映画名作選 「アマデウス」 | 名人塾2

名人塾2

音楽、映画、旅行・観光、グルメ、そして時代考証。過去・現代のあらゆる事象をあらゆる出典を紐解き、多角的角度から見つめます。
スポーツ全般(特に野球)、バンド(リードギター編曲も)に興じ、ブログを書くことやホームページなどのプログラム作りが趣味です。


1.チャップリンの独裁者('40)3.ガタカ('97)5.ブレード・ランナー/ファイナル・カット('87,'02)6.ブルース・ブラザース('80)9.Vフォー・ヴェンデッタ('05)10.ボンベイ('95)11.アマデウス('84)12.アバター('09)15.トイ・ストーリー3('10)16.ニューシネマ・パラダイス完全版('89)20.ミュンヘン('05)21.クロッシング('08)27.ジーザス・クライスト・スーパー・スター('73)29.2001年宇宙の旅('68)30.ゴッドファーザー('72)






アマデウス』('84)160分 米



「仰天した。とても信じられなかった。曲想が浮かぶままに書いたオリジナルが…どこにも書き直しがない!1か所も。書く前に頭の中で曲が完成しているのだ。どのページもすべて書き写したように整っている。その音楽も見事なまでに完成されていた。音符一つ変えるだけで破綻が生じる。楽句一つで曲全体が壊れる。私は思い知った。それは神の声による響きなのだ。五線紙に閉じ込められた小さな音符の彼方に、私は至上の美を見た」(モーツァルトの楽譜を見たサリエリの台詞)



18世紀のドイツの思想家ヘルダーは「この地上の2人の最大の暴君、それは偶然と時間だ」と、国王から庶民まで誰も逆らうことが出来ない、運命という名の“偶然”や否応なしに流れていく“時間”を嘆いた。しかし同じ頃、ウィーンにはその手で生み出す作品によって、時の流れの壁を突き抜けて永遠に名を語り継がれていく人間がいた。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。4歳でピアノ作品を作曲し始め、7歳で交響曲を、12歳でオペラを書いた神の申し子。35歳で早逝するという非情な運命の下でも600曲以上も作品を残した、その偉業と栄光の前で2人の暴君はどこまでも無力だ。とはいえ、モーツァルトの例はあくまでも奇跡であり特例で、多くの人間はこの暴君の手の平の上にいる。

映画『アマデウス』の主人公はモーツァルトではなく、同時代の作曲家アントニオ・サリエリ。サリエリは宮廷作曲家としてオーストリア皇帝ヨーゼフ2世(アントワネットの兄)にピアノを教えるなど、当時の音楽界で欧州一の名声を手に入れた男。しかし、6歳年下のモーツァルトがウィーンに現れ、激しく動揺する。同じ作曲家だからこそ分かる--才能にケタ違いの差があった。サリエリにとってモーツァルトの音楽は“神の言葉”に聴こえた。彼は自分の凡人ぶりを痛感し、勝負にならないことを悟ってしまう。サリエリはモーツァルトの音楽と人物のギャップに混乱した。サリエリは作曲を通して神を讃えたいと願い禁欲的な生活を送ってきたが、モーツァルトは軽薄で不道徳な男であり、サリエリを小馬鹿にしていた。「初めて耳にするモーツァルトの音楽。満たされぬ切ない思いに溢れていた。神の声を聞くようだった。なぜだ?なぜ神はかくも下劣な若造を選んだのだ?」「あんまりだ。私は神の栄光を歌い上げたかった。だが神は願望だけを与え、声は奪い去った。私の賛歌など望まぬなら、なぜ切望を与えたのだ?熱い欲求だけで、才能は下さらない」「理解できない。神は何をお考えなのだ?私への試練か?私に赦(ゆる)しの心を持てということか?それが神の望みか?いかに辛くても?だがなぜ彼なのだ?なぜモーツァルト相手に謙虚さを学ばねばならん?」。

