これでブログ更新は最後かと思います。

見て来て下さった方々ありがとうございました。
高齢で不妊治療に励んでいるご夫婦に敬意を送り幸運をお祈りいたします。

私の例では最高齢の卵子のみが出産まで超えれる強さを持っていました。
身体を暖めたり, 身体に良い事に努めて来た8年のお陰でも有るのかどうか, この辺は正直分かりません。躍起に続けていた鍼も出産にこぎ着けた今回, 初期で辞めました。
"仕事を辞めないと身体が赤ちゃんをはじき出そうと流産するよ" という言葉には納得できず, 仕事は36週までしっかりやりました。
(38週での帝王切開出産です.  最後まで逆子でした...)
お酒はしこたま飲んでいました。
主人と気晴らしの旅行も沢山しました。しかしいつも "傷心旅行" だったので、周りが言ってくれる様な "夫婦二人の時間なんて子供産まれたら持てないんだから今楽しんで! 羨ましいくらいだよ"  などの言葉は全然響かず, ほぼ毎回悲しい気持ちで旅行をしてきたのが事実です。
お腹の大きい同僚やただすれ違う人にも顔には出さずも嫉妬してきました。タバコをすいながらパーティに新生児を連れてくる同僚には "悪い事が有ればいいのに..." と思った事も有ります。
リフレクソロジーやピラテス, 色々しましたが, 結果出産にこぎ着けた時は何もしませんでした。
帰国しながらの採卵だったのでDrもフェマーラを試す勇気がないとおっしゃっていて, やはり多くの卵を採りたい という治療が優先していました。が, ことごとく流産した経緯を経ての, フェマーラで初めて採った最高齢の卵子に異常が有りませんでした (異常が無い事は, 妊娠して染色体検査をしてから分かった事なので, 移植段階ではただ不安でした。40歳の卵で全滅だったのに42歳で何とかなる様なミラクルが起きるだろうか...と。
ただただ私の卵子が,HMG注射と合わなかったのではないか...と想像しています
自然でいく方法が私達の場合ベストだった という事に尽きるかと思います。
でもここマレーシアで, HMGを大量に使った不妊治療で数回続けることで普通に出産にこぎ着けている夫婦も私の知り合いだけでも数組います。なので, やはり経験を超えて何が駄目だったのかというのを見つけて行くしかないかと思います。
最初の治療のドクターで1回
次のドクターで4回
このあと2つ違うクリニックを訪れ, その一つのクリニックのDrは日本で訓練して来た事を私達に告げた事で, 日本の治療を調べ始める事に成り, 理解ある日本のDrとそれをサポートしてくれるマレーシアのDr達のお陰で, 飛行機での通い治療で授かることが出来ました。

"人の親になって初めて分かる" と同僚に言われて傷ついたことを思い出しながら, でも同時にその言葉の意味を理解し始めながら, でも子供の居ない夫婦には投げかけない様にと思いながら...日々過ごしています。
I must say ...Life is wonderful.

報告

 78 胚移植 ( 4210ヶ月時 フェマーラで採卵)

 BT7 判定日 陽性 hCG 75.5

 BT12 hCG 1060

Dr 主人に「ヴェリーグット」 とおっしゃり、しっかり握手を交わして下さった。

  BT17 胎嚢確認

出産予定 325 という紙を頂く

主人が 325産まれの方を調べ「エルトンジョンとB.バルトークと同じ」 Dr 言いました。

  BT27 心拍確認 赤ちゃん5mm

しかし帰宅して横になっていたら鮮血の大出血  --> 絶対安静 --> 飛行機2週間延期し、9週目に飛行機に乗り, クアラルンプールへ戻る。

その後 2週間起きの鮮血出血が有ったものの,現在 21目前。

 細かい染色体異常が有るか などの検査では、ほぼ異常は無いという 10万分の1 という確率値を頂いた。出産時は 44才に成っている。

 

