10週以上経っても自然排出されなかったので吸引手術に踏み切る事になった。
朝早くクリニックに着いて子宮口を開いていく膣薬というのを入れ1時間後の手術の為待機していたが麻酔医が3時間遅刻してきた為, 流産が始まってしまい胎嚢らしきものも出てきた。
急遽クリニックに移動し内診台に上がったら, 出来てしまっていた血塊なども全部出てきた。
出た胎嚢はシンガポールに送って染色体検査をする。2週間待ち。
その後デイケア室で休んでいたら大出血が有ったので看護婦を呼んだら, WOW!!と叫ばれた。
大出血は危険なので…とSyntmetrine注射を打たれ少し収まった。

その後一晩入院することになり医師が夜看に来てくれたときに話したのだが, ここイスラム国マレーシアでは親などに内緒で中絶をする膣薬が普通に出回っていて 赤ちゃんに異常が見つかった場合でも簡単にその膣薬で降ろしてしまう。Partnerとの中絶同意書など要らないし, 薬で排出した後も特に内診できれいになっているか確認をせず炎症させてしまう若い子も多いという。(その時に子宮口を開く薬というのは実際は中絶の薬だと説明を受けた)
普通の中絶の場合, 膣薬1個と痛み止め飲み薬を同時に摂るのだが, 私はすぐ後に全身麻酔を控えていたから医師は私に膣薬4個を入れた為 麻酔を受けずに起こってしまった痛みは人生に稀なレベルでした。その後の清掃も壮絶。
お陰で私の薄い薄い子宮内膜を傷つけずに自然に出てくれた赤ちゃんに感謝しています...今回も好い子でした。
抗生物質も必要ないしどこも引っ掻いていないから回復は早いでしょう...
「そういえばあの麻酔医は3時間も遅刻ということは飛行機か何かで来たんですか?」と嫌味を言ってみたが, 普通に「渋滞に巻き込まれたらしい」という返事。

今回は痛みが酷くて涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔をしている私に,看護婦達は
「何回目の流産なの?」
「子供はまだ居ないの? 可哀想…」
「実年齢より若く見えるわね」= ( 私のFileプライバシーを見ている)
「どこでIVFしたの?」
などなど, もう少し元気が有ったら蹴散らして怒鳴り散らしていたであろう…けれど, 余りに痛いのでうなるばかりで言い返せずだったので退院する時にスーパーバイザーを呼びつけて文句を言ってきました。
こういう必要のない傷つきというのがマレーシアでは多すぎて何度遭遇しても慣れないです。
文句を言った所で言い訳するし改善はされない事を分かっているけれどでも言わずにはいられない。

主人がずっとそばに居てくれ 心無い看護婦を寄せ付けない様努めてくれていたけれど, それでもふとしたスキに寄って来て傷つけてくる奴は居ました。
あとトドメの看護婦は胎嚢が出て来た時に呼んだ看護婦…
出たものを見せて「これが組織だから確保して」と頼んだら笑われて「そんなに簡単に出てこないわよ」と言われたので「あなたの判断は要らない。ドクターに見せてドクターに聞きなさい」と命令をした。
やっぱりそれが胎嚢だった。この看護婦はそれを捨てる所でした。もし捨ててたら訴えてやる!

少し時間が経って落ち着いてから母に連絡をしたら
"もう一つ胚が日本に有るようだけど, それを最後にもう諦めてくれないかな。もう痛々しくてみていられない" と言われてしまった。

今回改めて思ったのは、
移植後の過ごし方。今回は移植した日にマレーシア帰国をしました。
移植後の過ごし方は関係無いです、

全然関係ないが, マレーシアの国産車 Perodua の Myvi に6年乗っているが, 今回気持ちの切り替えのためフォルクスワーゲンを購入。
ホンダの Jazz (日本でのフィット)を考えていたけれど日本で120万位で買えるものがここは税金何やらで250万以上になってしまう。だったらフォルクスワーゲンは日本でも安くないか…という高価に対する諦めのつく車を選びました。主人も37歳。もう少し良い車に乗っても好い年齢だと思う。
車のナンバープレートは私の誕生日を選んでくれました。
なんとか私を励まそうと努めてくれているのを感じています。
主人の赤ちゃんが欲しい...
今日も卵子提供について話し合った。
今は、亡くなってしまったあかちゃんが自然に出てくれるのを待っている状態。

