◎WMC-246.クラスノヤルスク(ロシア) | 名人塾2

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◎WMC-246.クラスノヤルスク(ロシア)



エニセイ川からのクラスノヤルスクの景色




位置



都市名:クラスノヤルスク(ロシア)
人口:88(万)
順位(人口ランキング):170位

クラスノヤルスク市(ロシア語〔クラスナヤールスク〕)は、ロシア連邦シベリア中部の都市。エニセイ川の河畔に広がる。人口は約109万人で、シベリアではノヴォシビルスク、オムスクに次ぎ3番目に大きな都市。シベリア連邦管区の本部が置かれている。シベリア鉄道が通っており、モスクワからは約4,100キロメートル離れている。

1628年に前線の要塞として建設され、クラースヌイ・ヤール「赤い岸壁」と名づけられ、金の発見とシベリア鉄道の敷設によって急速に発展した。1934年よりクラスノヤルスク地方の行政の中心である。クラスノヤルスク国立大学、クラスノヤルスク国立農業大学などの高等教育機関も集中する。

1628年7月、ロシアの辺境の要塞として建設された時が市の歴史の始まりである。コサックのアンドレイ・ドゥベンスコイに率いられた士族たちは、カチャ川が大河エニセイに合流する地点に至り、エニセイ流域の先住民たちからロシア辺境を守るための砦を築き始めた。彼らは要塞の周りに家々や港を築き、周囲に木の柵を巡らせた。要塞は、この地に住んでいたテュルク系民族による地名であるフズル・チャル「赤い岸」)をロシア語訳し、クラースヌィ・ヤールと名づけられた。現在の地名であるクラスノヤルスクは、この村が市に昇格した際に改名されたものである。

19世紀にはクラスヌイ・ヤールはシベリアのコサックたちの中心地であった。1822年には市の地位を得て、新たな県(グベールニヤ)であるエニセイ県の県都となった。クラスノヤルスクは金鉱の発見で大きくなり、1895年にはシベリア鉄道が開通したため発展が加速した。クラスノヤルスクにはいくつかの工場と鉄道修理工場、車庫などができた。

第二次世界大戦では、ドイツ軍の攻撃にさらされたヨーロッパ・ロシアやウクライナから多数の工場がクラスノヤルスクとその周辺へも疎開してきた。これにより重工業は非常に活発になった。戦後、疎開してきた工場に加え、さらにアルミニウム工場、冶金工場、母材工場などの大工場が新設され、クラスノヤルスクはソ連有数の工業都市となった。1971年に巨大なクラスノヤルスク水力発電所が完成した。

ソビエト連邦の崩壊後、クラスノヤルスクアルミニウム工場など、多くの大工場の民営化が進んだが、民営化に失敗して破産するものもあった中、いくつかは新興財閥(オリガルヒ)などの傘下になった。こうした民営化で富を得た勢力もあったほか、失業した労働者も多く、貧富の差は拡大した。市内の歴史的建造物の修復や歩道の石畳化、広場や噴水建設などが進み、市内はソ連時代の暗い印象をぬぐいつつある。

1997年11月には、クラスノヤルスクにおいて橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領の首脳会談が行われ、「20世紀中に領土問題を解決し、平和条約を締結することを目指す」という内容の「クラスノヤルスク合意」が交わされた。2019年冬季ユニバーシアードの開催地。

クラスノヤルスクは、ノヴォシビルスクに次ぐシベリアの教育と科学の中心都市であり、30以上の高等教育機関(その多くはロシア科学アカデミーの支部となっている)が集中する。ラスノヤルスクにも、ノヴォシビルスク近郊の学術都市アカデムゴロドクのような教育機関や研究機関の集中する地区があり、やはりアカデムゴロドクと呼ばれている。




クラスノヤルスク市街 俯瞰




エニセイ川と夜景




市内の古い建物




市内の街並み




生神女福音大聖堂




クラスノヤルスク・アカデムゴロドク




クラスノヤルスク旅客駅




クラスノヤルスク地方歴史・民族学博物館







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シベリアクラスノヤルスクの都市

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