一番高齢でもフェマーラ採卵での卵子が ベストだった事になる。

今まで4回移植し 3回妊娠したのは 全てHMG注射で40才の時の卵子。

しかし前回の流産で検査した所, 18番トリソミーだった。

憶測ながら, でも確信的に 過去3回の流産は全て染色体異常だったと今になると思う。

 

高齢高齢とそればかり煽られる風潮に傷つけられながらの不妊治療の7年間は 挫折と焦りの繰り返しだった。

でも「その卵」に出会える迄、頑張っているご夫婦を心から応援したい。

その立場がよく分かるし, デリカシーを持てる様な者で在りたい。

胎動が始まりお腹を蹴ってくる赤ちゃんに愛情を感じ幸せな日々を過ごしている.子供に 相手を思いやれる, そして正直な者に育って欲しい。

 

出産が済んだら, 赤ちゃんと主人との写真をアップします。

それが私の不妊治療のブログの最後に成ると思います。

, マレーシアで日本から渡航しての卵子提供を含む不妊治療の受け入れを メディリッジという機関がやられておられる事を最近知りました。

 

日本のクリニックでは 卵の生命力と頻繁に聞く。

着床するしないも生命力、流産するしないも生命力。

 でも生命力って何だ?と思ってた。 

そんなんで片付けていいの?と思っていた。

余りにも漠然としてる。

マレーシアでのIVF (アメリカ式) を経験し, 日本のクリニックに移った結果思うのは、

卵の生命力 = PGD (着床前診断) をパス出来た胚

だと思う。

 

日本ではPGDをしてくれないから、胚に異常があったのか それとも母体が赤ちゃんを支えきれないのか分からない。

鍼やリフレクソロジーに通えば「子宮を強くしましょうね」と言われたし

外科のリハビリ医には「上半身に集中してしまう職種だと体幹への力が散ってしまうから着床しないし、しても持続しない」といわれ、傷つき、違う方法で移植後過ごしてみたりした。

でも一番最近の流産で胚を調べたら18番トリソミーだったわけで、このように理由が分かることの重要性というのは、日本では余り推奨されていないので、結果 強い卵であれば大丈夫、と医師も鍼の先生も皆言う。

もちろん若ければ 卵は強い訳だが、つまり異常が少ないという事に違いない。

こんな単純なことを今まで気づかずに来た。

 

この夏、おそらく自分の卵では最後になるであろう移植にトライします。

友達が「笑って過ごすと好いよ」と大分前に言ってくれていたので、そのように過ごしてみます。

PGD出来ないから移植した胚に異常があればまた流産します。

覚悟して対応していきます。

知識はもう十分以上に有るのだから….

 2/15に赤ちゃんの心拍が止まり、自然流産が起こらず、手術を予定していたのが3/10。麻酔医が渋滞で遅れて来たので結局子宮を収縮させる薬で3/10に自然に出て来た。

その時ここの医師が言ったのは「明日にはhCGがゼロになるから、ピルを5日後に飲み始めて、日本での夏の治療のために身体を整えて行く様に」と。帰宅し即、日本のドクターにお電話したら、hCGは一ヶ月経ってもまだ結構残っているでしょう、ホルモン値が順調だったので、しばらくかかると思います。渡されたピルは飲まないでください」といわれ、自然にhCGがゼロになったのは5/20。ここのDrが言った「明日にはゼロ」から2ヶ月後だ。

そんな知識でここでは薬とお金の請求を盛って行く。続けざまに次の採卵+移植に入るので、クレジットカードの借金だけが増えて行く。

日本のDrブラームスに出会えて良かったと心から思う。

Drブラームスの言う通り自然に待って待って、生理が6/1に来た。

 「移植(1/14)—着床妊娠胎嚢確認心拍確認心拍停止完全流産妊娠ホルモン下降待ちー生理復活(6/1)—>遂に次の移植プラン(7月以降)

なので移植から次の治療実施までに7ヶ月が過ぎた。

438ヶ月の身には厳しい。

 

