まだ豊田にいる頃



日本ものまね大賞が放送された。



その中で、抜群のものまねを披露している人がいた。


誰もやらない


ビートたけし、石橋貴明、松村達雄…



そう…



松村邦洋である。



ものまね四天王のやり方がテレビのあり方と思っていた私には‘衝撃的’だった。



特に、たけしさんのマネなどやる人はいなかった。



私も見よう見まねでやってみた。



なんとなく…クオリティは低いが形は出来た。




そうこうしてる間に松村さんはどんどん有名になっていった。



特に、進め!電波少年での活躍がすごかった!




しかし、ある時ふと思った。



松村さんの声が‘ダミ声’になっている…



多分、過酷なロケで喉がやられてしまったのだろう。


待てよ…



たけしさんのマネにダミ声を足したら松村さんのマネが出来るのではないか?



そう思い、毎週電波少年を録画し、様々なセリフを覚えた。



しかし、なかなかパッとしたセリフがない。



すると、ある時から‘猿岩石’がヒッチハイクの旅に出る企画が始まった。



毎週やる企画なので、同じセリフを毎回いう…



世間の人の耳に残るのが望ましいと思っていたのでこれはありがたい!



企画は大ヒット!



松村さんのセリフは



猿岩石ユーラシア大陸ヒッチハイク速報~!



からの爆風スランプ「旅人よ」



完全な流れが出来ました。


これが‘松村邦洋’誕生秘話です!