◎WMC-249.ボルティモア(アメリカ合衆国) | 名人塾2

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スポーツ全般(特に野球)、バンド(リードギター編曲も)に興じ、ブログを書くことやホームページなどのプログラム作りが趣味です。

◎WMC-249.ボルティモア(アメリカ合衆国)



ボルティモア市




位置



都市名:ボルティモア(アメリカ合衆国)
人口:64(万)
順位(人口ランキング):200位

アメリカで最も古い都市の1つであり、1729年に誕生した。南北戦争の舞台にもなり、国歌や星条旗もこの地で生まれた。1830年に全米で初めてボルチモア・オハイオ鉄道(B&O)が開通した。魚種の豊富な優れた漁港として知られたが、ペンシルベニア炭田の開発により工業が発展し、後に造船・鉄鋼などで財政を潤し、また貿易港として発展し、ピークには人口100万人に迫る勢いを見せた。1904年2月7日10時23分頃、市街地で火災が発生し、36時間にわたって延焼、1,500棟以上の家屋が焼失した。
1960年代から施設の老朽化と主産業の構造不況によって中心地から人口が流出し、スラム街が発展し、治安の悪化が進んだ。そこで市は30年にもわたる再開発計画を実施、これはウォーターフロント開発の先駆ともいわれている。とりわけインナーハーバーの一新を図り、工業、貿易とともに多数のレジャー施設を建設した。インナーハーバーには大型ショッピングセンターや全米屈指のボルチモア国立水族館、海洋博物館などがあり、活況を呈している。一方、肝心の中心地の空洞化は依然として深刻で、治安改善はさほど進んでいない。
1830年代・1840年代・1850年代のアメリカ合衆国国勢調査において、ボルチモアは市域人口で2番目に大きな都市であった。しかし1950年代をピークに人口は減少傾向になった。半世紀近くにも渡って人口減少が続いていたが、2012年は人口が1430人増加、2013年は313人の微減となっており、下げ止まりは近いと市当局は見ている。
この都市の一人当たりの収入は16,978米ドルである。人口の22.9%および家族の18.8%は貧困線以下である。全人口のうち18歳未満の30.6%および65歳以上の18.0%は貧困線以下の生活を送っている。
スポーツでは、ボルチモア・オリオールズ(MLB、ボルチモア・レイブンズ(NFL)などがある。





第2代ボルティモア男爵のシラス・カルバート




ワシントン・モニュメント




ボルチモア港に架かるフランシス・スコット・キー橋




チェサピーク号が展示されているボルチモア国立水族館




ジョンズ・ホプキンズ大学図書館




ボルチモア・ワシントン国際空港




エドガー・アラン・ポー(小説家)




エドガー・アラン・ポーの墓地




オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ




ベーブ・ルース(ボルチモア出身のMLB選手)