僕は、両親が共働きだったので、3歳くらいの時から近所の保育園に預けられました。
 今でも忘れません。初めて保育園に連れて行かれた朝、母と離れるのが嫌で嫌でわんわん泣き叫びました。とても悲しかったです。本当のことを言うと、今でも、ずっと悲しいです。だから、僕は、まだ幼い子供を親元から離して保育園に預けるのは反対です。もしも、そうしなければ経済的に生活が出来ないとしたら、それは世の中が間違っています。

 保育園に通っていた当時のアルバムの写真を見ると、僕はいつも帽子を被っています。赤いベレー帽や野球帽や色々な帽子を。何故なら、幼い僕は、何故かずっと円形脱毛症だったからです。
 僕は、幼い日々の僕をとても愛しているので、今も、いつも愛を送っています。気持ちは、時間を超えて絶対に届くと思っているので、あの頃の小さな僕に、せめてこの気持ちが届くといいなあと思います。
 そう考えると、もしかしたら、今現在の僕に対しても、もっと未来の僕が思いを送ってくれているかもしれないので、侮れません。多分、そんな風に、過去と現在と未来の自分は繋がっているのかもしれません。

 いつだったか、槇村さとる先生がエッセイで、「この年齢になって、私は、もう大人にはなれないんだということがわかった」というようなことを書かれていて、読んでいて目から鱗だったのでした。どこかの世の中が言ってるような、完璧な、立派な大人というもの自体、実は幻想や刷り込みかもしれないし、槇村先生のような人がなれないと言ってるんだから、僕もちょっともう無理かもしれないな…と、何となく、そう納得したのでした。
 正直なところ、別に、大人になんてなれなくたっていいな、別に困らないし…そう思えたら、何だか気持ちも楽になったような気がします。(ただし、よっぽどの大富豪に生まれたのでなければ、自立は出来た方がいいとは思います。人間にとって、仕事は大切ですし)

 振り返ってみると、僕は小学生の時分から、既にオタクだったので、そして、小学生の時にはもう色々な素晴らしい映画や音楽や漫画や本に出会えたから、今考えると、僕の子供時代、思春期は、大好きな物たちとの、とても濃密な、蜜月とも言える時期だったなあと感じます。
 大人になってわかったことは、それらの子供時代や十代に出会った、大好きな映画や漫画や本や音楽が、大人の年齢になった自分自身を根底から強く支えてくれていることです。
 本当に、そういった物が、その人の思想や感性を形作るのだと思います。
 今も、全部手放せません、好き過ぎて。いつもいつも、観返して、聴き返して、読み返しています。


 うちの親は、どちらかと言うと厳しかったのですが、何故か、漫画と本だけは常に買ってくれ、映画も、まだ小学生なのに、僕ひとりで映画館に映画を観に行くことをいつも許してくれていました。実家からいちばん近い都会は新宿で、電車1本で行けたので、小学生の僕はよりにもよって歌舞伎町の映画館街にひとりで通って映画を観ていたのですが、そのことを今も親にはとても感謝しています。

 楽しかった映画のハシゴ観。今は無くなってしまった、歌舞伎町の大好きな映画館達。

 当時、忘れられない出来事がありました。
 小学5年生の時、「あしたのジョー」のアニメが映画化されたので、クラスの仲良しグループで映画館に観に行こうということになりました。
 確か五人で行くことになっていた約束の日、学校を終えて放課後、いったんみんな自宅に帰り、それぞれ親には了承をもらい、お小遣いを持って待ち合わせ場所に集まったのです。
 ひとり、Kくんだけが来てなかったので、みんなでKくんの家まで迎えに行くと、Kくんは居たのだけど、Kくんのお母さんが「子供だけで映画なんて絶対行かせない!」と、迎えに来たみんなの前でそう言って、ションボリしているKくんを決して家から出そうとせず「みんなだけで行ってきて!」と僕たちをそのまま追い返したのでした。
 僕は、その時のKくんの悲しそうな様子が忘れられません。
 僕と他の友達は、「Kくんが行けないなら、僕達も観に行くのよそうよ」と言って、その日はそのままどこにも行かずに解散したのでした。
 とても明るいスポーツマンで誰よりもきちんとした良い子だったKくんは、その後、高校生の時、やはり明るくてすごく良いキャラをしていた弟さんを自殺で亡くした後に、後追い自殺同然の事故で亡くなってしまいました。
 僕はKくんのことを思い出す度に、子供にとって一番大事なこと、必要なこととは何か、についていつも考えます。
 それから、あの時Kくんが行けなくなった映画を一緒に諦めて、帰宅した男の子たち、みんなの心を。


 今日、用事があって、歌舞伎町近くの地下のショッピングアーケードに久しぶりにチラッとだけ行ってきたのですが、僕が小学生の頃から、ずっといつも賑わっていた地下街にズラっと並んでいた洋服のショップや雑貨店の半分位が、いつのまにか閉店して、シャッターを下ろしてしまっていて、その生まれて初めて見る異様な情景がとても怖くなりました。
 本当に未曾有の事態、非常事態なのだと改めて感じました。
 でも、その時、ちょっと不思議なことが起こったのです。急に、そのアーケードを歩いて映画館に足繁く通っていた、あの頃の、子供だった自分がどうしてか僕の中にヒョイっと現れたのを感じたのです。
 子供の僕は、その地下街の様子にびっくりしながらも、ちょっと面白がっているのが僕には感じとれるのでした。
 そして、映画の「地下鉄のザジ」みたいに、この荒れたアーケードを、荒れた世界を冒険みたいに走って行っちゃえばいいんだ、という気持ちが何故だか、僕にも伝わってきたのです。

 僕は、いつしか、幼い頃の気持ちで、その地下街を眺めていました。
 それから、幼い僕が、僕に向かって、こう言うのが聞こえた気がしました。
「大人なんて、まったく、バカみたい!」って。