主人いわく、
例えば卵子提供で子供を産んだ20年後くらい。

ある時、子供に私が注意をする。ちゃんとしなさい!と。
いつもその子の事を考えて私は注意をする。
しかし子供は「私の本当の親でもないくせに!」と反発する。

これに耐えられないだろう、と。
もともと夫婦と離れた養子を取る状況と、
卵子提供は違うと主人はいう。


そうかもしれないと正直 思った。
自然に赤ちゃんが出てくるのを待つ日々。
3日後にホルモン検査をしてみるつもり。hCG, P4, E2 全てがまだたっぷり残ってる気がする。でもそれが分かればしばらく排出は無いことも分かるからつわりに耐えて仕事をすれば好い。
職場で流産が突然起こると抜け出せない場合も有るが、そこで倒れると大変なことになってしまうのでタイミングは神様に祈る…のみ。

吸引手術で胎のうを出して染色体異常検査をしてみたい、という話をここのDrとした時、”でも調べる意味があるか?” という所にやはり行き着いた。私の卵子年齢を考えると80%は異常が有るわけだから、有ったね...やっぱり という結果が何を次回につなげれるのか。
夫婦のリンパ球輸血(夫の血液からリンパ球だけを取って私に輸血する)の治療で、3度の流産の後出産にこぎ着けた方が居るのでこれも次回までに日本のDrに伺ってみるつもり。

卵子提供については再度話し合ったがやはり平行線。
養父に育てられた私の主人は, 妹が産まれてからは心深くいつも痛みが有ったという。
ほかの友達は ”それは血がつながってないからじゃなくて, 普通の兄弟でも ”妹ばっかり大事にして!” という文句が出ることは有るわけで, 血がつながっていないのが問題なんじゃないのでは…というアドバイスを受け, 主人にもう一度聞いてみた。
”下の子ばっかり大事にして!” というのは時折起こる事だけれど, 主人の場合は自分はこの家族 (実母と養父とこの二人の赤ちゃん) の中には入ってはいけない, 早く家を出よう...という気持ちで小さい時過ごしてた, と。胸がいつも痛かった, と。
養父はチェルノブイリの後処理の仕事を一時期していたのでガンが発症し, 発症してから亡くなるまではあっという間だった。主人が小さい時にこの養父は30代で亡くなっているので, その後主人は残された母と半分血のつながった妹を守るべく援助すべく若い時から働きに出た。西欧で働きながら毎月仕送りをし, 妹がチェロをやりたかった時も主人が働いて買い与えた。
18歳までおこずかいをもらって育った私にはうまく想像が出来なかった。

脱線したが, とりあえず今は卵子提供の賛成は得られていない。
大分近況が滞ってしまいました。
実はあまりにも長く放置していてパスワードなど忘れていた… Oops..
12月の採卵の結果は, フェマーラで3つ採卵。未熟卵2つ, 成熟せず。
一つだけを胚盤胞まで試みるも 初期胚盤胞のなりかけで成長を止める。

そのままホルモン移植周期に続行。
胚盤胞一個移植。妊娠。hCG 81.
その後順調に成長を遂げ, いつもより5日早く力強い心拍確認。
しかし心拍止まる。(このFHBが止まる繋留流産は今回が3回目 )
ここのドクターは私たちを可哀想に思ったのか診察後 お金を取らなかった。

処置について3つの方法を説明される。
1 自然排出を待つ
2 オペ 
3 薬

ここでのオペはシリコンを使った吸引で5分ほどで終わる。
それと薬はここムスリム国マレーシアでは一番ポピュラーで (知られずに中絶するのによく使われる) 楽といえば楽だが, 子宮に薬でスパズムを起こして排出するので, 結局その後内診をしてきれいに掃除をしなくていけないのでオペとあまり変わらない。
オペのいい所は, 排出物をシンガポールに送ることで染色体異常の検査ができる。
三回目ともなるとそれをやってみたい気持ちが強い。