神がサリエリに与えた才能は、音楽を創造する才能ではなく、モーツァルトの音楽の魅力を誰よりも理解する才能だ。これはまさに生き地獄。「(モーツァルト『フィガロの結婚』では)まことの赦しに満ちた音楽が劇場を包み、圧倒的な感動で観客の心を捉えた。神がこの小男を通じて天上から世界に歌いかけていた。1小節ごとに私は敗北の苦さを噛みしめた」「私の圧力で“ドン・ジョバンニ”は5回で打ち切られた。だが私は密かに5回すべてを見た。私だけがあの音楽を理解したのだ」。



音楽的才能に恵まれなかったサリエリはやがて神を憎み始め、モーツァルトに殺意すら抱き始める。「神よ。もう、あんたは敵だ。憎い敵だ。あんたは神の賛歌を歌う役目に、好色で、下劣で、幼稚なあの若造を選んだ。そして私にあるのは彼の天分を見抜く能力だけ。あんたは不公平だ。理不尽で、冷酷だ。あんたの思い通りにはさせない。あんたの創造物であるあいつを傷つけ、打ち砕く」「あれはモーツァルトではない。神のあざけりだ。神が下劣な声で私をあざ笑っていた。神よ笑うがいい。私の凡庸さを見せ物にしろ。いつか笑ってやる。この世を去る前にあんたを笑ってやるとも」。そしてサリエリは、“神よ、あんたは不公平で冷酷だ”と十字架のキリスト像を火にくべてしまう(映画とはいえキリストを燃やす場面は衝撃的で、地域によっては上映禁止となった)。


モーツァルトは35歳で死んだが、サリエリは74歳まで生きた。モーツァルトの名声が死後もどんどん高まる一方で、自分の名や作品が忘れられていく苦しみを味わう。「慈悲深き神は、愛する者(モーツァルト)の命を奪い、凡庸な人間にはわずかな栄光も与えはしなかった。神はモーツァルトを殺し、私に責め苦を与えた。32年間も私は苦しみ抜いてきた。自分の存在が薄れていき、私の音楽も忘れられていく。今ではもう、演奏もされない。だがモーツァルトは…」。

天才を前にして自身の凡庸さを思い知らされたサリエリの姿は、多くのクリエイターにとって決して他人事ではない。創作に苦しむ芸術家たちには、この映画は娯楽作品ではなく恐怖映画に映るだろう。最後に老サリエリが「私は平凡な一般人の頂点に立つ、凡庸なる者の守り神だ」と語るが、その彼をあざ笑うかのようにモーツァルト(或いは神)の高笑いが響いて映画は終わる。あれほど戦慄を感じた笑い声を聞いたことがない。

貧困の中で死んだモーツァルトは共同墓地に埋葬されたが、後に美しい墓が建てられた。近くのウィーン中央墓地にはベートーヴェン、シューベルト、ブラームスら有名作曲家が眠る楽聖墓地があり、その中心にはモーツァルトを讃えた追悼碑が建つ。一方、サリエリは同じ中央墓地に埋葬されてはいるが、楽聖墓地から遙かに遠く離れた壁際にあり、背後には路面電車の線路が敷かれ騒音で休まることはない。墓参した僕は思わず「サリエリも楽聖墓地に加えてあげて!」と涙が出そうになった。※サリエリの墓

『アマデウス』はアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞など8部門を制覇。授賞式ではサリエリ役のF・マーレイ・エイブラハムが「老人姿が本物で今日は特殊メイクで若返ってきました」とスピーチし、客席は大いに沸いた。モーツァルトの珠玉の音楽と、我らの王・サリエリに乾杯!
※オスカーの授賞式で「モーツァルトがノミネートされてなくて本当に良かった」とジョークを言った作曲賞受賞者がいた。同じ年のモーリス・ジャールか、2年後に『ラウンド・ミッドナイト』で受賞したハービー・ハンコックのどちらかだったハズ!

