「モスクワの目抜き通りトベルスカヤにある「銀の瀧」という居酒屋・佐々木正明氏撮影」
この頃はロシアに進出する日本企業が日に日に増している。モスクワやサンクトペテルブルグに事務所を開いてから日が浅い会社の方、これからロシアに拠点を置こうとする会社の方、とくに現地滞在の候補になっている方は不安に思う事柄が少なからずあろうかと思う。ロシアでの駐在経験がなければ(多くの方はそうだろうけれど)、未知数であるこの国での生活は大丈夫だろうか、食事ひとつにしてもどうなのかという不安を抱えている向きが多いに違いない。
フレンチ、イタリアンから和食までなんでもござれ
ただし、食事のことならご安心ください。今はモスクワに行けば食事に困ることはない。ホテルのレストランは高くても、一歩外へ出れば、軽食がとれるフレンチ・カフェ風のお店からロシア料理はもちろん、イタリアンや和食レストランだってなんでもある。値段もピンからキリまでで、どんな予算にも対応できる。
ディナーのお店選びには迷うほどあって、ランチは、手頃な値段のビュッフェ・スタイルが人気高い。マクドナルドとの競争に臨んでいるロシア風のファスト・フード店もけっこう多い。マクドナルドは、モスクワだけでも56店舗があり、ロシアの30の都市に普及している。ケンタッキー・フライド・チキンは2006年、ロシア企業と合弁で、ロシアのファスト・フード市場に進出を果たした。
そういえば、フランスの料理店「ビストロ」の語源は、元々ロシア語で「早く」を意味する、そのまま「ビストロ」「быстро」という語である。 19世紀のナポレオン軍がロシア軍に敗れた際、パリに入ったロシア兵の「早く飯をくれ」という要求から来ている言葉らしい。まさに「ファスト・フード」なのだ。
とはいえ、この話を聞いて、「なんだ、普通じゃないか」と思われるのは少々早い。なんのサプライズもなければロシアではないからである。
客を狼狽させる創作料理──ロシア料理店の"寿司"
先日、私は、ランチをとるつもりで、手ごろな値段のレストランに入った。店の名前からは何料理かを想像することはできないが、まあ、モスクワなので洋食屋さんだろう。ビジネス・ランチは、案の定ビュッフェ・スタイル。惣菜のカウンターにはサラダが数種類、ビーフ・ストロガノフ、ハンバーガー、フライドポテト、パスタの大皿が並んでいた。
そして、その隣。「えぇ?何これ?」。「ロール」という名札が付いたのり巻きの数種類。カウンター沿いに少し進むと、ボルシチの大鍋の隣に「ミソ・スープ」と「魚介類入りのミソ・スープ」という名の2つの大釜もあった。後になってから分かったことだが、「ミソ・スープ」とは、具が無い味噌汁のことである。
モスクワには仕事で来ていたので、この明らかに和食でないお店ののり巻きや味噌汁の存在にのんびり驚く余裕はなかった。隣席を見回すと、味噌汁は別にしても(具が入っていないものをだれが好むか)客の半分ぐらいが多かれ少なかれ、のり巻きを皿にとっていた。ロシアは和食ブームだと聞いていたが、この人気ぶりに驚いた。
また、別の日。ロシア小料理のお店のメニューに、寿司が載っていることに驚くのは、私だけであった。同席したロシア人は、ロシア料理に中華、イタリアン、またフレンチのメニューに和食が入っていることを、むしろ自然に受け止めている様子。それを「フュージョン」つまり「創作料理」というのだ。
純粋な伝統料理もある
モスクワには「創作料理」以外にも、つまり純粋な伝統料理のお店がたくさんある。ロシア料理のお店ならロシア料理で、グルジア料理のお店はグルジア料理、そして和食だけを出しているお店も多数ある。
モスクワのレストランの最新ガイド(ベスト247店)には、日本料理店は16店が載っており、ロシア料理の14店を上回るほどの人気を誇る。他の国の料理はどうかというと、イタリアンは和食と同様に16店、中華は以外と少なく9店、フランス料理は13店という具合なのだ。
予算で言えば、国籍を問わず大体のお店は500ルーブル(約2,500円)から3,500ルーブル(約17,500円)で、ロシア料理も和食もほとんどこの範囲に収まっている。
ロシア料理はもちろんだが、旧ソ連共和国の民族料理のお店の共通点は、味が本場に極めて近いことと、シェフをはじめとするスタッフのほとんど(見た目では全員だが、統計をとったわけでもないので、「ほとんど」にしておこう)がその国の出身者で成り立っていることである。店の雰囲気はその国の民家や居酒屋などを再現しているものが多い。それにもう1つ。こういうお店のメニューは、うすっぺらな10枚程度のものではなく、手にのせるとどっしり重く、表紙は存在感をアピールするように革製のものが多い。料理の種類は伝統的なもので、しかもバラエティーに富んだ品ぞろえである。
ロシア、ウクライナ、ウズベックとグルジア料理はぜひ食べてみて!
