当時も今も、カナダカップも世界選手権も、当然ですが、日本ではまったく放送されません。

オリンピックでも、最近は衛星放送で何試合かを放送しますが、当時はほとんど観られず、かろうじて決勝だけを放送していたくらいです。

しかし、ありがたいことにカナダにいる友人がカナダカップや普段の公式戦の試合をVHSビデオテープに録画して送ってくれていました。

試合を録画し、テープを包装し、郵便局に持ってゆくという手間をかけてくれたその友人には今でも心から感謝しています。

カナダカップは毎回熱戦が繰り広げられていたので、漠然と「せめて同時放送で観られたらいいなぁ」と思っていました。

 

ホッケーに目覚めた1972年。

何も分からず、情報もない中で抱いた「NHLの試合を観る」という、当時としてはとてつもない夢。

しかし、暗中模索の結果、夢、否、夢以上の経験をしました。

その後、夢は膨らみ、いくつかの条件がそろわないと実現できない、オリンピックの「ソ連対チェコスロバキア」の決勝を観るという夢も運良く果たすことができました。

そして、今度は「カナダ・カップの決勝を観る」という夢。

カナダに住んでいても実現が難しい夢。

まして、日本に住んでいる私にはほぼ不可能と思っていました。

切符は長野オリンピックのようなわけにはゆきません。

発売開始時刻の夜中にインターネットでの購入を試みましたが、やはりダメでした。

今の日本での様々な切符発売日と同様に、サイトにはつながりもしません。

しかし、競技場に入れなくても現地の雰囲気を味わいたい、試合はホテルのテレビ、あるいは、スポーツバーで観るのでもいいと思い、準決勝と決勝(9月14日)に合わせてトロントに行くことにしました。

 

すると、出発約1ヶ月前の8月20日にギボンさんから思わぬ連絡が来ました。

「決勝を含めた切符が手に入りそうだったが、決勝がカナダドルで$400もするので買わなかった」と。

カナダドルは2004年当時は83円くらいでしたので33,200円です。

モノの値段が上がり、また、高額での切符の転売が当たり前の現在からするとかなり安いと感じますね。

アメリカ大リーグの2025年シーズンの開幕戦でオオタニ選手がロサンゼルス・ドジャースの一員として来日したときの転売価格が200万円というものもあったと聞きました。

しかし、20年前はスポーツの試合を見るのに33,000円というのは、かなり思い切らなくてはなりませんでした。

しかし、ホッケーのワールドカップ、しかも決勝を観られるなど、またとない機会です。

慌ててギボンさんに連絡をし、決勝と準決勝1試合の切符をお願いしました。

そして、出発の二日前(9月7日)、切符を買えたとの連絡がきました。

 

 

2004年8月31日から9月14日までワールドカップ・オブ・ホッケー (World Cup of Hockey) が開かれました。

予選はカナダ、アメリカ、ヨーロッパの都市で、そして、準決勝の1試合と決勝がトロントでおこなわれました。

 

それまでにもカナダ・カップ(Canada Cup)という名前での世界大会が1976年以降、不定期に5回開かれました。

国際アイスホッケー連盟が主催するオリンピックや世界選手権にはプロが参加できなかったので、真の世界一を決める大会としてNHLなどカナダが主催して開催されました。

カナダが主催しているのだから当然とも言えますが、国際大会の名称を「カナダ」とし、優勝トロフィーもカナダの象徴であるカエデの葉(メイプルリーフ)をあしらっているところにホッケーの母国であるという誇りと自信が感じられます。

その自信を裏付けるように5回の大会のうち4回はカナダが優勝しました。

そして、1996年に名称をワールドカップ・オブ・ホッケーに変え、今回の2004年大会がその2度目となります。

2028年からは4年ごとに開催されることになっています。

 

