を属州に組み入れた。
[ローマ逍遥記]
2000年前のカエサル(ジュリアス・シーザー)の自書遠征記録として、とても有名です。
具体的な記述が、豊富で、読んでいて飽きません。
カエサルの洞察力、リーダー性、判断力、持続力、集中力、やさしさなど、
人間性がとてもよくわかります。
ルビコンを渡るなどの名言も、有名ですよね。
G8も、無事終わり、世界の繁栄と平和、安定をねがいたいですね。


