つづりこめ。
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別れ


つづりこめ。


“あっという間だよ


忘れたくなくても思い出はどんどん消えてっちゃうよ


だから覚えているうちは大事にしなよ” (ドラマ「恋のチカラ」)



このセリフを何度繰り返したことか…のひと月でした。「別れる」というのは、二度と過去の間柄で会う事がないということ。二度と想いを伝えたり聞いたりできないこと。ぷつんと切れた糸の先のように、続きを見失うということ。

別れのあとに、出会えて良かったと笑顔になれれば素敵なこと。


御冥福を祈るとともに、見返りの滝へ紫陽花を撮りに行った日の写真を残しておこうと思います。

Re:


つづりこめ。-tori


庭の梅を取り終えて雨の季節がやってきました。

暫くぶりに日記を書くと何を書こうかキィを打つ指がとまりがちです。

だから今回はですます体なのです。おっかなびっくり。

こまめに留めておくからこそ日記なのだと思いつつ、気が向いたらでいいやと甘やかしている私。

けれども記憶なり感情なりを「容」にする大切さをおぼろげながら感じています。

自省の意味もこめて。


さて、グループ展のおさそいを頂きました。

発表というものに幾分抵抗はありますが、前回スイスのフォトグラファーの個展に参加する場を与えてもらい、その上思いがけない評価をもらったことでそれも薄れたのか、参加してみようかなという気持ちになっています。

4月2日のジャム教室


つづりこめ。

エイプリルフールに「わたし嘘つけません」という嘘をつきわすれ、翌日もんもんとしながらB.B.B. POTTERSにていがらしろみさんのジャム教室に参加。教わったのは手前の三つの小瓶の中身(左から、バナナとオレンジのジャム、いちごジャム、キャラメル・ヴァニーユ)。簡単なものほど、加減なんかが難しい。習っているあいだは「なるほど、なるほど」と納得してはいるのだが、いざ材料を前にしたら、ハテ・・・しばらく頭上をぼんやり眺めながら、うんうん唸ったりするのだろうか。鍋から立ち上る甘い香りをわすれないうちに復習しなければ。


メインの三つのジャム以上に写真のメインになってしまったのは、ジャム教室の傍らで販売されていたもろもろ。右往左往して選んだのはワニの口が見事に開いたスコーン(プレーンと胚芽)、Conte de printemps(いちごと黒胡椒)とIllumine(キウイとアプリコット)のジャム、コンポートにして乾燥させてから洋酒に漬け込んだ洋ナシのパウンドケーキ、ブリキに入った5種類のクッキー。


下に敷いた手ぬぐいにアイロンをかけ忘れ。写真にすると余計に気になる。


*B.B.B. POTTERS 福岡市中央区薬院1-8-8 1・2F

*いがらしろみさん 鎌倉のRomi-Unie Confiture代表の女性。“お菓子みたいなジャム”は色も香りも素晴らしい。何冊か著書も出されているけど、どれもシンプルな作り方が紹介されている。今回参加して、言葉で伝えづらい部分が多いのだなと納得。果物を加工したジャムも生き物なのだと実感しました。

あぶく


つづりこめ。

アーティスト

つまり 自分を何かを通して表現しようと試みる人間は

それでしかコミュニケーションが取れない人間ということだ

だからみんな 考える

はたから見ると「暗い奴」って思われる

そういうものだ

と、誰かが言った。


考えとか想いとかそういうのをきちんと伝えられるっていうのは憧れるけれども、同じものを持たない誰かに自分のかけらを見せて同じように感じることはない。だから精一杯伝えようと考える。頭の中でなかなかひっぱりだせない引き出しを必死にひっぱりだす。あなたに見せたいものがあるんだって。同じ立ち位置に立ちたいんだって。そこから、見える景色をわたしはこう思う、わたしは違うと思う・・・そういう話がしたいんだって。あなたをわかりたいというのは、自分をわかろうとしないとできないことなんだ。


そんな私に


自分がどういう人間かを分かっていたら

相手との距離感もつかめるようになるんだ

でも自分のことをわかろうとするのはとても辛い。

たまに目をそむけたくなることもある。

そしてとても難しい。

と、幼馴染が言った。


誰かのためになんて生きれない 

と、誰かが歌った。


逡巡する。

考えろ考えろ。

自分のことを。

どういうにんげんかを。

どうありたいかを。

うかんでははじけて消えるあぶくのようだ。


けど、そんなのどうでもいいよっておなかの底から爽快に笑いとばせる誰かがいたら

私は間違いなくすきになるだろう


梅の季節


つづりこめ。-ume
季節の巡りを、花と風と香りと味で知る。五感を刺激される。

そうだ。25日は太宰府天満宮に行こう。

名物の梅ヶ枝餅という通常は白モチに餡が入った焼き菓子なのだが、毎月25日だけは白モチがヨモギに変わるのだ。太宰府は近所なのに、まだ食べた事がない。せっかくなら春の間にヨモギを口いっぱい頬張りたいのだ。