しかし、Drブラームスは私の年齢は流産も多いから、やはり私と同じ様に最初の数回は流れてしまい、しかし最後にたどり着くというケースが多いわけで、PGDが出来ない日本ではそれしか方法が無い。

 駄目なら卵子提供があるという想いを土台にこの夏の移植を迎えたい。

 

同僚の26歳の華僑の女の子が先日出産し、母子共に状態よく退院しました。
赤ちゃんが家でいきなり泣き止まなくなり、痛みが有る様に見えたので救急で病院に連れて行ったら
心臓が止まりました。心拍を機械で取り戻したものの脳梗塞が起き、赤ちゃんは7日間の命を閉じました。

この子のママは、妊娠で私を嫉妬させなかった唯一の同僚で、妊娠5-6ヶ月のとき、私の手を取り自分のお腹にあてて
”幸運を”と言ってくれて、それから何度もお腹に触らせてもらったし、若い健康なお母さんであり純粋な性格の持ち主なので、気持ちよくそばに居れる子でした。
お葬式では頼もしい旦那さんが泣き崩れるママをしっかり抱きしめて受け止めていました。

数日経ってからこのママに連絡をしたら、今病院にかけあって理由を探してもらっていると言っていました。
理由を知ろうとする勇気はこの子には無いのでは…と正直思っていたので、凛とした態度に敬意を持ちました。

こういう純粋に生きているまっすぐな女性にどうしてこういう試練が降り掛かるのか。
友達いわく
魂の高い人は、それをよりそれ以上に引き上げる為に試練が降り掛かることがある
その必要のない(魂を引き上げる必要のない)人達は欲しいものが簡単に手に入ったり、一番大切な人を失ったりなどの悲劇が襲わない….
と言う。

でもそんな試練彼女に必要だろうか。
十分純粋… それで好いじゃないか。なぜそんな非情な悲劇を突きつける必要があるのか。
彼女は元気な赤ちゃんを産んで、優しい旦那さんと暖かい家族を築き、私にもその幸せを分けてくれ
同じ様にほかの友達にも分けてくれただろう。私達の様に出産までなかなかこぎ着けれていないカップルを
無意識に傷つける事も無く、いつもそこに柔らかく存在してくれるだろう。
なのに何故ですか… 神様。

私の様にひねくれた者には、”難しさ”を与えておかないと余りに慢心し、周りを見下し、人生とはいかにラクなものか、と思ってしまうから、次々と悲劇やエンドレスな難しさが与え続けられているのだろう。
たまに
神様、こんな私も少しは学習しました。どうぞ赦してください
と思う。
hCGが12まで下がったのであと1週間位でゼロになれば、また薬を飲み始めて夏の移植に向けて準備をしていく。

月火とお休みだったのでクアラルンプールから1時間半で行けるマラッカに行って来た。
Phileo Resort と Casa del Rio を比較したかったので、Phileo Resort に泊まり Casa del Rio は部屋を見せてもらった。
Phileo Resort : すごく開放的で部屋はすべて木で出来てるし, プールも石を敷き詰めて作っていて, しかも客が誰もいなくてとてものんびり出来た。けれど メインテインはローカルの人達の様… =少し問題が有る。

Casa del Rio は、コロニアル風,。ハイクラス感が有る, 食事もベター, 世界遺産に近い, 食事にも町に繰り出せる。プールも屋上に有った。

ので、個人的には次回は Casa del Rio に泊まるかと思う。Cambodia の Casa del Marに雰囲気が似てる。
 
明日からまた仕事だ。
誕生日のナンバープレートを主人が買ってくれた新車。とても乗り心地良い。
もっと遠くまで行きたい気持ちになった。

VW

夫婦に転座が有るかどうかを調べる為にクリニックに行った。
午後に血液をシンガポールに送るので 午前中に来て欲しいと言われ午前中に行った。
採血をして高いお金を払い クリニックを後にして大分経ってから電話がかかってきて, 血液量が少なすぎるので戻って来てくれ、と。
主人が採血の時「これで本当に足りるのか」と聞いていた。看護婦は足りると言った。

