72年前の今日は、アメリカのハル国務長官がハル・ノートを提示した日です。
1941年11月26日、米国の国務長官 コーデル・ハルが、野村大使に通称「ハル・ノート」と呼ばれる提案を示しました。
そこには、
●日独伊三国同盟の空文化
●中国占領地域からの即時撤退
●満州国は認めず
などが記されていました。
日本は「ハル・ノート」を受け入れるわけにはいかず、またこれを最後の通牒と受け取り、12月1日の御前会議で対米英蘭開戦※1を決定しました。
※1 米=アメリカ 英=イギリス 蘭=オランダ
こうして大日本帝国は、勝機のない、泥沼の戦いへと足を踏み入れていったのです。
【参考文献・参考資料】
・『太平洋戦争』 世界情勢を読む会編著 日本文芸社 2013年
・ハル・ノート http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
・コーデル・ハル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB
