◎WMC-251.ヘルシンキ(フィンランド) | 名人塾2

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◎WMC-251.ヘルシンキ(フィンランド)



左上からヘルシンキ大聖堂、スオメンリンナの要塞、
ヘルシンキ元老院広場、アウリンコラティビーチ、
市庁舎。




位置



都市名:ヘルシンキ(フィンランド)
人口:56(万)
順位(人口ランキング):220位

ヘルシンキ Helsinkiは、フィンランドの首都で同国最大の都市である。また、バルト海東部のフィンランド湾に面した同国南部のウーシマー県の県庁所在地である。人口は616,042人(2013年2月28日現在)、都市的地域の人口は 1,176,976人(2012年12月31日現在)、ヘルシンキ都市圏である大ヘルシンキの人口は約140万人でフィンランドではもっとも人口の多い自治体と都市域を形成している。
ヘルシンキ都市圏には核となるヘルシンキの都市的地域とエスポーやヴァンター、カウニアイネン、周辺のベッドタウンが含まれる。ヘルシンキは100万人以上が住む都市圏としては最北に位置する都市圏で欧州連合加盟国の首都としては最北に位置する都市であり、フィンランドの政治や教育、金融、文化、調査センターなど様々な分野の中心都市で、ヨーロッパでも最北の大都市である。
ヘルシンキは1550年に交易の街としてグスタフ1世によりヘルシングフォシュHelsingforsとして、ライバルとなるハンザ同盟の都市レヴァルReval(今日のエストニアの首都タリン)に対抗するために創建された。ヘルシンキは貧困、戦争、災害に見舞われ都市の計画は少しも進まず、小さな街のままであった。1710年のペストではヘルシンキの街の住民の多くが亡くなった。1808年の大火により市街の大部分は焼失している。
ィンランドの20世紀前半の歴史は混乱し続けたが、ヘルシンキは継続的な発展が続いた。 1939年11月30日には、ソビエト連邦が不可侵条約を破棄して冬戦争が始まり、初日からヘルシンキ工科大学や民家が空爆を受けて大きな被害を出した。
ィンランドの20世紀前半の歴史は混乱し続けたが、ヘルシンキは継続的な発展が続いた。 1939年11月30日には、ソビエト連邦が不可侵条約を破棄して冬戦争が始まり、初日からヘルシンキ工科大学や民家が空爆を受けて大きな被害を出した。
ヘルシンキのランドマークとなる出来事は第15回大会となるヘルシンキオリンピックが1952年に開催された。1970年代にはフィンランドでの急速な都市化が他のヨーロッパの地域と比べ比較的遅く起こり、都市圏の人口は3倍になり地下鉄網などが整備されている。





国会議事堂




ヘルシンキ中心部のアレクサンダー通り




ヘルシンキ中心のAleksi




ヴァッリラ地区




カタヤノッカのLuotsikatu




ヘルシンキ大聖堂




ヘルシンキ大学本館




ヘルシンキ現代美術館




リーナス・トーバルズ(Linuxカーネルの開発者)




ホテルトルニからのフィンランド湾と周辺部の眺望。