日本人の観光客は、「美味しい、そして香ばしい」と黒パンをほめる。ロシア独特なライ麦パンに使うスパイスのキャラウェイ・シード(ロシア語で「тмин」<トミィン>)をたっぷり使った、人気の食パンである。ロシアやウクライナ、ベラルーシといったスラブ系のレストランでは、パン・バスケットの中は必ず2色である。香ばしい黒パンとフランスパン風味の「白パン」が入っている。
それに、ピクルスの盛り合わせが定番。シャキッとする塩漬けキャベツには、ざくろ石の赤いネックレスの玉のような「こけももの実」(ロシア語で「клюква」<クリュクワ>)がのっており、レモンに負けないすっぱさと渋さをちょっぴり加えて漬物の味を引き締め、また、鮮やかな色で目を喜ばせてくれる。キノコのピクルスもロシア料理の名物。店によって、レシピが微妙に違うので、なんともいえない歯ごたえのあるスパイシーなご馳走が楽しめる。もとよりピクルス作りは、寒い地域の保存食として重要であり、お女将さんの面子をかけた腕の見せ所の1つであった。
もちろん、ピロシキも定番。そのあと出てくるのがスープ。ボルシチがよく知られているだが、ほかにも色々な種類のスープもある。夏になると、ビートのワインレッド色にサワークリームの霞みがかかったような冷たいスープ。これにはみじん切りのキュウリが入って、お酢の隠し味が涼しく、食欲をそそる。
ウクライナ料理の店は、ロシア料理店と同じように民族衣装で飾られ、ウクライナ民家風にできている。この田舎のスロー・ライフのレストランは、大都会中では心のオアシスに思える。
ウクライナの独特な前菜は、サーロである。そのサーロとは、数カ月間に塩漬けされた豚の脂を薄くスライスして、お皿に扇子の形に並べられているものである。コレステロールの塊だがウオッカによく合うとされている。
意外に知られていないのは、名物のバレーニキのこと。バレーニキはウクライナ版の餃子である。具はジャガイモや、キノコ、それにチェリーを加えた甘いバレーニキは世界一美味しいと言いたくなる。しかし、世界はそれを未だ認知していない恐れがある。
時間があったら、ウズベック料理のピラフとグルジアの豆と野菜料理もぜひ召し上がっていただきたい。日本人の口にも合うと好評である。
どこか違う味
では、遠い国の料理はどうなのか。一概には言えないが、先日訪れたモスクワのフレンチ・レストランの料理は、その直前にパリで食べた同じメニューと味が随分と違っていた。
ロシアでは500の和食店(日本の農林水産省データ)があるほど、日本食の空前のブームが起きている。2006年、モスクワのレストランのビジネス・ランチの人気ランキング(30店)のなかに3つの日本料理店が入っている。「Бенихана」<ベニハナ>は15位、「Сумосан」<スモサン>(ビジネス・ランチの平均値段は、850ルーブル、約4,250円)は27位、「Япона мама」<ヤポナママ>(ビジネス・ランチの平均値段は、295ルーブル、約1,475円)は30位である(ロシアの大手メディア『ロスビジネスコンサルティング』社の格付けサイト http://rating.rbc.ruより、注:「ベニハナ」のビジネス・ランチの平均値段は記載されていない)。
ランチは手ごろでも、最高級料理はやはり和食。モスクワで一番高い料理は日本の松阪牛を使った(というのは、『ロスビジネスコンサルティング』社の説明だが)、「ワフ」「Вафу」と「マツザカ テッパン」「Матсузака Теппан」(それぞれの値段はなんと3,600ルーブル、約18,000円)である。
