△日本百名山 No.073「富士山」 | 名人塾2

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△日本百名山 No.073「富士山」







●富士山 ふじさん 静岡県と山梨県 3776m/



富士山


コース:富士山はやっぱり日本一の山だと思う。太宰治は富士山をけなしていたけれども、なんだかんだ言っても、私は富士山が好きだ。



登山記録:1984年8月26日

富士山に登ったのは、東京にいたときである。

私はけっこう富士山が好きで、いろんな山に登っても、そこから富士山が見えるとうれしくなってしまう。

私と同じ津軽出身の太宰治は、富士山のことをめちゃくちゃ悪口言っているのだが、でも本当は富士山が好きだったのではないかと思ったりする。

太宰はあまりにも完璧な造形には反発を感じるらしくて、「舞台の書割」だなどといっているのだが、最後には「富士には月見草が良く似合う」と言っている。

あまりにも堂々とした富士山には、夜、可憐に花を開く月見草が本当に似合うのかもしれない。

20歳頃、私は旅行が好きで、まとまった休みがあると、国鉄の均一周遊券をもって、ザックを背負って旅行していた。そうした旅行の中で、正月休みに箱根の駒ケ岳に登ったことがある。

箱根湯元から、旧東海道を歩いたのだが、この日は快晴で、山頂からは真正面に富士山が真っ白な姿で聳えていた。

なんか涙が出るほど感動したことを覚えている。



富士山登山には職場の仲間と出でかけた。この時は東京の日本橋に勤務していた。

女性2人を含む4人でのパーティだったが、このメンバーで白馬、西穂高、谷川岳などを登ったこともある。
東京から午後に出発して、5合目にバスで到着したのは夕方であった。この時はヘッドライトをつけての夜間登山をしたのだ。

いろいろ本を読むと、富士登山は樹木がまったく無く、景色の変化もなくてきわめて単調なものらしい。おまけに夏は強烈な太陽に焼かれることになる。

だから夜間登山がいいのだそうだ。

5合目を夕方6時頃に出発して、9合目に着いたのは11時過ぎであった。
ここで小屋に泊まった。

翌朝は早起きをして、山頂でご来光を見ようと思っていたのだが、同行した女性たちが起きてくれなくて、9合目の小屋の前からご来光を見ることになった。

それでも、富士から見る日の出はすばらしくて、雲海を黄金色に染めて、徐々に日が登ってくるのにはけっこう感動してしまった。

元気に頂上に向かって出発。明るくなってみると、外国人がけっこう多いのにびっくりした。

最後に石段を登って、ようやく浅間神社の前に着いた。富士山山頂だと喜んだが、最高峰はここではない。剣が峰が最高峰である。

この最高峰の剣が峰は、浅間神社から富士山頂の火口の縁を半周した向こうにある。

荷物はこの神社に置いて、お鉢めぐりをすることにした。

このとき、私はつい短パンで歩き始めたのだが、これは失敗だった。途中、霧が湧きあがってきたりして、けっこう寒さに震えることになった。

剣が峰には富士山測候所富士山レーダーが建っている。

今なら、自然の景観が損なわれると憤慨するのだろうが、この当時、石原裕次郎主演の「富士山頂」という映画の印象が残っていて、すごい労力と多くの人の努力でこのレーダーが建てられたと知らされている。富士山レーダーに、つい感動してしまった。

山頂からは相模湾の海岸線が美しく見えた。

目を転じると、遥か向こうにアルプスの山々が見える。

剣が峰には「日本最高峰富士山剣が峰」とかいた石柱が立っている。この前で記念写真。

日本最高峰に登れたのだ。すごい満足感。

日本人ならやっぱり、一度は富士山に登るべきだ、などと思ったりした。




帰りは神社に戻って、来た道を下った。しかし途中から下り専用の道に入って、ここは砂礫の道。スパッツ必携だ。
この道を一気に走って下った。

5合目の佐藤小屋まで降りてきて振り返ると、富士山頂はいつのまにか雲に隠れていた。





富士山5合目。ここから登山開始



夜間登山で標高3000mまで来た。



9合目で泊った。小屋の前でご来光



雲海から日が昇る



山頂を目指す。雲海がきれいだ




吉田口頂上、浅間神社奥社



御鉢巡り、後が剣が峰



南アルプス方面を望む



富士山頂レーダー



富士山頂、剣が峰