僕が通勤で利用しているバスは、近所のバス営業所の前を通るのですが、毎朝そこを通りかかる時、いつもバス通りの歩道にメモ帳を握りしめて立っている人がいます。
 年齢は40代位の男性でキャップを被りTシャツにチノパン、少年みたいな服装をしていて、営業所を出入りしている運転手さん達から、親し気に挨拶されながら、目の前を行き来するバスのナンバーか何かをじっと見て素早くメモしている様子。もしかしたら自閉症の人なのかもしれません。
 あまりにいつもそうして立っているので、運転手さん達とも顔見知りになって気安く声を掛けられるような関係なのだろうなと推測されます。
 真夏の炎天下に、子供みたいに道端に立ち尽くし、熱心に何やらメモしているその人を見るたびに、人間って、やっぱりそうして何か「すること」を必要としているものなのだなあと改めて思います。
 この時間の中で、自らの心の為に、体の為に何かをしていたい、言い換えるなら、人間には、そうして「私は、これをしています」というアイデンティティみたいなものが必要なのかもしれません…。
 本当のところ、決して何もしないでなどいられないのが人間というものなのかもしれません。
 それにしても、毎日炎天下の中、ずっと道端に立っているのは大変そうだな、と思いますが、でも、その人にとったら、今日もこれだけメモしたぞ! という充実感を感じることが幸福なのかもしれません。
 今日も、そうして、みんなの為に、みんながそれぞれ何かを出来る朝が、新しい朝が来たんだなあと、バスの窓越しに僕は思うのです。


 さて、営業所の前を過ぎると、間もなく木立に囲まれた小さな公園が見えてきます。
 最近、その公園の片隅で若い人がひとり、ギターの練習をしているのを見かけるようになりました。
 その人は、まだ誰も子供が遊びに来ない早い時間に公園のいちばん隅に設けられた木製のベンチに腰掛けて、ひとりアコースティックギターを弾きながら、ひっそりと歌っているのですが、朝のその時間にその場所を練習場に選んでいるその人のセンスみたいなものが素敵だな、と思います。
 バスの閉じられた窓越しには、彼の弾くギターの音色も歌声もいつも全く聞こえてこないけれど、晴れた朝の公園の木漏れ日の中で、ちょっと楽しそうにギターを弾いて歌っているその人の奏でる音楽に、実は、その小さな公園と、この世界が、ちゃんとじっと耳を傾けてあげているような気がします。
 その人のその姿を見かけるたびに、音楽って本当はそういうものだったなって思います。
 この世界に音を奏でたい、歌を歌いたいという気持ち。
 太陽があって、風があって、光がある、この美しい世界に向けて。
 ただ、そういう気持ち。


 僕は、僕の働いているショップに出勤すると、まずタイムカードを打刻して(今はデジタルです)それから、お店を回り、売り場の商品が乱れていたら、お畳みをし直して、売り場をきちんと整えます。
 うちのショップは年中無休なので、本当に一年中毎日開いていて、それは、すごいというより、みんなにとって何だかホッと出来る、安心出来ることのように思います。
 僕が、この仕事でいちばん得意なのは、売り場作りの、特に色を綺麗に並べること、です。
 色を並べることは、幼い頃から得意だったので、大好きだし、何の苦もなく無意識に出来てしまいます。
 いつだったか、目に見えない存在が僕に「美しさはパワーだよ」と、しきりに言ってきたことがありますが、本当にそう思います。
 だから、僕にとって、沢山の商品の洋服の色彩を僕のセンスで、出来る限り美しく並べることは、いつだって愛だと思っています。


 先日、とても小柄なおじいさんが、うちの店にまっすぐご来店されて、Tシャツを色々ご覧になっていたのでお声掛けすると、おじいさんは「丈が短いTシャツってある? このTシャツの丈は、僕には長くない?」とお尋ねになるので、お鏡の前へご案内して、早速うちのTシャツのMサイズをおじいさんに合わせてみていただきました。
 「当店のTシャツのMサイズでしたら、お客さまがお召しになられても決して長くないと思いますよ」とお伝えすると、おじいさんは、店頭のTシャツの中から、アメリカの某都市の名前の横文字がプリントされたTシャツをお選びになって購入してくださいました。
 「僕は、昔、アメリカのこの街に仕事で7年間住んでいたことがあるんだよ、宇宙工学の仕事をしていて…」と、おじいさんは懐かしそうにそうおっしゃって、当時の街の様子をお話くださいました。
 おじいさんは、決してその名前を口に出さなかったけれど、お話を聴いていると、おじいさんが働いていたのは、紛れもなくNASAなのでは…!と思って内心ビックリしてしまいました。
 その思い出の都市名がプリントされたTシャツを買ってくださって、その街の事を楽しそうに話されるおじいさんからは、不意にキラキラしたエネルギーのようなものが、こぼれて見えるような錯覚がしました。
 遠いアメリカの街で、宇宙に関わる仕事をされていた日々。それは、おじいさんにとって、人生でいちばん輝いていた時だったのかもしれません。
 人に歴史あり、そして人に仕事あり、だなと思いました。
 仕事には優劣も貴賎もない、でも、振り返った時に、その仕事がもしも輝いて見えるとしたら、それは、そこに、その人自身の真剣な思いと努力があったからに違いありません。