自国の料理を海外へ進出させる際には、現地の味にある程度合わせる覚悟が必要であることを、私だって分かっているつもりだ。素材を完璧にそろえることの難しさも容易に想像ができる。料理長が本場のプロでも、例えばモスクワの日本料理であればスタッフ全員を日本人で確保するということも非現実的な話である。
それに、ブームが起こると、味よりも利潤を求め本場の味覚を知らない実業家が客としてではなく、経営者として関わることも多いにありうる。そうなると、遠い国で自国の伝統料理に出会えるはずはない。名前が一緒でも、味の化け具合には戸惑うばかり。本当の味を知らないお客さんは、結局、その「創作料理」が和食だと信じてしまう。この歪んだイメージは、本当の和食文化の普及を妨げることになりかねない。つまり、「食」のグローバル化が進んでも、「食文化」のグローバル化までには至っていないのである。
正直言って、私はモスクワで「Матсузака Теппан」<マツザカ テッパン>を食べたことがないので、味はどうかと、判断ができない。けれど、モスクワ有数の高級鉄板焼のディナーの経験がある、一緒にいた日本人上司の言葉を借りれば「和食を食べに行ったけれど、和食を食べた気がしない」らしい。素材の新鮮度や、調味料(塩と胡椒)の過剰な使用、コックさんの大げさな手振りと最後のお料理の盛り付けは、やはり日本料理からは遥かに遠いものだった。
もっと手ごろなお店で食べた、かっぱ巻きはシャリの具合を除けば、キュウリは日本と同じだった。アボカド、カニとチーズが入った太巻きは新しい味覚として記憶に残っている。おいしかったかどうかは、ノーコメントにさせていただきたい。
「食」のグローバル化を次の段階の、「食文化」のグローバル化まで発展させることは簡単ではないだろうが、解答はあるはずだ。
今年4月、吉野家がロシアに進出すると発表した。それ聞いて私は「そうだ!これが解答だ!」と思った。異邦人任せの和食のグローバル化をただただ見過ごすのではなく、日本人の手によってそのグローバル化を正しい方向に導くのだ。日本としっかり繋がりを持つ飲食店チェーンであれば、ロシア市場で競争力を保つために現地の好みに合わせることを最低限にして、日本の味をしっかりと残すことができるだろう。
私は「創作料理」という概念に特に反論はない。「食」のグローバル化のお陰で新しい味が生まれるのであればそれは素晴らしいことだと思う。けれど、味の進化があれば、逆に退化もありうることを忘れてはならない。
日経ビズプラス
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/
大和総研
産業コンサルティング部 主任研究員
井本沙織
(いもと・さおり)

ホームページ:
http://www.dir.co.jp/index.html
略歴
* 1991年(ソ連が崩壊する直前)に中央大学の研究員として来日
* 1994年商学修士、1998年経済学博士の学位を授与
* 1998-2005年中央大学で日本人学生向けの特殊講義「外国人から見た日本の経済と金融(比較制度論)」等を担当
また、桜美林大学で、留学生向けの”The Japanese Economy”の授業を現在も担当)
* 日本経済の研究の他、「比較制度論」の枠組みの中で、ロシア経済を研究、論文を発表
* 2005年11月より内閣府経済社会総合研究所でロシア経済を研究
ロシアで日本料理が人気なんですね。渋谷のロゴスキー、新宿の??にたまに行きます。とてもおいしいです。