引き返したもののなかなか採血をしないので「あまり長く待てないから早くしてくれ」と伝えたらその看護婦は無視をした。
血液を居れるチューブに塊があったのでそれを使えないから、今チューブをPJというエリアからデリバリーが持ってくる所なのでランチに出かけて戻って来てくれないか、と。
呆れながらもそうして、戻って来て3時間待たされた所でもう限界と伝えたら、"今から看護婦がチューブを取りに行くから待ってくれ" と。
誰かが来る途中なんじゃないのか?
もうその時午後2時。午後の採血は出来ないと言っていたじゃないか、と押し問答をした。

事実を分からないので、待たされても血液がその日のうちに検査室に届くとは思えないので 聞いたら「今日届いて今日検査する」という。
上の人と話させてくれと言ったらおばさんが出て来て、検査は明日になるという。
高いお金(10万円くらい) を払ってこんな信用できない機関に任せられないと、キャンセルをしてお金を返してもらい帰宅した。

全くもって無駄な一日となったと呆れていたらクリニックからメッセージが届き「チューブを手に入れたのでいつ来れるか教えてくれ」と。
呆れて返事をしていない。
こんな所で卵子提供をせずに済む事を祈るばかり。

フランスから友達が短期で来てくれていたが、クアラルンプールを彼女も彼女の子供達も気に入ってくれ, 改めて契約をして長く居ることに決めてくれた。
仕事が楽しくなってきた。嬉しい。
染色体検査の結果が正式に出て, 主人と医師を訪ねた。18番トリソミーだった。ベイビーは女の子。
話を聞いたら, やはりずっしりと来てしまった。
18番が問題だと電話を医師から貰っていたのでサーチしていた。
高齢の女性の卵子が90%原因で, ほとんどが産まれて来れずに流産によって淘汰される。
もし産まれて来てくれても 90%が一年生きれない...と。
医師は46本染色体が対であるはずが 計47本, つまり 18番だけ3本有り これは突然変異であって予防も出来ないし誰のせいでもない, とおっしゃった。
が、私は調べたことを医師に伝えた。

医師は「あなたに面と向かってそうは言いたくないけれど…イエス. あなたの言う通り 18番異常のほぼ全部が母親の高齢卵子が起因しています」
「男性の精子はいくつになっても新しく日々作られているわけだけど, 卵子は産まれてからその女性と一緒に年を取っていくから, 年を経る毎に卵子に異常が増えてくる。正常な35歳夫婦でも受精卵を貯めてPGDにかけると60%が異常なんだ」と説明してくれた。

説明をうけて夫婦で話したが, 今までの治療をやって来た以上にベターにする事は出来なかった。
やれるだけの全てのことをやってきたし, 見つけられるベストを選んで来たと振り返って話をした。
マレーシアでやった体外受精はその道の権威と言われる人の元で行ったし, その技術で子供を授かった同年代の知り合いが幾組が居る。

今友達が私の職場に出張で来ているが, その知り合いのアメリカ人女性 (46歳位) が 過去2回の中絶, その後4度の流産 となり, 最近アメリカで若い女性の卵子提供によって妊娠生活を送られているらしい. が、もう飛んだり跳ねたり好き放題で全くぶれない妊娠だという。
やはりそっちかなぁ…..

日本で着床前診断(PGD)をしてくれれば移植する前に異常が分かり, この辛い流産を避ける事が出来たし防ぐ事も出来る。でも調べた限りだと日本では認められていないみたい。
着床前診断を男女産み分けに使ったり, ハンディの有る子供達の命の選択 という重い問題が立ちはだかる為だろう。

