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今日は読書の記録です。
『森羅万象~我々はどこから来て、どこへ行くのか~』福岡伸一 扶桑社 2023年11月4日
福岡ハカセの、人間愛に満ちた言葉が、生物のあり姿を通して語られる、とても面白い本でした
生きていくって、しんどいよね。
自然のままの生き物であったなら、何も考えず、生まれて、食べて、排せつして、その途中で沢山の敗者が出てきてもそれはそれで仕方ないものとして、勝ち残ったもので子孫を残して、死んでいけば良いのだけれど、
そういう、「種の保存」の法則だけで生きていけないのが人間。
すこし、「はじめに」から、引用させて頂きますね。(下線筆者)
(前略) 自然の掟とは、(中略)種の保存と言い換えても良い。種の保存、という大目的の前では、個々の生物は種を存続するための手段でしかない。
この厳然たる掟に対し、人間だけが反旗を翻した。種の保存よりも、個の生命のほうが大切だ。個が尊重され、個の幸せに価値がある。個は必ずしも(中略)種の保存に寄与できなくてもいい。個は遺伝子の命令から自由に生きていい。(中略)
どうしてこんなことが発見できたのか。人間だけが高度な知性を持ち得たからである。 そして、知性の本体が言語だからである。(中略)言語をロゴス(論理)と言い換えてもよい。 ロゴスが、(中略) 名前を作り出し、これを概念化した。その瞬間、目に見えなかった自然の掟は相対化された。ありのままの自然、混沌としての自然のことは、ピュシスと呼ばれる。(中略)そのとき以来、人間は、ほかの生物と袂を分かち、特別な生物たり得るようになった。 (中略)ロゴスは、基本的人権を打ち立て、生物としての人間を自然の掟から自由にしてくれ た。そのかわり、人間はロゴスによって自分自身を縛ることにもなってしまった。幸福 でありつつ、不幸でもある存在、自由を謳歌しつつ、不自由極まりない生物、ロゴスとピュシスのあいだを右往左往する旅人、それ が人間なのである。
言葉によって、自然の掟から解放された人間は、同時に言葉によって不自由で不幸になってしまった。
そんな「悲しい」人間に、生物の自然の姿をユーモラスに説き、
「なんか、やっていけそうかも」
と思わせれくれる、そんな本だと思います
難しいことを擬人化したりする、言葉の感性が楽しいです
1項目3ページなので、テンポよく読めます。
心に残った言葉を上げさせてください。
生命は 利己的ではなく 利他的
「自分が 何者であるか」の答えは、自分の中ではなく、他者との関係性にこそあるのだ。
アマチュアとは、フランス語でアマン(愛人)と同じ語源を持つ言葉。つまり何かを心の底から愛して、それを一生、愛し続ける人のことである。
さて、福岡ハカセは
2025年の大阪万博で「命の動的平衡館」を任されているそうですが、
そこのテーマが〝生命の利他性”なのだそうです🌱
人間は利己的にふるまって、必要以上に富をため込み、それを守るために他国と対立し、戦争したりして愚かな闘争を繰り返している。もう一度、生命の基本である利他性に立ち返るべきだと思う。
大阪万博、あんまり「行きた~い」とは思っていなかったけれど、
うん、これだけのために行ってみても良いかもしれないと、思うようになりました
それから、
『福岡伸一の新ドリトル先生物語』というものに挑戦し、生命と自然と人間の問題を小説のかたちで考え てみたいと思うのである。乞うご期待。
こちらも、とても楽しみです
さて、今日のおやつは
東京ラスクの「無選別 ヘーゼルナッツカフェ」です。
伊豆天城の工場併設の店舗で「ヘーゼルナッツカフェ」の無選別を初めて見つけたので、買ってみました
ナッツが沢山乗っかっていて、香ばしくておいしかったです
それではまた!
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楽しい育児クラブで子育てカウンセリングをして10年になります。
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