これらを踏まえてクリニックから直接日本のDrブラームスにベストを伺った。
私が染色体異常の検査をしたい気持ちを尊重するとオペが好いのだけれど (日本とは方法が違う様) 私の薄い内膜のことを考えると次の妊娠の為に掻爬はしてほしくない、と。でもあなたが染色体検査をしたい気持ちも理解しているから, あなたの判断に任せる, と。(これを聞いたとき改めてドクターを尊敬しました。)

これをそのままここのDrに相談しました。
中国正月に入ってしまうので, とりあえず月曜に手術の予約。
当日キャンセルもOK ということで, 私の決断に委ねてくれて帰してくれた。
夫婦で話し合い、気持ちはほぼ自然排出に傾いていて, しかしそれでも流産がどう起こってどう収まるのか経験からわかっているので, 排出された胎のうを持参してシンガポールに検査に送ってくれないか打診するつもりです。
無理なら無理。夜中に家で排出されれば無理だろうし。

あまりポジティブな近況報告が出来なくて残念。
卵子提供についてまた話し合ったが, その詳細はまた追ってUPします。
フェマーラを飲んで, 前回と同じく採卵に合わせて帰国しトライしてみた。
4つの卵胞がバランス良く育っていて, 今回は良い結果を得れるだろうな, 43歳前にやっぱりやっておかないとなんだな, と思った。が、
実際4つ全て空胞。
空胞によりゼロ卵子という経験は初めてだったのでドクターに伺った。
夏のHMGをたくさん打ったこと, その後続けて採卵をしているのでそういう不運なサイクルというのが存在すること, 年齢が上がって来ると空胞の割合が増える事など ご説明を頂いた。
それと空胞が多い方というのも居るらしい。
過去を振り返ってみるとマレーシアでの一番最初の採卵は(38歳), 典型的なショート法で, 自己注射で 16個の卵胞を育てたが うち10個は空胞だった。その後医師を変えても取れる卵の実際数というのは低く「あなたの場合最高でも6個くらいだからご主人からの精子も6匹くらい取れれば顕微授精出来る」と言われた事が有るのを思い出した。
注射の打ち込み過ぎだろう とか 自分以外の責任だといつも転嫁してきたが, その方法で出産までこぎ着ける方々は数えきれないのだから, 他人のせいとも言い切れないのだろう。

いよいよ難しいのかな という今の段階。
同じ方法で来月空胞だとせっかくの来日が無駄になってしまうので, ひと月は古い卵を消して休ませることをDrブラームスは決断をされた。

クアラルンプールに戻り仕事を再開したら同僚の同じ属の子が妊娠しているのを発見。
翌日彼女が自らそれを伝えてくれた。大好きな子なので嬉しい気持ちになった。
そして同時に自分の気づかない ”ショックから来る身体的リアクション” というのが有った。心臓がバクバクして立っていられなくなった。
自分では気づかないこういう反応というのが私には有り, 気持ちは強いと思っているのにそれと独立して身体に変化が出る。

最初は父が亡くなった時。父の亡骸を見た瞬間, 涙とかは出ず「あぁ私は大丈夫だ」と思った瞬間, 腰がヘナヘナとなりその場で座り込み, 貧血を伴い しかも下半身がコントロール出来ないのかおならが出たのを覚えている。耳鳴りもあった。
次は絶対一緒に人生を送ると決めていた彼が亡くなったと病院で知らされた時。
”それは何かの間違いです” とそれを伝えて来た医師に私は食って掛かり「あぁ私は大丈夫なんだな」と思った瞬間 ベッドの上で貧血になり呼吸が難しくなった。
その次は主人の母が昏睡した時。
手を握り顔をなで子供に対するかの様に甘く母に語りかける主人の隣で, 「気丈に頑張ってるな」と主人を見ていたその一瞬あと, 義母の手を握った瞬間 自覚の無いままヘナヘナと座り込み自分が貧血になった。

