子育てを放棄した日本 | きまぐれさとみの気まぐれ日常スタイル

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日常を気まぐれに思いついたことをいろいろ書いてゆきます。春と夏には「風のように旅する男」の本領発揮…てな旅日記を入れたり…時々聖書や聖クルアーンに書かれていることに近いこと書くかも。

 帰ってきましたぁ。帰りの新幹線の中ではしんどかったけど。もう、旅の途中飲みすぎて。さて、旅の途中でYahooニュースから面白い記事を見つけた。

子育て世代に不寛容な日本社会
 日本では公共の場で子供がぐずって泣いている場面が多いと思う。ヨーロッパではあまり見られないので、なぜかということが書いてあった。まだ、言葉も知らない子どもは泣くことでしか意思表示ができない。ただ、言葉を覚えて、自分で動けるようになれば、自分で自分を律することが必要になる。

 日本では子どもがぐずって泣いていると周りが冷たい視線を浴びせる。そうすると親は泣き止ませるために子どもの要求を受け入れてしまう。だから、またぐずって要求を突きつけてくる。結果、常にあちこちで子どもが泣いているというわけ。昔は子どもと親の間に立って子どもに言い聞かせる人が多かった。

 しかし、今は泣いたり走り回ったりする子どもを迷惑がる人たちが多い。なぜこうなってしまったのか?

当事者意識がない一般市民
 子どもに対して不寛容なのは、自立した大人だけの世界で満足しているから。当事者意識がなければ、和を乱すことには神経をとがらせるわけだ。ヨーロッパでは子どもがぐずって泣いている親に対して暖かい言葉をかける人が多いそうだ。それはかつて自分も同じ思いをしていたから。そうなると親は周りの人たちが味方なので、下手に子どもの要求を飲まないで放っておくことができる。要求が受け入れられなくなると、子どもは要求を通すために泣くこともなくなる。

 ただ、現在の日本は未婚率が高く、子育てに苦労した経験がない人が多い。それで、子育てしている人に冷たい。また、それを体感しているからこそ、結婚しない、子どもを産まない社会になっているのではないだろうか。

75歳以上の人たちが捨てられるのは自業自得
 結婚していなくても、異性の友達や恋人がいる人はいずれ結婚して子育てをするという漠然とした考えはあるはず。それなら、自分もいつか通る道なのでもっと親身になって考えるはず。

 しかし、社会の目が厳しいから結婚を考えない、子育てを考えないから子育てしている人に厳しい。では、異性の友達や恋人を作れば…意外と学生ならともかく、社会に出てしまうと出会いがない。そもそも、恋愛に関して後ろ向きな考えを作ったのは現在75歳以上の人たちである。恋愛を問題視し、タブー視した結果、結婚のハードルが高くなると結婚しない人が多くなる。

 それはいずれ、社会が高齢者を支えきれなくなる時代の到来を意味する。すでに公的年金が壮大なネズミ講になっている現在、どこで破綻するかわからない。そうしたとき、75歳以上の人たちが捨てられることになる。そうなってしまってから後悔しても後の祭り。

 現在我々ができることは50代までに自分の人生を再構築すること。今ある立場にしがみつかないで、新たな可能性にかけること。家族を守る必要のない人は今ある地位を捨てて冒険することもいいだろう。新しい仕事や生活を作って行くことも必要。20代の頃に築き上げた地位は20代の頃に最適化されているので、歳をとるごとに満足な結果を出せなくなる。

 また、若い頃に常識だったこともいまでは非常識になっていることもある。常にトレンドを読み、最適解を求め、自分の人生を修正、再構築していかなければならない。

 現役時代にしかみつくより、老後をいかに上手く生きて行くか…40代から初めて、50代には結論を出さなければならない。出せなければ50代に終わってしまい、60代以降は蓄えを切り崩し、それがなくなれば税金で食べていかなければならなくなる。

行政は交流や出会いの場を
 新しいことを始めようにも人も仕事もない。そんな状況であるから、自分が若い頃に築き上げた立場にしがみつくのだと思う。もし、方向性の似た者通しが出会えば、何か行動を起こすだろうし、必要とされるものがあれば、提供できるだろう。そこにビジネスが生まれるし、趣味やスタイルが合う異性と出会えれば、結婚や子育てにも想像がつくだろうし、そうなれば子育てしやすい社会になるはず。

 特に人口減少時代には人々の出会いや交流の場があるかないかが明暗別れると思う。100人のビジネスパーソンと交流すれば、自分にあったビジネスがあるかもしれない。100人の異性と交流すれば、結婚相手が見つかるかもしれない。

 それが、数人しかいなければ、ビジネスや結婚に関しても宝くじで高額当選を当てるぐらい難しくなってくる。出会いや交流、チャンスをどれだけ多く提供できるかが、これから自治体が生き残るかどうかかもしれない。