※アカデミー賞(1985)作品賞、主演男優賞、監督賞、脚色賞、美術監督・装置、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞


【以下はメイキングにあったミロス・フォアマン監督の言葉から】

・劇中のモーツァルトは下品な高笑いをするが、これはプラハのある高貴な女性がいとこに出した手紙「モーツァルトのケダモノのような笑い声を聞いて卒倒した」が元ネタだ。

・『アマデウス』には、ぼんやりとだが確実に感じる細部が多い。映画の冒頭でサリエリは神父に身の上を語り始めるが、その時点ではまだ窓の外が明るい。映画の進行と共に暗くなって背後のロウソクも短くなり、映画の終わりには再び外光が戻る。そしてラストは神父のヒゲが少し伸びている。つまり、サリエリの告白は一昼夜も続いたということだ。

・この映画でモーツァルトは指揮棒を使っていない。当時まだ指揮棒はなく19世紀初頭に初めてベリオスが指揮棒を使ったから。

・演奏家や作曲家や指揮者、私にとって音楽家ほどミステリアスな存在はない。(私は)手紙が書けるから物書きにはなれる。絵描きにもなれるだろうし、役者にもなれると思う。だが音楽家だけはダメだ。何が何だかさっぱり分からん。天上の調べを生み出すことなど凡人には不可能だ。自覚してるかどうか知らんが音楽家は凡人をバカにしてる。例外もいるが、基本的に凡人を相手にもしないし、自分の間違いを認めない(笑)。
・当時はいくら曲を作ってもお金にはならなかった。印税やら上演料などない時代だったから。彼らは教師で生計を立てた。だからサリエリは「貧しい音楽家を助けるべく常に努力し、多くの生徒に無料で教えた。働きづめの日々だったが素晴らしかった」と強調している。モーツァルトが宮廷の音楽教師を切望したのは、宮廷で教えれば評判が高まり生徒が一挙に増えるから。“サリエリは王女を教える件で私が召し抱えられることを明らかに妨害している”と、実際にモーツァルトがサリエリを名指しで非難する手紙を残している。

・クライマックスのレクイエム作曲シーンで、モーツァルトは寝かされたまま、サリエリも座ったままだ。人間が動かないから音楽が生きる。観客も音楽に集中する。映画史上初めて、人間ではなく音楽が主役になった作品だ。※作曲シーンの会話は指揮者のネヴィル・マリナーが書いた。
・モーツァルトはプラハで最初に借りた部屋は売春宿の2階だった。彼はそこの売春婦ローザ・カナビッチといい仲になる。そして次に当時有名だったソプラノ歌手・ドゥーシェク夫人の邸宅(ベルトラムカ)に移り住み、ドゥーシェク夫人とも関係した。このドゥーシェク夫人はクラム伯爵の愛人でもあった。ローザ・カナビッチは性病(梅毒)にかかっており、彼女の菌はモーツァルトからドゥーシェク夫人へ移り、クラム伯爵へと移った。そして数年後、伯爵は25歳のドゥーシェク夫人を捨てて19歳の若手ソプラノ歌手を愛人にした。菌もまた伯爵から彼女へ。その歌手は全盛期のベートーヴェンの愛人になった。つまり、ある1人の売春婦の性病が、モーツァルトとベートーヴェンという2人の天才を殺したんだ。実際、彼らは梅毒の治療の為に大量の水銀剤を服用している。水銀は腎臓が健康なら無問題だが、病んでいたら致命的な毒になる。彼らの腎臓は不摂生とアルコールでボロボロ。この水銀は毒となり彼らは死んだ。
・映画の総括~脚本のピーター・シェーファー「映画を作って何よりも嬉しかったのは、大勢の若者が作品を観に来てくれたことだ。世界一の作曲家の映画をね」。フォアマン監督「モーツァルトという作曲家を紹介できた。コンサートで百年かかったことを、我々はこの映画で成し遂げたのだ」。




『アマデウス』日本版劇場予告編