その後, 同僚の妊娠に気づいたことが数回有り, そしてなぜかいつも立って仕事をしなければいけない時にいつもぶつかり, 気づいた瞬間ヘナヘナと座りこんだ。高価な商売道具への配慮は有ったのでやはり「私は大丈夫」と思っているんだけれど, 身体にはそれと別の独立した反応が有る。胃痛や下痢も伴うがそれらは後から来る。
赤ちゃんの心拍が止まった2回の流産も「大丈夫」と思っていたが, 貧血 下痢 が有った。

気持ちの傷というのは目に見えないし自分でも分からない。
妊娠しようと試みる女性たちの心の中の葛藤や不安, それらをなんとか乗り越えていこうとする前向きさ, それでも追い打ちをかけて来る挫折, 身体に良い事を心がける日々, どうして私だけ?という自問自答の繰り返し, それが何年にも渡っている女性たちの苦悩など なかなか簡単に出産される方には理解できないだろうが, ここに理解できる者が一人居る事を知ってほしい。

帰国の間, ふと観たTVのコマーシャルで「ていうか私結婚してるし」というフレーズを言った女性がその後「ていうか子供居るし」と言う。
こういう小さな事が どれだけ赤ちゃんを切望している女性達を傷つけているか。
分かっています。つらい。

日本のDrブラームスは, 私をひと月休ませた後フェマーラを飲み 次も採卵に挑む。
43歳前にあと3つ胚盤胞を取りたいと思っていたが, 1つは前回取れたが次のトライのときは誕生日を過ぎているので43歳になっている。
いよいよ厳しくなってきたが やってみるしかない。

自分を信じて とか 卵を信じて というコメントをよく見るがそれが難しい状態にある女性達が居られることを私は理解している。
自分自身を鼓舞しながら, またそういう女性達を応援していきたい。

信じれるほどの強さの無い事実が目の前で繰り返される時, 信じるのではなくて祈るしか出来ない。
そしてどうなるかはもう神様がお決めになっておられると思う。
今出来ることをするのみだ。

次の採卵は 43歳1 ヶ月になる。12月最初に次の報告をします。
どういう結果になろうとクリスマス休暇は 凍結胚の移植をしようと決めています。
私のDrは移植胚は 1個のみ。なので移植2回はとりあえず出来ます。
クアラルンプールから車で3時間ちょっとでキャメロン高原に行ける。
マレーシアなのにとても寒い。
古き良き英国風のホテルが幾つか有り、そこに泊まって遅い朝食をゆったり取るも良し、

一つしか無いメインストリートに行ってインド料理を手づかみで食べながらローカルビールを飲むのも楽しい。
帰りの道ばたでドリアンを売る2人の子供を連れた女の人からドリアンをその場で頂く。8リンギット(240円くらい)で、割るとまだまだ出て来てとても美味しい。
果物の王様 ドリアン。


のんびり出来た...  明日からまた仕事だ。

夏休みを返上して臨んだ採卵が不発に終わり, 今まで私には試していなかった薬:フェマーラ(英名 Letrozole)で Drは今回臨んでみた。
乳がんの治療薬として主に使われる薬だが, 同時に卵胞を育てることにもほんの少し働くらしい。
D5から5日間 この薬を飲んで D12 にDr ブラームスに診てもらい, 薬が効いた事を確認しての D19 採卵。
3つの卵胞 -> 2個 採卵(1個空胞) ->1個成熟 ; 1個未成熟 (結果1個に顕微授精) ->1個受精, 分割 ->1個胚盤胞
という経過。
なんと1つ胚盤胞ができた。流れ星
私の年齢では胚盤胞になる可能性は20%と伺っていたので, ただ祈りながら でも少し気持ちをはぐらかしながら今回は過ごしてみた。
夏のクロミッドと12本のHMG注射では不発だったが "より自然に近い形” のものが私には効いた事になる。"数は取れないが質は良いものが取れる" とDr ブラームスがおっしゃっていた通りの結果になった。
「あと1個あなたから胚盤胞が欲しいんだよな」と Drは今回の採卵の時おっしゃっていらしたので, もう1個と言わず, 次回にもう1個 つまり計2個 取ってやる 馬馬 というつもりで, 42歳11ヶ月でそのもう1個をトライしてみようとプランを立てた。