それも理解できるが, 例えば高齢で流産を繰り返しているカップルの受精卵への着床前診断は許可するとかして柔軟にしてくれないと, 私達高齢女性の時間の多くを妊娠 -> 流産 -> リセットで費やしてしまう。
近年中絶の多くが高齢女性によるものだというデータも有る。
妊娠したけど障害が重いため中絶を選ぶことになる。
不妊治療をして授かる場合, PGDをかけてくれれば妊娠する前に染色体異常に関しては全て分かる。
PGDをかけて行けば, 受精卵を次々に移植し -> 妊娠し -> 流産し….というプロセスではなく, PGDでパスできた胚だけを移植すれば, もし妊娠しなかったり流産すればそれは母体に問題が有る事も容易に想像がつく。

一つ日本で待ってくれている胚が有るが, PGDはかけてもらえないだろう。
胚に問題が有るかどうかは調べれば分かるけれど, 調べてもらえないから 移植して妊娠出来たら あとは祈るのみ。

日本の医療, 技術, 設備, 心遣い, 思いやり, プライバシーの保護, 何から何まで優れていると思う。
あとはいろんなことを決める上の機関などが柔軟性を持って, 本気で考え対応してくれたら、認められて行くべき項目というのはいくつも有るんじゃないかと思う。条件を緩くして行く事で多くのカップルを救えるのに。
困っている人たちのことを本当に考えてくれたら、自然に柔軟さというのは生まれてくると思う。

自分のブログに来てくださる方々が何の言葉を検索したことで私のブログにたどり着いたか、に興味があり、見てみたら "中絶"  で、次は "卵子提供" でした。
この二つの真逆な検索ワード...
なんとなく日本での難しさを垣間みた気がしました。

卵子提供は今後ここで進めて行く事に夫婦でもし決めたら、その詳細をアップしていきます。

確かに中絶は日本では難しい...ですね。倫理の問題かな。
しかし中絶膣薬というのは今日本で医師達は出してくださるのでしょうか。
ここマレーシアでは普通に出します。
マレーシアでの中絶手術 (流産の手術も同じ) は、日本でまだ多く行われている掻爬 (引っ掻き) では無くて、細いシリコンチューブでの吸引です。子宮内膜を傷つけない様に、子宮収縮の膣薬を入れてはがれやすく成った所を吸引します。

今回は麻酔医が遅刻したので手術に至らず、膣薬で結局出てきましたが、その後医師が急遽, 子宮口を広げる筒を差し込み 重力を使ったことでスルスルと出て来たけれど、この一連の作業を 自分一人で自宅で試みる...というのは、結構な負荷だと思いました。
排出されても、きちんと中がきれいになっているか調べる必要があるし、残っていれば炎症も起こしてしまうから、薬で出しても結局医師の内診が必要に成ってくる。
流産の場合、自然に出てくるまで待てるならそれがやはりベストなのかな。
でも早く出して気持ちをリセットして前向きに進みたい人も居るだろうし、私にその選択が有ったらそうしていたかもしれない。私の場合は子宮内膜が薄すぎるので、日本のドクターは手術をなるべく避ける方向をお勧めになるし、実際それで回復し続けて妊娠出来てもいるから、ドクターを信じています。

中絶は、順調に子宮に張り付いて血液や酸素を健康に受け取っている赤ちゃんを無理に引き剥がす行為なので、やはり日本は "掻爬手術"  という経緯を取ることで、女性とそのパートナーに罪悪感を与える…というのも有って故意に継続しているのかもしれない。
ただ、日本でも、レイプなどの被害に遭われてしまった場合はアフターレイプのピルを医師が処方してくれる…と聞いたことがあるが、レイプとなるとポリスレポートとかも関係してきて、レイプ証明とかも必要なのだろうか。その心理的負荷を考えると、心が痛い。私だったら「被害に遭ったので薬を出して欲しい」と伝えたら即出して欲しい。


今は回復してきていて、ジムでウォーキングも再開しました。
フォルクスワーゲン新車は3日後手元に来る予定。楽しみ…
主人は欧州に今戻っていて、ずっと独り…
戻ったら今後の事など話し合います。
もういい加減楽しみたいな。長いお休みは…
二人で旅行とかしたいです。北海道をレンタカーで最北端まで行ってみるとか、
南イタリアとか… 

