僕がこの世でいちばん興味のあることのひとつは、僕の意識と心が移り変わっていくのを眺めること、です。
 時間の流れと共に、そして、僕が歳を取っていくにしたがって、僕の意識も心も、様々な方向へ自由に動き、自由に変化していくのを僕はいつもジッと見つめています。
 僕は、時に思ってもいない考えを持つようになったり、生まれて初めて味わう感情を噛みしめたりします。
 その事が、とてもとても興味深いのです。

 時々、あまりにも自分の内面を見つめ続けていると、もしかしたら、僕の内側に、全てがあるのかもしれない、と思ったりします。
 善も、悪も、この宇宙の何もかもが、本当は、僕という一人の人間の中にあるのではないか…そんな風に感じてしまうことがあります。

 さて、10年位前から、この世界のエネルギーが大きく変化してきているのを僕は感じていますが、簡単に言葉にするなら「誰もが自分自身と向き合わなければならない」方向へとエネルギーが流れているような気がします。
 というのも、もしも、この世界(地球)が救かるチャンスがあるとしたら、あなた(つまり私)が本当に自分自身の真実に向き合うしか、それしか道はないから、なのだと思います。

 僕自身も、そういったエネルギーの中に居ながら、この10年、どうしても同じ目印の場所に繰り返し辿り着いてしまう迷路みたいに、否応なく、自分というものに、自ずと向き合ってきてしまったと思います。
 そして、その間に、この世界もどんどん不穏な方向へ動いていて、そういった、やりきれない暗い空気の中、去年末頃から、僕は気持ちがとても落ち込んでしまい、その挙げ句、数週間前に、とうとう5年ぶりに風邪をひいてダウンしてしまいました。
 風邪でひとり寝ていた間、僕はいつものように自分自身とその状況をジッとくまなく観察していて、人間というのは内側の世界が厳然とまず在って、やっぱり外界はあくまでもそれに付随する物なのではないかって、そんなことを感じたのでした。

 それで、不思議なのは、風邪の期間、自宅の書棚から何の気無しに選んだ本も、書店やネットで購入した本も、どの本にも、ページを開くと「あなたは今まで従来の社会から、自分自身を奪われてしまっている。そこから脱して、もう一度本当の自分を取り戻しなさい(思い出しなさい)」という内容の事が、それぞれ様々な言葉で書いてあったのです。

 もちろん、そういった不思議な事も、その他のどんな出来事も、ただ、そこに在るだけです。そこから何を感じ、何を思うかは、それぞれ自分次第なのだと思います。

 そういった意識の旅のような日々の中で、僕が最近自分にはっきり決めたことのひとつは、もうこれからは自分自身を責めるのはやめる、ということです。
 何故なら、今まで僕はずっと心の中で、本当は何一つわるいことなどしていない自分自身をずっと責め続けてきたからです。
 それから、僕が生まれるずっと前から、社会とメディアが言い続けてきた、この世のロールモデル的な人達なんか、自分とは本来あらゆる意味で全く関係ないということも、とことんわかってきました。生きていく上での様々なことを世間が言うように「上手く」は出来ない自分を別にそれでいいじゃん、と心底思えるようになったし、月並みだけど、体調を損ねた時こそ、まずは健康であることが全てだと改めて痛感させられて、健康でいること、それから、自分が本当にありのままで居られて、毎日好きなことをして幸福でいられること以上に重要なことは他にない、と心から思えるようになりました。
 それ以上に大事なことなんて、何もないんだと思います。


