また、母に説教してしまう。

 

相手は手強い。いやいや、敵でもない。

 

手強い、というのはわかってもらえないこともあるが、いったん逆ギレし、

落ち着いてから本人が本気ですまないと思って素直に謝られることに対して、一種の怖ささえ感じた。

謝っておけばその場はすむだろうと、素直を装っているのようにも見えたけど、それも怖い。

 

「嫌なことを何回も言わせて申し訳ない。自分が本当に情けない」

を物分かりの良いことを言うのだ。前にも言ったけどその場しのぎの詐欺に思える。

降参しました、とかの話ではない。わからないのなら反論してほしいのだけれど?

 

その前は私が正論らしきことを言うと、

『だからそんなんわかってるわ、何度も聞いてる、わかってるって言ってるやん』

と迷惑そうに言われたことにこちらカチンときて、

わかってないからその状況なんじゃないのかと、コンコンと説明した。

 

だけど母にとっては辛さが全てであり、私の言うことなど聞いても仕方ないと諦めているのが現状。

 

その正論らしきこと、とは

いくら苦しくて辛いとて、近くにいる私にそれを初めてのことのように訴えるべきでない、と言うことである。

マイナスを口に出すなと言いている。

 

つまり、不調を強く感じてくるといつも

「はあ、苦しい』

『歩きにくい』

「お腹が抜き取られたみたい」

『鳩尾が押さえつけられてる」

『息ができない」「声が出ない」(一応気はできてるし声も出ている)、、などなど

喋りにくいと言いながら喋っている。

 

だけど3年以上この状態。検査結果も以上なし。もっと精密に調べてもらおうかと提案したら、本人から、こんな歳でどこか悪くても当たり前やし、その必要はない、とカッコよくお断りになられたのだ。

 

そして日常生活は完璧と言えるくらいできている。

昨日作ったといううちでとれたにんじんの葉と牛肉のピラフの残りをいただくと、悲しいかな、大変美味しかった。。

 

さらにその後30分とたたないうちに、母の残りおかずと買ってきたお刺身などでありあわせながらも私とほぼ同じ量の食事を美味しいと言ってぺろっと平らげている。

 

苦しいとてそれだけ動いてくれている体なので、

側から見ると重病人では決してない。

 

その事実とのギャップが大きすぎて、母の不調の訴えは、私にはこう聞こえる。

 

「私はこんなにも苦しいんだよ」

「どれだけ苦しいかわかる?」

 

母の不調の原因はそこなのだといわざるを得ないのだ。

 

自分の不調を他のせいにしている。

自分の不調を受け入れていない。自分が作り出しているということを肌で感じれていない。(頭ではわかっている)

不調は自分の体の本のわずかな部分であり、カラダ様はそれ以上のたくさんの働きをしてくれている、と言うことを感じられない。(アタマではわかっている)

 

考えが変わらなければ体も変われない。

 

マイナスを口に出そうとすればとっさに人差し指を口につけて「シーッ」というそぶりで黙らせたりもした。

しばらくは笑いで済んでいたが、私に訴えると言う事実にはずっと違和感があった。

 

と言うのも、あの有名な水の結晶の話も以前母から聞いた話なのだ。

よくない言葉を発していれば、体は多くが水でできているのだからそりゃ具合悪くもなるでしょう、と。

分かりますよね?と逆に聞きたいのである。

 

自分と比較するのはどうかと思うけど、私自身、体が辛い時には誰にも話したくないだけだ。黙ってじっと楽になれるように工夫をするしかないと思っている。人にわかってほしいなどと思ったことは一度たりとてない、と言い切れる。

でもそれは私が頑張ってそうするのではなくて、そうすることが一番ラクだからだ。

自分の痛みは人にわかるはずがない。誰かがわかってくれようとしてくれる方が申し訳なくて気を使って余計にしんどい。

 

普通、こうではないか?

 

と自分に当てはめようとするからわからなくなるんだろうな、とまた自分の至らなさも反省。

人間なのだから誰しも完璧にはできないのだ。

母が不調と共生していかねばならないのと同様、

私も、不調を訴える母と共生していけるよう、日々学んでいかねばならない。

 

悩みや問題があるから生きているのだと

母と共に前向きに悩もうと思う。

 

また母への不満ばかりになったけど、

最後に最近良かったこともありました。

 

まずちょうど一年前、治療院で勧められたスクワットを動画に撮っていたのを見返していたら本人なんともお粗末であった記録が残っていた。下がるにも上がるにも大変でした。

ところが一年たったこの頃はかなりさっさと上下できている。

 

これはなんでかというと、インコのフンの始末の床掃除の結果なのである。しゃがんでガリガリとヘラで擦ったり、水拭きしたり。

やはり意味のある毎日の習慣って尊い。

 

ピコちゃんとも日に日に仲良くなっている。

初めはことりに振り回される、みたいなことを不満げにぼやいていた。

 

今は頑張ってピコちゃんのために歌を歌ってあげている。いつかわざわざ行った歌えるカフェの時よりも楽しそう。

 

ピコちゃん神です。ありがたや。