ある日の夜メニュー
冬瓜のあんかけ
とうふとわかめの味噌汁
ナスと野菜の煮物
炊き込みご飯(冷凍してあった残り)
久しぶりに行った日のごはん。
おかずが多すぎて贅沢でした。
めずらしく、冬瓜を自分で切って調理していた。
昨年までは夏に私が冬瓜メニューをリクエストしても、手に力がいるのできれないそうで、いつも私がカットする係だった。
ちょっと前進??
ごちそうさまでした。
最近行き始めた整体の先生の勧めで、さらに新たにヨガに行くことになり(私も一緒に受講することに)、なんとか二回目が終わった。
1回目の後も母にはキツかったのだが、少し経つとわずかに効果が感じられたようで、
いいかもしれない、と2人でほんの少し期待をかけていた。
レッスンは少人数とはいえ、マンツーマンではないので、自分ができないポーズなどは適当にとばして無理をしないように気をつけなければならない。
そのあたりがややこしくてどこかしら頑張ってしまい、終わってからぐったりしている80歳。
半分は見るだけで加減もしていたのだけど、やはりいつもしない筋肉を使ったようで、その後のぐったり感、しんどいアピールがすごい。
「やっぱりやりすぎてるわ、めちゃくちゃ苦しい」
その日は呼吸について、集中して教えてもらい、横隔膜に意識を向けたので、母にはちょうどいいんじゃないか、と思っていたが
終わったらこのありさま、、。
私はいつものごとく
「横隔膜を動かせて、すごいよかったやん。
いまはちょっときついやろうけど、体を使えたってことやん、前回もそうやったし。
すごい、また強くなってるんちゃうー」
のようなことをいって前向きにさせようとしたが、本人あまりのしんどさに、私の言葉などまったく耳に入らず、
やめとけばよかった、
もう行かんほうがいいな
と嘆くのみ。眉間のシワがすごい。
それを聞いていると、私のせいにされているように思えて(←私もなかなか病んでいる)いよいよこちらもしんどくなり、母に共感することもできなくなった。
「そういう発言がだめなんだって。」
とほぼ逆ギレという態度となり、冗談でフォローする気にもなれず、不機嫌オーラを全開にし、
大変空気が悪くなった。
母も私の不機嫌さに少々戸惑い、こちらの顔色を伺っているのか、
しばらく不調を口に出すのを控えられている様子。
顔を合わせるといいたくもなるのだろうと
しばらく距離をあけてみた。
すこし私の意図も汲んでくれているようだったけど、また今日の電話でいつも通りにもどっていた。
母いわく、自分のしんどさをわかってほしいという。
私にはない考え方なので、ここでぶつかるのだ
でもそれもよくわからなくはない。
たぶんアカの他人なら、
「それはつらかったですねえ。なんでなんでしょうねえ」
などという労りのセリフは、適当にはいくらでも言えると思う。
そんな言葉はその場しのぎにすぎない。
自分の母に限っては、真の回復を願っているからこちらも譲れないのだ。
だけど、母にとって本当に何がよいのかは誰にもわからない。
私の態度が原因なのでは、とずっと悩んでもきた。
だけど、落ち着いて見返してみる。
身の回りのことは全てできる
ご飯を自炊し美味しく食べれて
毎日ぐっすり眠れる
排便も気をつけていれば問題なく出る。
入れ歯もしていない、すべて自分の歯
ひとりでバスにのり、飲食店に入ってお店をウロウロできる
友人と電話したりたまにお茶したりできる
たまに家族で旅行にも行ける
などなど
これ以上のありがたい生活があるのだろうか。
もちろんあきらかにわかっている疾患は簡単には消えないもので彼女のオモリになっているのは間違いないが
だれにでも何かしら悩みや苦悩はある。
娘としては本人がどう捉えるかで全てが決まる、と信じたいのだ。
幸せに過ごしてもらいたいだけなんだけど
からまわりしている自分にもうんざりな夏。
私も高齢者になったら母の気持ちが心からわかるのかもしれない。
でもいろんな意味で反面教師になってくれてるのか、高齢者のシュミレーションをしておけと?
とも感じることもある。
そんなことはさておき
どうにか体がラクに、毎日をおだやかに過ごせますよう。
