卒業式には特段思い入れもないのですが、


卒塾式もとい合格祝賀会には強い思い入れのある小僧及びおかーさんです。


合格祝賀会なんで保護者同席できないのかしら?


卒業式よりよっぽど保護者席は嗚咽号泣の嵐だとおもうのだけど。


ねえ?同席したいよねぇ?思いっきり泣きたいよねぇ?


どうにか紛れこんだろかい←新しい塾のモンスターペアレンツ







さてさてその合格祝賀会の案内と一緒にもらったチラシに、こんなのがありました。



合格祝賀会謝恩費と言う名の、寄付のお願い。

いかにも日能研て感じですよね。


あの厳しいキツい闘いを闘い抜いたあとだからこそ、


その環境に身を置けたことへの感謝も実感として身に沁みた


この最後の最後に、その環境にない他者の学びへの寄付をお願いすると言う。


もうッ、そうゆうとこダゾッ!


だから好きッ!!


で、


受験終わりたての小僧に、


結果はどうあれ(繰り上げ前のことでした)、


中学受験ができたこと自体が偶然の幸運に過ぎず、


その中であなたは努力したけれど、


その環境に恵まれたことへの感謝を忘れなさんな。


努力ができる環境自体が、誰にでも与えられたものではないのですよ。


と受験前にも言ったことを再び話し、


それからこのチラシを見せました。


このお金、おかーさんが払うので、あなたが決めなさいと。



趣旨を理解した小僧、


「これって喜捨ってやつだね、文章題で読んだ」と。


さすが国語の文章題をいろんな話読めて楽しいと言うオトコ、


受験ベンキョーを通じて様々な価値観に触れることができたのね。


それだけでも良い財産になったよなぁと感動ひとしお。


アタマが柔らかいうちに、良質な読書をたくさんさせてもらえる素晴らしい機会でもあったのだなあ受験て。


そして小僧、悩む。


「えーっと、これってウチが出した金額に、日能研が同額乗せて寄付するってことでしょ?

え、どんくらい?3000円とか?」


うんうん、そうね。


小僧にとって3000円は大金よね。小僧の可処分所得として持ったことのある最大の額よね。


世の中には、学びたくてもそれが能わない人たちがたくさんいて、


それにこのお金が少しでも手助けできればよいよね。


「うーん、じゃ3000円じゃ少ないか……ならイチマンエン……?」


うん、さっきあなたは「喜捨」って言葉を言ったよね。良い言葉よね。


いくら良いことのためとは言え、自分の生活に負担を感じるまでの額はどうなのカナ?「喜んで捨てられる」額がベストだよね……


「じゃ5000円!で、お願いします!」


と、


母の想定通りの額に落ち着きました笑い泣きめちゃくちゃ誘導したけど笑い泣き


私はしがないイチ給与所得者で、不労所得もないフッツーの労働者階級のオバチャンなので、


対価のないものへの支出なんて普段は10円単位でもしないのだけど、


寄付に5000円など、普段なら考えもつかないことなんだけど、


進学先の学校への寄付も逃げ切れるだけ逃げてやろうと思ってるくらいだけど、←これは一口単位がデカイから……(言い訳)


でも、この日能研の趣旨には賛同するし、


私が1回マッサージ行くのを我慢すればよい程度の金額が私にとっての「喜んで捨てられる」額の上限目一杯だす…………


……しょっぺーですかね?しょっぺーですね。いいんですだってこれから学費の支払いがまってるんだもの!無い袖は振れぬ!


という前提があったうえで、


でも、小僧自身に考えさせることは必要かなと思いまして。


今わたくしたちが生きて意識的にも無意識的にも恩恵を受けてるすべてのことは、


自分以外の誰かの、過去から連綿と続く人の営みによってもたらされたもので、


今を生きるわたくし達は、その恩恵を享受するだけでなく、


未来へと続く人の営みに、ひとかけらだけでも、


恩恵をお返ししなくてはならないよね。


そのお返しできるひとかけらが、より大きいものになれるように


そのためにこれから学んでいって欲しいなぁ


と小僧に望んでいます。


私自身は……ほらもう老眼近眼乱視で世の中ぼやぁっとしか認知できない、動くとすぐ腰が痛い膝が痛い言ってるオバチャンだからさ……


もうお返しできることなど、お嬢小僧を育てることでしかできないのだけど。


我が子以外の子ども達にも、良い未来を残していく責任がある、


そういう立場なのか……これが大人ってやつか……←今頃かい