今回の採卵のための来日で 今までと違う想いが芽生えた。今までは仕事辞めないとダメなのかなぁ..という中途半端な でも辞めたら治療続けれないだろうな... という間を行ったり来たりだったが, 今回「仕事しながらやってやる」と思うようになった。
好い事だと私自身は思っている。

マレーシアのDrに, 次のフェマーラ服用開始をしても大丈夫かの内診で会いにいくので, 前回に引き続きもうすこしマレーシアでの卵子提供の状況を伺ってみるつもり。
最近 卵子提供の話を聞いた事で, 少し荷が下りてリラックスして臨めたのかもしれない。

採卵結果と合わせて 次の報告は10月中旬にアップします。
PS
主人はインフルエンザにかかり39度の熱にうめいていますが、胚盤胞のニュースにはとても喜んで踊っていました。
< miracle BABY >
カリフォルニアの Miracle BABY からエアメールで卵子提供の資料が届いた。
プログラムの流れ, 費用, 提供者への謝礼など 詳しく書かれていてプライバシーが固く厳守される旨も書かれている。
読んでみた感じとてもサポートもコーディネイトもしっかりしている。

1度目の渡米
担当医師の問診, 検査, 同意書の受け取りetc。
精子をそのときに採取して凍結する事も出来るが, その場合解凍後の状態は保証出来ない と。
医療コーディネート費用を払う。
卵子提供者の紹介, 選定も出来るがこれは帰国後でも出来る。

提供者が本決定となったらプログラム費用を払う。( おそらく23050$ )

依頼者と卵子提供者共にが弁護士を通すことで契約が成され内容が合意されれば署名をする。
採卵に必要な投薬が開始される。

2度目の渡米
フレッシュ精子採取のため採卵一日前の到着を促している。
採卵, 採精, 顕微授精。
依頼者は精子採取終了後 帰国できる。
採卵後5-6日で受精卵を凍結する。

卵子提供者が採卵までを終了した場合 謝礼金の全額を支払う。
卵子提供者が医学的な理由で採卵をキャンセルした場合 750$を払う。
採卵まで完了した場合, 受精卵が出来なくても 妊娠に至らなくても 7000$払う。

卵子提供者の都合でキャンセルした場合 謝礼金の支払いは発生しない。
卵子提供者の最初の注射を開始した後に依頼者がキャンセル(誘発, ホルモン注射を開始する前まで) の場合謝礼金1500$と経費を払う。
誘発 ホルモン注射を開始した後の場合, 謝礼金の半額を支払う。

卵子提供者が決まってから胚移植までにかかる時間はおよそ 3ヶ月半。
移植は新鮮胚移植も可能だが, 最終的な移植日程は実施の2日前に分かるので(採卵された女性の卵胞の成長具合で変わって来る)凍結胚の移植を勧めている。
そうすることで移植する女性の子宮内膜も整えていって移植する という事だろう。

プログラム参加費用 23050$
必要経費 1000$ (卵子提供者の諸経費: ガソリン代 タクシー代 バス代 飛行機代etc, ピル購入立て替え, 通信費, 給料損失, 託児所代etc)
医療費 16000 - 20000$

ざっと合計すると 40050 - 44050$ビックリマークビックリマーク

日本側で心理的支援を行っている。カウンセリングをして卵子提供, 出産などの経験を経てこられた女性たちがサポートしてくれる。
十分なお金と時間が有ったら すでに申し込み書に署名をしていたかもしれない。
9年前に一度, 7年前に一度 の二回, 英国スピリチュアル協会(SAGB)を訪ねてミディアム(霊媒師)に会って来た事が有る。

13年前マレーシアに就職した時, 職場に招待を受けて働きに来ていた人と恋に落ちた。出会ってから離れていたのは 身の回りのものを整理するために国に戻った6日間だけで それ以外は仕事も生活も四六時中一緒だった。
ちょうど10年前 彼はシンガポールに就職が決まり, 見つけた家を私に見せたいと云い見に行く事になった。同時に私の私物をシンガポール側に預けていたのでそれを取りにいく用事もあった。
その途中 事故で彼は亡くなった。
私は病院に運んでもらったらしく翌朝目が覚めたときは病院に寝ていた。彼が亡くなったとは思っていなかったので医師に聞いて彼が運ばれた病院を探してほしいと伝えた。
が翌日「悪い知らせが有る」と医師は私に彼の死を伝えた。