花迎


つづりこめ。


花で迎えた2010でした。でもこの花束は誕生日にいただいたものです。

年の瀬迫る頃に生まれたのでせわしない子に育ったのだと言い訳にしたい気持ちも静まり返る思いです。

昨年は今までと違う一年になった気がします。今まで悩まなかった事に直面した年であった気がします。今まで知っていたのか知らないふりをしていたのか、自分の中にある弱さの切れ端をはじめて手にしたのです。

新しい歳アンド年は、これからのために立ち止まり、内観することを忘れずに。

行きたい場所があるのなら、道が険しくても、自分のペースで歩けばいい。

2010年。いい一年にしましょうね。



Merry Christmas!

年賀状を作っていてこんな時間になりました。といっても、郵政の年賀状作成用フリーソフトでチョコチョコ作っています。昨夜開けたワインが思ったより美味しくなかったので、毎度滑り込みで年賀状を作っておこうとPCの前へ座ったのですがいつのまにか居眠りしてしまっていたようです。サンタクロースの出現を見張っていますが見当たりません。配り終えた後なのか、まだ来ていないのか・・・年齢制限にひっかかる私のもとへは来なさそうなのでなんとも判断しかねるのですが、希望は捨てず。夜明けまであと少し。


Merry Christmas!

デザインのチカラ



「デザイン」のみぎもひだりもわからないけど

人のキモチをおどらせて

うごかす

そんなものに出会ったとき

普段意識してなかった「チカラ」に気づく

この階段はどれだけの人を笑顔にしたのだろう

素敵ですよね

これが「デザイン」なのかなあ

好奇心の足枷が嫌い

日曜日の花婿を祝いに、京都へ。

秋、とくに11月の京都の宿は手頃な値段から遠い存在。

さらに、サンタマリアノヴェッラと好日居のお休みは月曜日。

欲しいものがあったのに。

食べたかったのに。

岩茶が気になってたのに。。。。

一泊二日の旅は、やはり肌に合わない。

最低でも一週間は歩きたい。

特に京都は行きたい場所がたくさんあるのに。

近郊へも足を伸ばしたいのに。

と、行く前からぶーたれ中。

でも今回はお祝いしに行くんだもんね。

楽しさの種類が違うからね。

と、はたと思い返す。

いかんいかん。


山形の大沼養蜂に出会う。

ここの蜂蜜、ひとつひとつのロゴも可愛くて気になり中。


どうやら私の好奇心に足がつくことはないらしい。

足枷が嫌いといっても、足がないならそもそも意味は無いのだが。


一泊二日の京都に、何を見つけれるか。

楽しみの方向を、そこに定めようか。

天文館のライムライト

小さい頃日曜日の夜は「日曜洋画劇場」で映画を見るのが楽しみだった。番組の司会者だった淀川長治さんの最後の「さよなら、さよなら、さよなら」ばかりが残っていて、淀川さんが著名な映画評論家であるということを知ったのは随分後になってからだった。そういえば、チャップリンの映画を最初に見たのは淀川長治さんの番組だ。あの頃からチャップリンといえば淀川長治さんというくくりが生まれたのはきっと、熱を込めチャップリンを語るブラウン管の淀川さんが印象的だったからだろう。


天文館の細い道に「ライムライト」の看板を見つけたのは偶然だった。昔ながらの喫茶店というものを、自分がどれだけ知っているかといえば全く知らないのだが、小さい頃大人が珈琲を片手に新聞をめくり煙草の煙をくゆらせるのはこんな店だと想像した雰囲気まさにそのものの店構えに惹かれた。頼んだブレンドは、「普通」に美味しかった。たぶんずっと昔から同じように淹れられてきたんだろうなあと思う「普通」さが嬉しい。


お店の印刷物に書いてある言葉が印象的だった。


“つつましく
さりげなく
こだわりながら
変貌する街の一郭で
日々の暮らしに潤いを
いつまでも味の記憶に残る味を”


ある映画の最後でチャップリン演じる老齢の役者が死の間際に口にするセリフを思い出した。「プロなどこの世には存在しない。みんな一生アマで終わるんだ。」もちろん、映画のタイトルはご想像のとおり。


久々に、一冊だけ持っている淀川長治さんの本を読んでいる。





*淀川長治『私のチャップリン』の“好きというもの、尊敬というもの、夢中というものは、勇気を与えます。”という一説にとても共感します。