◎WMC-104.ブレーメン(ドイツ) | 名人塾2

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ブレーメンのマルクト広場。画面向かって左から市庁舎、聖ペトリ大聖堂、ビュルガーシャフト(議事堂)




位置



都市名:ブレーメン(ドイツ)
人口:54(万)
順位(人口ランキング):224位

ブレーメン(Bremen)は、ドイツの大都市で、自由ハンザ都市ブレーメン(通常ブレーメン州と呼ばれる)の州都。ドイツに11あるヨーロッパ大都市圏の1つであるブレーメン/オルデンブルク大都市圏に属している。
ブレーメンはヴェーザー川の両岸に位置している。ヴェーザー川が北海に注ぐ河口の位置するブレーマーハーフェン(ブレーメン州に属する)から上流に約60km遡った地点に位置する。ブレーメン旧市街の上方でヴェーザー川は中流から下流に変わる。オクトゥム川が合流する付近からのウンターヴェーザー左岸一帯をヴェーザーマルシュと称する。同じくヴェーザー川下流の右岸はエルベ=ヴェーザー=ドライエックに属す。ヴュンメ川とハンメ川が合流してできたレーズム川、シェーネベッカー川、ブルーメンターラー・アウエがここから下流側の支流である。
市域は川沿いに長さ約38km, 幅約16kmである。市境の全長は136.5kmである。ブレーメンは広さでドイツ10位、人口で11位の都市であるが、北ドイツではハンブルクに次いで2番目、北西ドイツでは最大の都市である。これはヨーロッパで74番目、EU加盟国中では44番目にあたる。
ブレーメンはオルデンブルクの東約50km, ハンブルクの南西110km, ハノーファーの北西120km, ミンデンの北100km, オスナブリュックの北東105kmにあたる。
1260年に都市ハンザが形成され、1358年にハンザ同盟に加盟した。加盟当初は力のない同盟都市に過ぎなかったが、これ以後急速に経済力、政治力をつけ、ブレーメン大司教の世俗支配をはねのけるまでに成長した。その自由な気風の象徴としてローラント像(1404年)や市庁舎(1409年)がマルクト広場沿いに建設された。
第二次世界大戦ではブレーメンやヴェーザーミュンデ(ブレーマーハーフェン)は深刻な被害を受けた。特に造船所や飛行機工場があった西部地区は何度も連合国軍の空爆目標とされた。合計173回の空爆で市内の建造物の62%が破壊された。1945年4月13日から4月26日まで、ブレーメン周辺において、進撃してくる英軍第3師団と抵抗するドイツ軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、多くのブレーメン市民が避難民となった。戦後、ブレーメンとブレーマーハーフェンはイギリス管理地域内にあるアメリカ管理区域の飛び地という扱いになった。1945年から1965年までヴィルヘルム・カイゼンが州政府代表(=市長)を務めた。1947年に自由ハンザ都市ブレーメン基本法が制定され、市民はこれを受け容れた。1949年ブレーメンは、ドイツ連邦共和国の都市州となった。
街の過去の姿は、近代的な都市建設の中、修復されたごくわずかな建物に遺されているだけである。マルクト広場周辺には印象的な古い建物が保存あるいは再建されている。中世の古い街並みはシュノーア街で体感することができる。ブレーメン市庁舎とこの街の象徴であるローラント像は2004年にユネスコ世界遺産に登録された。



ブレーメン市街地