マレーシアでの仕事にハッピーだったので, マレーシアとシンガポールは近いし車で4時間だから 別々に住んで毎週会いにどっちかが来れないか という提案を私はしていた。
彼は「君が来なければ僕は行かない。でも僕は行きたい。だから君は来なくちゃいけない」と言った。選択肢をくれないんだ この人は…と思った。
大分後になって 私は100%彼と幸せではなかったことに気づいた。


毎日毎秒, 彼の気持ちが聞きたいと思い宙に向かって話しかけた。
母は私がおかしくなったと思った。
リハビリを終えてマレーシアの職場に復帰した。避ける事も出来たが, そうすると一生避ける必要があると思ったしあえて戻った。
しかし抜け殻の気持ちで, 人の話なんてどうでも良かったし 外を歩くときは車がひいてくれないか…と期待をしながらうつろに生活をしていた。

彼の想いを聞きたくてSAGBに行った。

ミディアムはまず私のガーディアン(おそらく私を導いている霊)の話をした。
胸を煩って亡くなった女性で絵を描いているから, あなたは芸術に関する事に才能があるしそれが仕事かもしれないと言った。
そして彼の事で頭が一杯だった私に最初ミディアムが伝えて来たのは私の右側に立っているおばあちゃんだった。私をとても可愛がってくれたおばあちゃん。
そして左に亡くなった父。
最後にミディアムは私の真後ろに笑顔が絶えない男性がいてあなたを後ろからずっとHugしている と。あなたにとてもとても近かった人で最近事故で亡くなった と。
涙があふれた。
“彼は何を言っていますか?” と聞いたら
"あなたに謝っている” と。
何を謝るんだろう…と不思議に思い聞いてみたが何について謝ってるのかは分からないと言われた。


当時の私のことを最近主人は私に伝えれる様になった。
別人だった という。
主人は全てを知っていてそれで私を受け入れてくれた。
生きてることも素晴らしいと思える人生を与えてくれた。

主人の子供を欲しいと思う。
この主人の子供が欲しいと思っている。
卵子提供を行っている機関にメールを送ってみました。

<Medibridge>
ハワイとタイにて卵子提供. 6年にわたり600組超えの日本人クライアントのサポートを行ってきた。
日本オフィス. インド. ハワイ. タイと業界最大規模のサポート。
250名前後のエッグドナーの登録者有り。
品川にカウンセリングに行けばお話を聞ける。

<Od net>
提供を受ける側の人の登録は行っていない。
卵子提供を受ける事が出来るには条件がある。
医師によって卵子がないと診断された女性
女性の年齢が登録申請時40歳未満であること
法律上の夫婦であること

<j baby LA> 
移植がうまく行かなかった原因と今後どのように進めていくべきかの判断材料になる為, 夫婦の染色体検査をしてみる様アドバイスを下さった。
ロサンゼルスとハワイ. 2回の渡航が必要(1回目 夫婦で渡米.
2回目 夫は採卵の時, 妻は移植時に渡米)

<Miracle baby>
ロスアンジェルスでドナーの採卵, 依頼者への移植を行う。
詳細については資料を自宅に郵送してく下さるらしく待っている。

<EFC>
日本側でコーディネートを担当している方が連絡をくださった。
サンディエゴへ渡航し胚移植をするか, 日本へ受精卵を空輸して日本で移植することも出来る。着床前診断も可能。
卵子提供に興味ある20-30歳の健康な日本女性に謝礼5-6000$で募っている(サンディエゴに9日間滞在する必要あり)