1998年の長野オリンピックからはオリンピックと毎年4月ころに行われる世界選手権にもプロの参加が許されるようになりました。

しかし、4月といえばNHLのプレーオフが始まる時期です。

世界選手権に出場する選手はプレーオフに進出できなかったチームの選手やアマチュアということになります。

そこにも良い選手はいますし、選手の変更が許される期限のギリギリまで、プレーオフで敗退したチームから選手が新たに加わりますが、やはり最強チームではなく、寄せ集めのチームであるのは否めません。

そこで各国の最強のメンバーによるワールドカップということになるわけです。

サッカーやラグビーなどでもオリンピックとは別に4年に1度のワールドカップがあります。

なぜ、プロの参加が許されているオリンピックとは別に世界一を決める大会があるかというと、年齢制限や参加国数の違いがあるからです。

オリンピックには年齢制限がある種目もあるので、真の最強チームとは言えないことがあります。

ホッケーについては、これで大きな国際大会が4年に1度のワールドカップとオリンピック、そして毎年開かれる世界選手権と三つあることになります。

 

(ギボンさんが送ってくれたカナダカップやオリンピックのプログラム)

 

NHLは9月にプレシーズン(日本のプロ野球のオープン戦)があり、10月初めに公式戦が始まり4月初めまで続きます。

そして6月までプレーオフ。

ですから、NHLのシーズンは9月から6月まであります。

それに加えて、毎年の世界選手権と2年ごとにオリンピックとワールドカップが交互に開かれます。

来月に迫ったオリンピックのメンバーがすでに発表されていますが、各国ともそうそうたる顔ぶれです。

ホッケーは2月5日に予選が始まり、決勝は22日です。

この間、7日から25日までNHLはシーズンを中断します。

オリンピックチームに選ばれた選手にとってはオリンピック終了後、休む間もなくNHLが再開されることになります。

 

選手にとって最も大切なのはNHLだと思います。

そこでの活躍や成績によって報酬が決まるからです。

オリンピックやワールドカップに出場することで、どのくらいの報酬があるのか知りませんが、いずれにせよ1回限りのものでしょう。

もし、そこで怪我をして、NHLのシーズンを棒に振ることになったら、報酬に大きく影響しますし、選手生命に影響することだったらさらに深刻です。

ファンやお金儲けをする人たちにはありがたいことですが、すべての選手がすべての大会に出場するわけではないにしても、良い選手であればあるほど参加する機会が多いので、その負担は相当大きなものだと思います。

 

ですので、例えば、ベストメンバーはワールドカップだけで、オリンピックと世界選手権は年齢制限をつけたり、アマチュアだけにするとかにして、選手の負担を減らさなくていいのだろうか、と思います。

ただ、ホッケーには12月下旬に始まる20歳以下の選手によるジュニア世界選手権もあり、すでにNHLチームのドラフト指名を受けて将来を嘱望されている選手が多数出場します。

 

くれぐれも選手たちが怪我をすることのないよう願うばかりです。

 

あ、いろいろな形でのトーナメントが観られることは私としても嬉しいんですよ。

日本でどのくらい観られるのか分かりませんが、楽しみです。

決勝戦の後、ギボンさんに会うことにしました。決勝の切符は東京との往復バス代が込みになっていたのですが、結局行きも帰りも乗りませんでした。

 

試合後はまずチェコの「オリンピックハウス」に連れて行ってもらいました。このときに初めて知ったのですが、オリンピック期間中に各国が自国の紹介をしたり、選手を含むその国の関係者が集まれる場所としてオリンピックハウスという「家」を設けます。多くの場合、レストランなどが使われ、そこで自国料理をふるまったり、観光資料を置いたりと、内容は国によってさまざまです。

ギボンさんにとっては取材の一環に違いありませんが、私にとっては貴重な経験でした。

チェコのオリンピックハウス

 

優勝したとあって、中は大賑わいでした。イワン・フリンカ (Ivan Hlinka) 監督はすでにグデングデンという感じでした。後から知ったのですが、チェコは世界有数のビール消費国だそうです。

すっかり酔った様子のフリンカ監督(中央)

 

