今日の朝ごはん。
わかめとシジミの味噌汁
なす、ピーマン、いかのおかか煮
胚芽米ごはん
なすときゅうり、みょうがの浅漬け
梅干し、ごま、のり
不調だと弱々しい声をだしている割にちゃんとしたメニュー。
いかもピーマンもナスもそれぞれ絶妙なやわらかさ、シャキシャキ感。
イカはいつ鍋に投入するのか、という質問をしながらもぐもぐ。
たいへん美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
最近、個人的にあるお医者さまが解説する食事法にはまっている。
考え方や主張に説得力があって、いちど母にも動画を見せたことがあるのだけど、私が勧めたわけでもないのに、母も実践しているようす。
だけど、いろいろと制限が多いので1週間ほどすぎると、アレもこれもだめというので食べるものか限られて少なくなってしまう、なんかおなかすいて仕方ない、力が出ない、と不満げに訴えてきた。
だから、私は勧めてないじゃん!
と思いながら、
「おかあさんは一般的にそんな問題ある食べ方してるわけじゃないし、やらなくてもいいと思うよ」
というのだけど、どうしてもよくないと思われるものは抜きたいという気持ちも捨てられないという。
私はパンと甘いもの中毒の経験があるが、母はこれまで全くそんなことは関係ない食生活である。
まあ、そんなにお腹をすかしてるのならと、ランチにがっつりハンバーグに誘ってみたら、
前半はアツアツで美味しいなーと食べていたけど
最後は少なめにしてもらったご飯を少し残しおかずはすべて平らげて
「うーもう苦しすぎる、、」と顔をしかめている。。その言い方、母の表情で私のイライラ度が上がってくる。
結局のところ、、
おなかがすいても、満腹でも、どっちみち文句をいうのだ。
おなかがすいているなら→
「胃が軽くなって身体がかるいわ」
と思えばいい。
満腹で苦しければ→
「苦しいけどこんなに食べれたわーしっかり栄養もとれた!」
と思えばいい。
一時が万事で、
身体が不調だと訴えているときも同じなのだ。
そう思うと私は労りの言葉もかけれなくなり、つい無表情になり機嫌が悪くなる。
そういう私をみて、母がそうなっているということも正直感じるので、無限な負のループ。。
私が役者にならなければいけないんだろうけど、
現に年上の人なだけに、
「そんな子供みたいな甘えたことを」
と思ってしまうのである。
先に逝った父がよく、キレたとき
「グダグダぬかすな!」
とさけんでいましたが、わたしも心のなかで叫んでいることに気がつく。
父のそういう言い方を軽蔑してたのに、
やはりわたしは父の子なのかあ
と現実と向き合う複雑な時間。
だけど、まだ私のためにも自分のためにもちゃんと朝ごはんをつくる母を尊敬できることで、私の気持ちは落ち着くのである。