<TFC> 
タイの病院にて日本人向けに案内。
卵子提供, 精子提供による体外受精。着床前診断も出来る。
有楽町にカウンセリングのオフィスが有り。

<blenda>
タイを拠点。中華系,日系ハーフの卵子提供者が数名いる。
渡航前の支払いはドナー料金とサポート料金のみとなる。

<Japan IVF Center> 
バンコク・ハワイ・ロサンゼルスにて卵子提供。
パンフレットを送ってくれるのを待っている。
2回渡航 (1回目 夫婦で. 精子採精, 子宮の検査.
2回目 妻のみ渡航. 凍結胚の移植)

<IFC> 
カリフォルニア州での卵子提供 成功率は一回の胚移植で75%
(胚盤胞2個を移植した場合の一回の移植に対しての成功率)
とある所では成功率90%と見かけるが, そういう数値は存在しないので気をつける様に と促している。

<マックベビー>
ロスアンジェルスで卵子提供
34690-38010$ 
移植前に内膜を整えていく

<Angel Assist>
マレーシアでの卵子提供
予約で一杯で当面 新規の受付を見合わせている。
今の状況では状態の良いドナーを確保する事が難しくなっているとのこと。

最後に
<マレーシアで3回顕微授精をした若い男性医師に聞いた結果>
”卵子提供の状況を伺いたい” と伝えたら、
「卵子提供については僕から提案するんじゃなくて あなたから聞かれたら答えようと思っていた」と。
そうか 考えていたのかぃ…と思う。あせるあせる
この医師は卵子提供でのIVFをしている。20-25歳の女性(マレーシアに住む華僑が多い)が卵子提供をしている。
コンサルタントから詳しいドナー登録された人たちの事を知る事が出来る。
ドナー女性達は若いので卵子を20個くらい取り, 受精した卵子の胚盤胞培養を試みる。育った胚盤胞全部をPGDにかける。
胚移植は1-2個。
ドナー女性の採卵が始まる周期に合わせて、移植を受ける女性も生理周期をコントロールし子宮内膜を厚くする薬を飲みながらタイミングを待つ。
医師は, 私と同じ血液型のドナーを選ぶ様アドバイスした。

上海から来た53歳の女性に卵子提供での移植を行い, 妊娠 出産に至った。
この女性は18歳の息子をバイク事故で亡くしてしまい, 卵子提供で子供を設けることを決めたらしい。

私達夫婦はこの医師とのIVFでは2度陰性, 1度hCGでは陽性が出たが化学流産。
どうして行ったらいいか相談した当時「僕には同じ方法で繰り返しトライする事しか出来ない」といわれ、その後血眼になって日本の技術, クリニックを調べた。
今, 全信頼をそそぐ医師に日本でかかっている。
この日本のドクター(主人と私はこのドクターを "ブラームス" と呼んでいる)で2度続けて妊娠し心拍まで聞けたものの共に繋留流産となった。
その後マレーシアのこの若いドクターに, 日本で受けている治療のサポート(内診など)をしてもらうために又 診てもらっている。
自分の信念を曲げれない医師が多い中, このドクターは柔軟で "是非力になりたい" と言って下さり、その後の日本での治療経過を共に追ってくれている。
今年の6月に, 日本の会社から胚凍結の機械を買い付けた(生存率 99.8%)らしく、
以前の様に新鮮胚移植を勧めずに凍結胚でも同じ確率だと説明された。
ただ精子を選別する機械はまだ同じもの(400倍)を使っているので、受精率は主人の精子だと50%.
(日本の6000倍の機械だと100%)
卵子提供を受けたとして受精50%として10個位になるだろうか。
そしていくつが胚盤胞まで育つか。そこからPGDをかけて更に減る。

もし日本のこのドクター "ブラームス" に無理ならば他の誰にも無理だろう, その時は諦める時 と思っていた為, 今日マレーシアの医師に話を聞いて来て良かった。
オプションがあると思うと少し気持ちに余裕が出て来た。クラッカー
主人も一緒に来てくれた。このドクターとも 日本のドクターブラームスとも, 毎回主人は握手をする。私はそれを見ているのが好きで, 毎回 "絶対今回は上手く行く" と思わせてくれる。
ポジティブをもらえる。
ベストを尽くされている本物のプロに出会うのはとても貴重な体験だと思う。
こういう方々にたどり着けた事を有難く思う。