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TOM先生の真面目な記事はこちらから
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注意:特におちはありません!
「私の遺言になるであろう」を前提にとりあえず、書いてみることにした。
私は、田舎で産まれた。
父は真面目な実直な人柄で地域でもそのように周知されているようだ。
(地域ではいわゆる少し良家の息子だったみたい。)
父は私達3人姉妹にはしつけの面で、厳しかった。
自営業をしていたのだが、その従業員さんと、内線で電話してる時に、
(その頃は小学生くらいかな?)私が、タメ口でも使ってるのを見つけられたら、こっぴどく叱られたものだ。
母は真面目だが、人一倍思いやりの心がある人で、学校でいじめがある事を話したら、
「いじめる子には周囲にそうさせる理由があるはずよ。」
「アンタ達はいじめる子じゃなくていじめられる子でいいのよ。」
など、当時の私には謎な発言に聞こえてたのだが、大人になってみると、あの時の母の発言が、
「あー、なるほど。」と、妙に腑に落ちる瞬間がある。
母は小さい頃、大酒飲みの父親と、病弱な母親の元に産まれたため、かなり苦労していた模様。
だから、普通とは違うものの見方ができるのだろうと、今になっては思う。
さて、本題だが、
そう私について。
そんな2人の元で産まれた私はこの平和な日本で、
いわゆる中流の一般的な家庭で、食べるものに困る事はなく、着るものに困る事はない、幸せ者だった。
自分の子供にも言い聞かせるのだが、
「与えられた環境の中でチャンスを生かしなさい!」
「恵まれてる人は、さらに努力して力をつけたら、
ほかの人を助けることが、出来るように頑張る義務があるんだよ。」
と。自分の両親の言葉をそのまま再利用させていただいていた。
そんな感じで、子供時代を過ごしてた。
しかし、小学生の高学年の頃には、ひょんな事から、
女子同士の戦いに巻き込まれ、いじめの標的になり、いや〜な暗黒時代をすごすことになる。
が、たまたまいじめを、テーマにした自分の作文が、学校代表になり私をいじめる奴はいなくなった。
とりあえず、真面目な両親の子供であるわたしは、
大して「勉強が、好き!」というわけではないが、「やるべき事は言われなくてもやる❗️」
そんな性格のおかげで、中学校までは、地域では有名な子供だったようだ。
そのため、
我が子の成績表に△が有るのが、不思議で、しかたなかった。
いまでは、だーいぶ慣れたが(>人<;)
日本の片田舎で、ある程度真面目に過ごしてたら、成績表はオール10 (私の通った中学校では、10段階だったのだ。)
そんな私は地域の進学校に行く事になり、なんと大どんでん返しが待っていた❗️
片田舎では、頭いいと思われてたが、
県内あちこちから、秀才達が集まる高校では、
ハイ❣️普通の人!
そう、世の中には、ホントの秀才、天才がいる。
子供ながらにも、自分が頭いいわけではなく、全ては努力してその結果を導いてきたことを知っていた私は、その現実をすんなり受け入れられた。
ノートなんか取らなくても、授業の中で
しっかり理解出来るホントの秀才達に囲まれ、それはそれは苦労した。
いわゆる受験時代を過ごしたのだ。
両親は、辺鄙なところにあるその学校に(バスさえ通らない!)私を送り迎えしてくれた。
普段は無口で、寡黙な父も私を送り迎えしてくれた。
ある日の夕方
普段どおり薄暗い森の中にある学校まで私を迎えてくれた父が、帰り道。
急に飛び出してきた動物??に驚き‼️急ブレーキをかけたのだが。
助手席で居眠りしてたわたしの方に急ブレーキと同時に、サッ!と
腕を伸ばして、私を守ろうとしてくれたことを今でも覚えている。
これは父に愛されているんだな〜と思えた体験として、なぜか今でも覚えている・・