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いつもお付き合いいただきありがとうございます。

 

今日は最近読んだ本のご紹介です。

 

『両手にトカレフ』ブレイディみかこ ポプラ社 2022年6月6日発行

 

ブレイディみかこさんの本は、前著2冊、

 

『ぼくはイエローでホワイトで、 ちょっとブルー』2019年6月21日 新潮社

 

『ぼくはイエローでホワイトで、 ちょっとブルー 2』2021年9月21日 新潮社

 

に次いで読んでみました。

 

ご紹介がわりに、袖と帯の文章を引用しますね。

 

まず袖です。

寒い冬の朝、14歳のミアは、短くなった制服の スカートを穿き、 図書館の前にいた。 いつもは 閉じているエレベーターの扉が開いて、ミアは 思わず飛び乗る。 図書館で出合ったのは、カネコフミコの自伝。 フミコは 「別の世界」を見ることができる稀有な人だったという。読み進めるうち、ミアは同級生の誰よりもフミコが近くに感じられた。 一方、学校では自分の重い現実を誰にも話せなかった。 けれど、 同級生のウィルにラップのリリックを書いてほしいと頼まれたこと で、彼女の「世界」は少しずつ変わり始める。

 

そして帯です。

 

『ぼくはイエローでホワイトで、 ちょっとブルー』には 出てこないティーンたちがいました。 ノンフィクションの形では書けなかったからです。 あの子たちを見えない存在にしていいのかという しこりがいつまでも心に残りました。 こうしてある少女の物語が生まれたのです。

ブレイディみかこ

 

 

『ぼくは~』の2冊で

「現代のイギリスってこんなにも激しく階級社会なのか?」

「日本ではこれほどまではない…と思ってはいるけど、もしかして私に見えていないだけなのか?」

と、モヤモヤした問題意識は十分すぎるほど感じたのに、

「それでも書けなかったことって、どれほどひどいこと?」

と思いながら読み始めました。

 

でも、きっとあるのでしょうね、こういう事。「階層」による暗黙の「分断」みたいな。

以前読んだ川口マーン氏の著書で、ドイツでも似たようなことが起こっていると読みましたし。

(ドイツでは小学校高学年くらいの年齢から、手に職をつける教育が行われていて、社会的にも「職人(マイスター)」に大きな敬意が払われ、それがドイツの物づくり国家を支えている、という以前の認識は、今ではすっかり崩壊していて、職人の子女でも家業を継がず、上級の学校への進学を目指し、それがかなわない場合に職人養成学校に行くようになっていて、それが人々の心の分断、収入階級の分断などを生んでいる、といったことが書かれていました。だから、日本はやみくもにドイツを目指すべきではないというのが、川口氏のお考えでした。)

日本でも、給食のない長期休みが明けた新学期に痩せて登校してくる子のお話は、少し前からよく聞きますしね。

その子、その家庭だけの問題ではない、この問題は、社会全体、そして長期的な「損失」であることを、もっと自覚しなきゃいけないなと、思います、自分を含めてですが。

 

 

さてこのお話は、イギリスの貧困層に育つ少女が主人公なのですが、作中にもう一つの物語が出てきます。

それは「カネコフミコ」という、実在する大正時代の日本人の自伝です。

 

この「カネコフミコ」のパートで、心に残ったのが、

 

「都会は田舎からいろんなものをだまし取って繁栄しているのではないか。」

 

という部分でした。

都会で育ったフミコは、田舎に連れてこられ、村人たちの勤勉な働きぶりとつましい暮らしを知ります。

そして村人たちが、都会からの商人が持ってくる「高価な(本当はそれほどでもない)」かんざしなどを言い値でどんどん買っていく姿を見て、こう思うのです。

 

「田舎は都会にぼったくられている。」

 

「都会」と「田舎」には、色々な言葉が当てはまりますよね。

 

気づかなければ良い?

確かに、気づかなければ穏やかに暮らせます。

でもそれで良いはずはない。

それに強引に、かつ都合よく、気づかせた(と言えば聞こえが良いですが…)のが「トランプさん」だったような気がします。

彼には世界中がひっかきまわされましたが、世界が変わるきっかけの一つにはなったのかもしれないですね。ちょっと荒療治的ですが。

気づかないで、あるいは気づかせないで、もしくは気づかないふりをして、放置するのは、社会全体、長期にわたる「損失」だと思うんです。

広~い意味で「情けは人の為ならず」かな。

だって、その「社会」に、その「未来」に、自分も生きているのだから。

 

 

フミコもミアも貧困や暴力から逃れるためにあがくわけですが、いかんせんまだ二人とも子どもですから、ことはそう簡単ではありません。

いつの世にも、どこの世界にも、「毒親」っているものですね。

それでも子どもは健気に親をかばおうとする…やりきれないな…

 

フミコの時代では、頼れるのは親類縁者しかいません。

それに対して、ミアの時代には曲がりなりにも福祉があります。

でも、その福祉が「親切そうな顔をして近づいてきて、悪いことをする大人」だったら…救いようがない…。

むしろフミコの方がマシなのかもと思いました。

 

 

最終的にミアにも光が見える結果になるのですが、そこに至るまでに、ミア自身がもがく経験と成長する時間、ミアの母親がもがく経験と成長する時間、ミアの周囲の人たちが悩みながらも成長する時間、そういった「成長する時間」が必要だったんだろうなと思いました。

 

子どもも成長しますが、大人だって成長するし、社会だって成長する。

 

加えて大人には「社会を成長させる」責任がある、とも思うのです。

社会を構成する一人として、自分自身が成長するのは勿論、周囲も成長させるように働きかけ、結果として社会全体が成長していく。

さらに言えば、自分はせいぜい80年か90年くらいで終わりですが、社会は世代を超えて続いていく。

その永遠に続いていくであろう社会を見据えて、社会が成長あるいは成熟するように働きかける責任。

う~ん、SDGsだニコニコ

 

数年前でしたか、年金のことで、インタビューを受けていたお年寄りのほとんどが苦情を言っていた中で、お一人だけ

「でもこんな世の中にしたのは自分たちだもんね、ごめんね」

と言っていた方がいらっしゃいました。

 

自分は大人として、どんな世の中を、子どもたちに手渡せるだろうか?

 

そう思いながら、最後のページを閉じました。

 

 

それではまた!

 

 

 

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