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ブラタモリが訪ねた地域のみちしる映像「山形・酒田」
「山形・酒田 ~山形・酒田はなぜ日本の中心!?~」
詳細情報
今回の舞台は、山形県の酒田。鳥海山と日本海を臨む港町で、年間290万人が訪れます。古くは西回り航路の起点となり、北前船の時代に繁栄を極めた場所でした。でも、どうして江戸から遠く離れた酒田が日本の物流の中心ともいうべき場所になったんでしょう?そこには最上川を生かした水運と豊富にとれる米、そして北前船がもたらす全国の産物の恵み、そして酒田港を強くサポートする沖合いの島の存在がありました。自然の恵みをたくましく生かした酒田の人々の知恵に、タモリさんが迫ります。
まずタモリさんが向かったのは、町のシンボル鳥海山を臨む最上川の河口域。実はこの最上川こそ、酒田発展の足がかりとなった場所でした。屋形船に乗って川岸を観察していると、古い石垣と船を発見。これこそが、かつて川を使って行われていた水運の痕跡。上陸して巨大な倉庫の中に入ると、そこには圧倒されるほどの量の米、米、米!酒田は最上川流域の米を集め、西回り航路を通じて一大消費地・江戸に送り込む重要な場所だったんです。この航路を利用して発展したのが、北前船。米だけでなく、日本海側の優れた産物を流通させていました。
続いてタモリさんが向かったのが、繁栄を極めた酒田のシンボル、豪商・本間家の旧本邸。部屋数23の大邸宅と工夫を凝らしたインテリア、庭に集められた全国の名石。ご子孫も登場して徳川斉昭の掛け軸や加藤清正ゆかりの瓶もご披露、これにはタモリさんもびっくり!
では、酒田の繁栄を支えた港はいったいどんなものだったのか? 港が一望できる公園に来ると、いきなり吹きつける強風!しかも海岸はほぼ直線で、風よけもなし。恵まれた環境ではない酒田の港の弱点を克服する秘密が、なんと沖合39キロも離れた場所に!?タモリさんがフェリーでやってきたのは「飛島」。そこには高さ40メートルの垂直で巨大な岩!実はこれが風よけとなり、飛島は酒田の港に入れないときの避難港となっていました。地形と農作物、人間の知恵と工夫があいまって生まれた酒田の奇跡を続々と発見します。
主な撮影地
山形県酒田市