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コヨーテからのたより
意識と無意識の違いを大雑把に言ってしまえば、
「気付いている」か、「気付いていない」か、である。
意識:気付いている
無意識:気付いていない
そして、私たちが気付けている部分は、ほんのわずかである。
よくある例えであるが、海に浮かぶ氷山である。
海面に出ている部分を意識と例え、海面下の大きな部分を無意識と例える。
この氷山は、海面下にある大きな部分によって支えられている。
意識、無意識の場合も同じで、無意識と言う膨大な領域によって、
人は支えられている。
そう思うと、無意識のことを知るのは重要なこととなってくる。
そして、私たちを支配しているのは、無意識領域に眠るプログラム。
プログラムとは、これまでもお伝えしてきたとおり、
体験・経験を通して創ってきたものである。
実は、私たちは、プログラムを自ら創り、
その後は、その自分で創ったプログラムに支配されているのである。
つまり、私たちは、自ら創ったプログラムによって縛られているのです。
気付かなければ自動反応でプログラムが起ち上がります。
しかし、気付けば。。。
そう、気付けばいいのです。
その第一歩が言語化です。
どうして言語化するのか?
これは、少し考えておいてください。
さて、無意識の欲求は「安全・安心」であること。
そして、人間の中には、「考える自分」と「感じる自分」がいる。
「わかっちゃいるけど、やめられない」である。
肥満も、喫煙も、意識では健康に良くないことはよくわかっているのだが、
なぜ、止められないのか?
無意識は、何を感じているのか?
まず「安全・安心」欲求という点からいえば、
今、この瞬間無事に生きているということは、安心で安全であるととらえます。
つまり「何かを変える必要はない」と無意識は結論付けてしまいます。
無意識は、変化することなく現状を維持しようとしているのです。
更に、無意識は「いま・ここ」の認識しかありません。
肥満で数年後には成人病になるとか、煙草をすって数年後に癌になるとか、
そんなことは感覚的には分からないのです。
無意識は今、こうして安全で無事に生きていれば、変わらないでいる方が安心してしまうのです。
ここに変化することの難しさがあります。
本当の変化とは無意識レベルの感覚が変わることをいいます。
これもお伝えしてきましたね。
「Ki」です。
内的な体感覚「Ki」が変わらなければ、プログラムが変わったとはいえません。
そして、「Ki」を変えるには、五感や言葉が重要なアプローチの一つであることにお気付きですね。
繰り返しになりますが、私たちの無意識は何を求めているのでしょうか?
これは、私たちの無意識レベルにあるプログラムを知る上でも、
大変重要なコトでもあります。
無意識が持つ深い部分での欲求とは「安全・安心」です。
長く生きながらえる為の生存欲求ですね。
無意識が安全で、安心して過ごす為に数々のプログラムが起動します。
意識ではなく、無意識が。。。と言う所がポイントです。
意識と無意識は、独りの人間の中に存在します。
しかし、性質は全く別物です。
このように、意識と無意識に焦点を当てて考えてみると、
独りの人間の中には「考える自分」(意識)と、「感じる自分」(無意識)がいることが判ります。
もっと判りやすい言葉で表現すれば、
「わかっちゃいるけど、やめられない」です。
「ダイエット中で食べては駄目だとわかっているけど、食べてしまった。」
「禁煙中でタバコを吸っては駄目だとわかっているけど、吸ってしまった。」
考える自分は意識です、そして感じる自分は無意識です。
そして、『意識<無意識』です。
上記の例のように、無意識が勝ってしまうんですね。
では、この場合の無意識が求めている「安全・安心」欲求って?
意識では、痩せた方が健康であるし、タバコも止めた方が健康であるに違いないのに。。。
無意識は、何を感じているの。。。?
更に、考察を深めて行きましょう。