家とクリニックの往復、注射で休みが潰れてしまう生活が6年続いてるし、もう頑張った…と言える時期に来ていると思う。

あともう一つ…
新車購入にあたり持っていた車を売ったのだけど、14年知っている仕事仲間がどこよりも好い値で買い取ってくれました。マレーシア人と結婚したイギリス人男性で、彼は奥さんの連れて来た子供2人と自分と奥さんとの子2人 の計4人を育てているのだけど、奥さんは元看護婦さんで今は働いていないけれど、もう1人子供が欲しいと言っているらしい。
お金がぁ~!!と呻いてました(笑) 
複雑な環境の職場で様々な困難、ネガティブな状況などを一緒に乗り越えて来た戦友なので、車の商談が済んでからワインを飲みながら話をしたけれど、持っている想いは同じでした。
マレーシアで外人として働くことの難しさを共有出来ました。
今後、筋肉注射が必要な時など、奥さんが助けてくれると言ってくれました。
私たち不妊治療の者は注射は結構な課題ですものね。
お腹への自己注射は慣れたものだけど、おしりの筋肉注射は自分では難しい…けど、
ここマレーシアは中国正月は完全にクリニックはお休みになってしまうので、
今回の妊娠中は、医師の前で一回練習し, 打つべき所にマークをしてもらいました。
スマイルマークをお尻の両側に書かれて「スマイルの中ならどこでも良いからね」と指導を受けて乗り越えました。

4/4に染色体検査結果が出ます。
その検査結果を持って 日本のクリニックに1泊で出向くので, そこで夏の予定をDrブラームスと話し合い、アップします。
両親の仕事は食材をスーパーに卸したり、各家庭にレシピと一緒に人数分の食材を配達したりという業種だった。当時は何も思わなかったが後になると好いアイデアの商売だったな、と思う。
配達したうなぎに釘が入っていた事が有り、その夕方クレーム電話の対応に母が追われていた。魚切りを終えた魚臭い父が その後うなぎを配達した家々を一軒一軒回って謝罪した為に 父の帰宅迄私は起きて待っていられなかった事、翌早朝には父はもう仕事に出かけてしまっていた事などを思い出す。
大変な仕事だな、お父さんと会えないんだな と当時思ったのを覚えている。

成長してから 自分のお金でうなぎの老舗に食べに行った時、お箸の入れ物に "うなぎに釘が刺さっていることがあります"  という注意書きが有って、それは釣り上げたばかりで新鮮だからという説明が有り、それは私に、昔 父が謝罪に回っていた事を思い出させた。

平日も休日も両親はいつも働いていて顔を見れなかったが、夏休みや冬休み、両親と一緒に過ごしたかったら、その配達に同行し軽トラックの助手席に乗るしかなかった。
ある時は父と、ある時は母と同行して、たわいもない会話をした。
母は車の中で私を相手に調理師免許の勉強をしていて、無事一発で合格していた。
当時、私は10歳くらい。という事は母は33歳、父は43歳だった。今の私は当時の父の年齢なわけだ。

どっちのトラックに乗せられても二人が同じ事をしていたのを思い出す。シートベルトはしなければいけないが、数分置きに車から出て配達をするので二人ともシートベルトを面倒くさがっていた。しかし私にはシートベルトを二人とも強制した。
ふと急ブレーキをかけるとき、父母のどちらも左手を素早く伸ばし、私がフロントグラスに激突するのを防ぐ反射行動をした。

最近になってあの事を思い出す。
あれも愛だっただろうと思う。
私がここマレーシアで運転をする時、急ブレーキをかけて左手を伸ばすであろう対象は主人しか居ない。
子供が居るという事実は、自分以上に守りたい対象が有るという事に他ならないと思う。それだけで子供の居る男女を尊敬してしまうし羨ましく思う。
守るべき小さな対象… 私にはまだ居ない。
将来出来るのか、出来ないのか分からない。
父母から受けたあの愛を与える側に成りたいと思う。