優勝の立役者のひとり、ゴールキーパーのドミニク・ハシェク (Dominik Hasek) はだいぶ遅くなってから到着。取材を受けていたのでしょう。

ドミニク・ハシェク

 

NHLの大スター、ヤロミル・ヤーガー (Jaromír Jágr) は姿を見せませんでした。「女の子と遊びに行ったんだろ」なんて冗談を言う人もいました。

日本だったら、優勝した祝賀会に参加しないなんて絶対に許されませんね。

 

この後、選手たちはNHLでのそれぞれのチームに合流するためにすぐにカナダやアメリカに戻る予定でした。しかし、チェコ政府が急遽用意した飛行機に無理やり乗せられ、チェコでの優勝パレードに参加させられたそうです。チェコにとって、それほど大きな優勝でした。

 

オリンピックハウスなどへ連れて行ってもらった後、お礼を兼ねてギボンさんを居酒屋に誘いました。私たち日本人が気張らずに食べているものを味わってもらいたかったので高級レストランではなく、あえて居酒屋にしました。ちょっとイタズラ心を起こして、ギボンさんにとって珍しいと思えるものを注文しました。

砂肝、コリコリしすぎていてダメ。

納豆、腐った豆を食べるなんて……もちろんダメ。

牛タン、舌!ダメ。

そして極めつけは馬刺し。目を丸くし、顔を真っ赤にし、体を震わせて驚いていました。馬を食べる!しかも生で!驚くというより恐怖におののいているという感じでした。笑

 

それらがよほど強烈な印象として残ったのでしょう。2017年にギボンさんが出版した本「HOCKEY MY DOOR TO EUROPE」 にそのときのことが書かれています。

 

(私が近藤雅俊さんに初めて会ったのは1979年の大晦日、カナディアンズがソ連のレッドアーミーを4–2で破った日のモントリオール・フォーラムだった。彼は熱心なカナディアンズのサポーターで、モントリオールを訪れるたびにチームからとても良くもてなされてきた。私たちは長年、距離は離れていながらも親しい友人として、北米と日本のホッケー事情について情報交換を続けてきた。)

 

“One night Kondo insisted on taking me to a place that served authentic Japanese food. We sampled squid guts, chicken livers, ground fish stuffed with vegetables, fried tofu, raw horse meat, beef salted tongue and Chinese tea. Thrown in as a snack was what he called in his broken English, “nuts which get worse”, better known as ‘natto’, a dish of pungent, fermented soybeans. The beef tongue and chicken livers were so tough I thought they were from an old boot.”

(ある晩、近藤さんは本格的な日本料理を出す店にどうしても連れて行きたいと言った。私たちはイカの塩辛、鶏レバー、野菜を詰めたすり身、揚げ豆腐、馬刺し、塩漬けの牛タン、中国茶などを試した。さらに彼の片言の英語で “nuts which get worse(腐った豆)” と呼んでいた「納豆」も出てきた。強烈な匂いの発酵大豆の料理である。牛タンと鶏レバーはあまりにも硬く、まるで古いブーツの皮のようだと思ったほどだ。)

 

安心して喜んで食べていたのは豆腐とお茶漬けくらいだったかもしれません。あの後、お腹がすいてしまったかな?

 

長年の夢が叶い、そしてギボンさんとの親交も深められた長野オリンピックはこれで終わりです。

東京へ戻るべく長野駅に行くと、まもなく最終の新幹線が来るところでした。慌てて緑の窓口に行くとかろうじて最後の1枚を買うことができました。東京にいる感覚で「9時台だからいくらでも電車はある」と思っていたのが迂闊でした。9時台に長野を出たら東京に着くのは11時台ですものね。

どの冬季オリンピックでもホッケーの決勝は最終種目であることが多いので、その後、閉会式があることもすっかり忘れていました。新幹線の車内は閉会式を見終えたと思われる人でいっぱいでした。

 

あの最後の1枚を買えなかったら、いったいどうしたんでしょうね。

 

翌日には香港に戻る予定でしたのに…