 さて、毎日お店で沢山のおじいさんおばあさんを見ていて、得しているなあと思うことのひとつは、自分も、これから、そんな風に生きていけば良いんだということを彼らからナチュラルに教えてもらえることです。
 歳をとって、人の体がどんな風に衰えていくか、それでも、その中で淡々と楽しく生きていけばいい、ということをおじいさんおばあさんは、何も言わずに教えてくれます。
 昨日も、朝からひとりのおじいさんがまっすぐご来店されて、僕に向かって、「チノパンを買いたいんだけど、僕のウェストを測って貰える?」とおっしゃるので、僕がすかさずメジャーを手にして測って差し上げようとすると、おじいさんは、測りやすいように自分のシャツの裾をたくしあげてウェストを出して見せながら「最近、手術したばかりで、痩せてしまって、ウェストがだいぶ細くなってしまって…」とおっしゃる。
 見ると、ダボダボのコットンパンツを何とかベルトで締めて履いてらっしゃって、おじいさんの頼りなげな細い細い腰に僕はそっとメジャーをあてて、おじいさんのウェストをお測りしたのでした。
 この仕事をしていると、本当に毎日毎日「最近手術をした」と言うおじいさんがものすごく大勢いらっしゃって、皆ご高齢だから仕方ないのかもしれないけど、それにしても、手術をして一様に痩せ細っておられる沢山のおじいさんにお会いする度に、僕は現代医療のことをどうしても考えてさせられてしまうのでした。

 それから、おじいさんにピッタリのサイズのストレッチ素材のとても履き心地のラクチンなパンツをご試着していただいて、とても気に入っていただけてご購入いただけることになりました。
 試着後に、おじいさんが「夏用のタオルケットも買いたい」とおっしゃるので、同じフロアにある布団売り場にご案内して、タオルケットを探してあげて、おじいさんは、タオルケットを色違いで二つ選ばれていたので、洗い替え用か、或いはお留守番されている奥さんの分も一緒に買われるのかな、と思ったのです。
 レジカウンターで、パンツとタオルケットをお会計していただいて、おじいさんがお持ちの手提げから、丁寧に畳まれた多分どこかの本屋さんの大きめなビニール袋を差し出されて、「これに入れてくれる?」とおっしゃられたので、買われた物を全て入れて差し上げたのでした。

 そうして、おじいさんは、目的の買い物をようやっと済ませることが出来て、また辿々しい足で、元来た道を帰って行かれたのです…。

 いつもいつも思うことだけど、このご病気明けのおじいさんが、どうして、自分おひとりで買い物に来ないといけないのでしょう?
 こんなに豊かな筈の社会で、お金も人も有り余っているはずなのに、この世界のリーダーとされている人達は、(特に日本には)本当には人々に対する福祉を充実させようなんて、これっぽっちも思ってなどいない。 
 もし、本当にしようと思ったら、みんながそんなに税金なんか出さずとも、入りたいお年寄りが全員素晴らしい設備の整った介護施設に入居して、一人残らず手厚い充実した世話を受けることが出来、インターネットを駆使して買いたい物をいつでも買えるサービスも無料で受けられるし、実際に買い物に行きたい人には専門の付き添いの人が無料で同伴して、常に安全に好きな買い物をすることが出来たりするのが本当だし、ごく順当な世の中なのでは?と強く思います。

 それは、お年寄りに対してだけでなく、老若男女全ての人に対して、そんなにお金も要らない、みんながそんなに働かなくたって幸福に豊かに暮らせる世界は、決して理想論などではなく、本来実現がそう難しくない筈なのに、搾取している側の人達が、絶対に世界をそうはさせないようにしています。
 つまり、みんな、クズみたいな世界に住まわせられているんだと思います。(失礼。そして、みんな、ここがクズだと思わないようにさせられています)

 うちのショップが入っている量販店のビルの一階に待ち合わせや休憩用にベンチが並んだ中くらいの広さのスペースがあって、その脇に昔からある美味しいソフトクリームの売店があり、毎日入れ替わり立ち替わりお年寄りも若者も子供達も赤ちゃんを連れたご夫婦も、とにかく色んな人々が、そこのベンチに座って美味しそうにソフトクリームを舐めているのを僕は休憩時間にいつも目撃します。
 それで、こんな酷い世の中なのに、一生懸命暮らしているご様子の人々が、そうして、そんな場所にギュウギュウに腰掛けて、身を寄せ合う子どもみたいに一心にソフトクリームを食べているのを見かける度に、どうしてか、僕は心の中で、怪物くんみたいに両腕をグイグイグイ〜って伸ばして、その人達全員を丸ごと抱きしめたくなっちゃうんです。

 心の中だから。
 心は自由だから…。

 明日のことはわからないけれど、いつでも新しい朝の露の雫みたいな、その今の気持ちを僕はただ辿っていくだけだ、ということだけをわかっています。