子供は親を選んでやってくる… と聞いた事がある。
もし私たち夫婦が子供を授かれないとしたら、子供は私たち夫婦を選ばなかった… ということなのだろうか。
無責任な そして簡単に傷つける事をいう人はやはり居るものだ。

亡くなった赤ちゃんは天国に忘れ物を取りに行ったから、それを取って万全にしてまた帰ってくるよ、
と言ってくれた人がいた。
3回も赤ちゃんは何を忘れたのだろう。3回ともしっかり心拍を聞かせてくれてから、忘れ物に気づいたのだろうか。
4回目は忘れ物をきちんと取って戻って来てくれるだろうか。
私たち夫婦を選んで、私たちの愛を受け入れてくれる覚悟を持って 忘れ物を取って 戻って来てくれるだろうか。
11年前 一生を共にする決意をしていた彼が亡くなった後、
帰国してリハビリをしていた。
毎日部屋の天井と宙をみていた。
ある本に "霊は背中につく" と読んだことがあり、私は壁に背中をつけていたので、これだと彼が私の後ろにうまく居れないだろうと想い、痛い背中を突っ張らせて壁との間に空間を作って過ごした。
でもやはり彼は宙に居る気がして毎日話しかけていた。

母は私が狂ったと思っていたらしい。
なので私はむかついて母の部屋への入室を禁止した。

当時私は住んでいた埼玉から遠い千葉までリハビリに通っていたのだが、体重が落ち、潰れている背中のディスクの痛みとで電車に長く乗って居れられなくて、途中下車をして何度もリハビリを挫折した。その度に私はプラットフォームにしゃがみ込み立てずに母に電話をし「今日もだめみたい」と伝えた。毎回母は「帰っておいで。駅に居るからね」と言い待ってくれていた。
部屋への入室禁止をしていたワガママな私を、静かに家に送り邪魔をせず仕事に戻って行ってくれた。

当時部屋に入ってくるのを許せるのは当時3歳の姪だけだった。お風呂上がりに私の部屋のドアをたたいてから入ってきて、私のベッドに上がっても良いかどうか私に聞いてからベッドの上に上がってきた。私の両足の間に座り、話したり何か描いたりしていた。
彼女のお風呂上がりの髪の匂いを嗅ぐのが好きで、それだけが慰めというか、反発を起こさない静かな...トゲの無い時間だった。姉の教育が良いのだと思う。姪はとても健康な心と体を持つ好い子に育っている。

ある日、入室禁止のはずの母が半笑い顔で私の部屋に入って来た。なんで入ってくるんだと私は正直思った。

母が自分の結婚当初の話を始めた。母は18歳で結婚している。

母は結婚したら毎日好意を持っている旦那さんに弁当を作ってお送りしてそうやって甘い日々を過ごしていると子供が出来ると信じていたらしい。
しかしなかなか出来ないので、実母に聞いたら
「旦那に聞きなさい。彼はよく知っているから」と返事をされた、と。
で旦那さんに聞いてみた。どうして子供が出来ないのか、と。
仲良くしているとコウノトリが運んでくるんでしょう?と。
父は困惑し、男女である行為をしないといけないのだと説得したが、母には理解できなかった。そんなことをするわけがない、と(笑)
父は説得を続け、遂に
「天皇陛下にも子供がいるんだ!行為をしないと子供は授からないんだよ!」と説得をしたらしい。
説得の甲斐があり、その後母は妊娠出産とする(笑)

悲しみの渦中の私に、なぜ急にその話をしに半笑い顔で母が部屋に入って来たのかは未だに分からないが、何かを打破する必要を感じたのだろうか。
今は感謝している。
愛なんだと思う。
なぜなら その日初めて私は笑ったから。
おかしかったもの。その話。
主人とその妹にその話をした時、母の妊娠までのそのストーリーを二人とも信じてくれなかった….

自分にもいつか自分以上に守りたい対象…主人だけでなく子供という対象が出来ることを夢見ている。それが主人の血を分けていることを望んで止まない。