◎WMC-250.ボストン(アメリカ合衆国) | 名人塾2

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◎WMC-250.ボストン(アメリカ合衆国)



ボストン市




位置



都市名:ボストン(アメリカ合衆国)
人口:59(万)
順位(人口ランキング):210位

ボストン Bostonは、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州北東部サフォーク郡にある世界都市。同州最大の都市かつ州都であり、同郡の郡庁所在地でもある。アメリカで最も歴史の古い街の1つであり、「ニューイングランドの首都」と言われることもある。また、世界有数の大学都市としても有名である。
世界の143主要都市を対象とした2008年の調査ではボストンは生活費の高さで99位にランクされている。他方で、ボストンは「住みやすい都市」の評価で上位にランクされる。世界の215主要都市を対象とした2009年の調査では、ボストンは住みやすさで35位にランクされている。治安も良く、アメリカ国内でも最も安全な都市の一つとされている。
1630年9月7日にイングランドから来た清教徒たちの手によってショーマット半島に築かれた。マサチューセッツ湾植民地の清教徒は、1620年にプリマス植民地(現在のマサチューセッツ州ブリストル郡、プリマス郡、バーンスタブル郡)を建設した入植者(ピルグリム)と混同されることがある。しかし、両者は異なる宗教的実践を有しており、歴史的に見て別々のグループである。ボストンはオリバー・クロムウェルの台頭から当分ロイヤリストであるアンソニー・アービー一族の地盤だった。
七年戦争が起こる頃にはイングランド銀行の金融力がイギリス帝国を支配した。1770年代にイギリスは主に課税面で13植民地に対する支配を強めようとした。このことが、ボストン市民をアメリカ独立戦争の開戦へ駆り立てることとなった。ボストン虐殺事件とボストン茶会事件に加え、レキシントン・コンコードの戦い・バンカーヒルの戦い・ボストン包囲戦などの初期のいくつかの戦闘もボストンまたはその近郊で起こった。この時ポール・リビアがイギリス軍の進撃を伝えるために徹夜で馬を飛ばしたのは有名な出来事である。
1820年代にボストンの人口が増え始め、19世紀後半、ボストンに住み始めるアイルランド人・ドイツ人・レバノン人・シリア人・フランス系カナダ人・ユダヤ系ロシア人・ユダヤ系ポーランド人の数が増えていった。
2013年4月15日にはボストンマラソンで爆弾テロ事件が発生した(ボストンマラソン爆弾テロ事件)。
また独立記念日前後の期間には、6日間にわたるハーバーフェスト祭や、チャールズ川両岸での花火とともに行われるボストン・ポップス・オーケストラのコンサートなど、いくつかのイベントが行われる。
ボストンには、著名な美術館もいくつかある。ボストン美術館、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館などである。
ボストンはアメリカ独立戦争で大きな役割を果たしたことから、この時期の史跡の一部は、ボストン国立歴史公園の一部として保存されている。その多くは、「フリーダムトレイル」というルートに沿って歩けば見て回ることができる。フリーダムトレイルは、地面に赤い線が引かれた約4kmのウォーキングコースであり、ボストンコモンから始まり、州議事堂、パークストリート教会、オールドサウス集会所、旧州議事堂、ボストン虐殺事件跡地、オールドノース教会、チャールズタウンのバンカーヒル記念塔など、16の公式スポットを巡る[120]。ファニエル・ホール近くのクインシー・マーケットは、ショッピング、食事、各種イベントが楽しめ、観光客や市民が集まる場所となっており、年間1800万人以上がここを訪れる。




オリバー・クロムウェル




ガバメント・センター




るジョン・F・ケネディ図書館




チャールズ川北岸から見たボストン市街のパノラマ




秋の紅葉とボストン遠景




ボストン警察署本部




サウス・ステーション(ボストン南駅)




ボストンのシンフォニーホール(ボストン交響楽団所属)




ボストン美術館




ファニエル・ホール